【連載小説】誘拐現場近くで殺人事件が発生! 被害者のスマホには、然治との通話履歴が。 加藤実秋「メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒」#4
加藤実秋『メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒』

※本記事は連載小説です。
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「よって、ガイシャは
「福沢は所持品のスマートフォンで昨日十七時五十二分から五十七分まで通話しており、相手は小川紬ちゃんの祖父、小川然治だ。その約一時間後に福沢、十五分ほど遅れて然治が現場の路地に入って行く姿が、防犯カメラで確認できた。然治は電話で福沢に呼び出され、現場に向かったと思われる」
そう続け、水越は手にしたペンの先で背後のホワイトボードを指した。黒い油性ペンの文字と、たくさんの写真が並んでいる。その中には目が鋭く頬がこけた福沢の顔写真、
紬ちゃんの誘拐と福沢の遺体発見という二つの事件が起きてから一夜明けた、午前八時半。柳町北署五階の講堂の指揮本部では、捜査会議が開かれていた。水越の左右には本庁の刑事部長と理事官、加えて柳町北署の署長、新木も座っている。捜査員たちは被害者対策班、犯人割り出し班、逆探知班、犯人捕捉班、犯人追跡班等に分かれて着席し、ひよりと原田は中央の犯人割り出し班。総勢百名近くおり、ひよりにとってこれほど大規模な指揮本部は初めてだ。
「紬ちゃんと然治の足取りは?」
水越は椅子に座り、ペンの先で今度はこちらを指した。「はい」と返し、ひよりの前の松島が緊張した様子で立ち上がる。
指揮本部の責任者は刑事部長だが、捜査の指揮を執るのは水越だ。捜査一課長はノンキャリア警察官の最高位のポストであり、四百名からなる捜査一課を束ねるエリートだ。歳は五十代前半。長い顔に細い目と、度の強いメガネ。広く丸い額はもともとなのか、生え際の後退によるものなのかは不明だが、発言は的確で立ち振る舞いにも隙がない。
「誘拐犯からの連絡はなし。紬ちゃんを
そう報告して松島が座り、水越は一旦手元の書類に目を落としてから、再度こちらを見た。ひよりの胸がどきりと鳴り、背筋が伸びる。
「鑑識と解剖の結果は?」
よし、来た。心の中で言い、「はい」と応えて立ち上がった。捜査員たちの目が一斉に自分に向くのを感じながら、ひよりは話しだした。
「石楠花町の現場からは、福沢と然治の
ひよりが言葉を切ると、捜査員たちはざわめいた。手帳を手に、ひよりは続けた。
「押収された拳銃からは福沢の指紋が採取されましたが、発砲の痕跡はなし。解剖の結果、死因は
ひよりが話し終えるのと同時に、ざわめきはさらに大きくなった。刑事部長や管理官、新木たちも驚いたような様子だが水越は動じず、ひよりに「ありがとう」と告げた。会釈し、着席したひよりに原田が言う。
「ご苦労。しかしお前が、こういう場で発言するようになるとはな。ついこの間まで、下っ端のお茶
「私は相変わらず下っ端だし、朝一回だけですけど、お茶汲みもやらされてますよ」
原田が褒めてくれているのはわかったが、「メゾン・ド・ポリスの皆さん様々」にカチンと来て、
「そう言うなって。お前の成長を喜んでるんだぜ」
「何を吞気に。誘拐が福沢の単独犯だった場合、紬ちゃんの居場所を特定する
「だよなあ。あのじいさん、何者なんだ。昨日会った時は、ごく普通の年寄りに見えたぜ。お前はおかしいと思わなかったか?」
「とくには。しゃんとして、目力があるなとは思いましたけど」
昨夜、鑑識と司法解剖の結果を聞いた時は驚き、然治さんの記憶を辿った。しかし頭に浮かぶのは、紬ちゃんを「いい子なんです」と言った時の訴えるような眼差しだけだ。
と、ひよりのジャケットのポケットでスマホが鳴った。こちらに目を向ける者はいないが原田は、
「噂をすれば。メゾン・ド・ポリスの皆さんが、今回のヤマを嗅ぎつけたか? ていうか、バイブにしておけよ。やっぱりお前は下っ端だな」
と顔をしかめた。「すみません」と返し、ひよりはスマホを出した。メゾン・ド・ポリスのおじさんだったら無視しよう。そう決めて確認した画面には、想定外の番号。
「小川然治から着信です!」
スマホを掲げ、声を張り上げてひよりは席を立った。とたんにざわめきは止み、捜査員たちが振り向く。
「逆探知班!」
立ち上がって水越が指示し、長机の列の後方にいた逆探知班が一斉に動きだす。こちらを見て、水越が促すように頷いた。頷き返し、ひよりは録音機能をオンにしてから通話ボタンを押し、スマホを耳に当てた。
「牧野です」
「小川然治だ。昨日あんたと別れた後、男から『孫を返して欲しければ、五百万円持って来い』と電話があった。金を用意して言われた場所に行ったが、男に襲われたので仕方なく殺した」
