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連載

加藤実秋『メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒』 vol.3

【連載小説】少女が行方不明に。刑事・牧野ひよりは、少女の祖父・然治の聴取を始める。 加藤実秋「メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒」#3

加藤実秋『メゾン・ド・ポリス6 退職刑事と引退大泥棒』

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

「小川然治ぜんじ。六十六歳。無職」
 再び胸の前で腕を組み、ややぶっきらぼうに小川然治さんが言う。原田にもらった書類を読みながら、ひよりはさらに問うた。
「ご自宅は朝顔町一丁目で、息子さん一家と同居されていますね。奥様は?」
「四年前に亡くなりました。息子たちは共働きで忙しいから、私が紬に食事をさせて塾や習い事の送り迎えをしています」
 つまり、紬ちゃんの世話をしていたのは然治さん? 「念のため」どころか、しっかり話を聞かなきゃダメじゃない。不満と焦りを覚えたひよりだが「そうですか」と返し、質問を続けた。
「では、警察に通報されたのもおじいさんですか?」
「ええ。いつも寄り道せず、まっすぐ