低く落ち着いた声で、然治さんは告げた。ひよりのスマホには原田と松島が耳を寄せ、他の捜査員たちも集まって来ている。
「わかりました。今どちらですか? 迎えに行きますから、お話を聞かせて下さい」
「いや。紬は俺が取り返す」
「一緒にやりましょう。紬ちゃんのためです」
ひよりは語りかけたが、然治さんは、
「俺じゃなきゃダメなんだ。取り返したら、出頭する」
と返し、電話を切った。
6
電話は逆探知できず、然治さんはスマホの電源を切ってしまった。ひよりと原田は水越の指示で、紬ちゃんの両親の元に向かった。
小川家は、閑静な住宅街にあった。小さな二階屋で築二十年以上経っているが、手入れは行き届いていた。
「すみません。妻は二階で休んでいます。
居間のソファに向かい合って座ると、紬ちゃんの父親は言った。名前は
「いえ。お父さんは大丈夫ですか?」
「ええ」
と頷いた禄郎さんだったが、顔色は悪く目も充血している。
「誘拐犯が死んで、どうやって紬を見つけるんですか? 父が殺したって、本当ですか? なんでそんなことを」
身を乗り出し、禄郎さんは訊ねた。その肩に、「落ち着いて」と言うようにソファの後ろに立ったスーツ姿の若い男性が手を置く。隣には若い女性もおり、どちらも被害者対策班の刑事だ。居間の手前のダイニングテーブルには逆探知班の捜査員が集まり、たくさんの機械を操作したり、何か話したりしている。
「誘拐の共犯者がいるかもしれませんし、方法はあります。然治さんの件も含め全力で捜査していますので、ご協力下さい」
原田に告げられ、禄郎さんは力なく「はい」と答えて身を引いた。ひよりは質問を始めた。
「犯人はご両親ではなく然治さんに、身代金を要求しています。心当たりはありませんか? 然治さんが誰かと揉めていたとか、大きなお金が入ったとか」
「どちらもないと思います。父は頑固で気難しいところがあるので、人付き合いはよくありません。お金の管理は自分でやってるのでよくわかりませんが、暮らしぶりからしても、大した額は持っていないはずです」
「然治さんは、どんなお仕事をされていたんですか?」
「母の親戚が経営する自動車工場で、二十年ぐらい事務員をやっていました。その前も働いていたようなんですが、よくわかりません」
禄郎さんが、眉根を寄せる。ひよりは「と言うと?」とさらに問い、隣の原田も前のめりになる。然治さんを調べたが、前科はおろか交通違反の記録すらなかった。眉根を寄せたまま、禄郎さんは答えた。
「僕が小さい頃、父はとにかく忙しくて、ほとんど家に帰って来なかったんです。母は、『貿易の仕事をしていて、世界中を飛び回ってる』と話していましたが、海外のことはよく知らないし、英語も話せません。何度か『何をやってたの?』と訊いたんですけどはぐらかされて、友だちや仕事仲間が訪ねて来ることもありませんでした……まさか、紬は父のせいで誘拐されたんですか?」
最後は切羽詰まった様子になり、禄郎さんは再び身を乗り出した。
「わかりません。然治さんが行きそうな場所は昨夜伺いましたが、他にないですか? 庭いじりが趣味なんですよね。そっち関係はどうでしょう?」
極力穏やかに問いかけたが、禄郎さんはひよりを見たまま首を横に振り、
「わかりません……俺、何やってたんだろう。
とため息とともに呟き、俯いて両手で頭を抱えた。被害者対策班の二人が進み出て、禄郎さんに語りかけ、背中をさすった。それを見て原田が厳しい顔で胸の前で腕を組み、ひよりは居間の奥に目を向けた。
掃き出し窓の向こうに庭があり、レースのカーテン越しに葉を茂らせた木々と、色とりどりの花が咲く花壇が見える。花壇の脇には紬ちゃんのものと思しき、カラフルな色のスコップとじょうろがあり、ひよりは胸を締め付けられ、焦りも覚えた。
と、向かいからリズミカルなメロディーが聞こえた。視線を戻すと、禄郎さんが顔を上げてソファの前のテーブルからスマホを取っている。
「メールが来ました。知らないアドレスです」
スマホの画面を見て禄郎さんが言い、逆探知班の捜査員の一人がこちらに駆け寄って来た。逆探知犯の捜査員はスマホの画面を覗き、「メールを開いて下さい」と促した。取り乱しながらも頷き、禄郎さんは指先で画面を操作した。それを逆探知班の捜査員と被害者対策班の刑事が両脇から覗き、ひよりと原田も立ち上がって禄郎さんの後ろに廻った。
メールには件名も本文もなく、動画のファイルが一つ添付されていた。逆探知班の捜査員はダイニングテーブルの仲間に何か指示し、再び禄郎さんを促した。禄郎さんがファイルを開くとスマホの画面に横長の枠が表示され、動画の再生が始まった。
撮影場所は、暗い室内。中央に椅子が一つ置かれ、紬ちゃんが座っている。胸の前に、二つ折りにした新聞らしきものを持っている。
「パパ、ママ。紬だよ」
声を震わせ、今にも泣きだしそうな顔で紬ちゃんは言った。
(つづく)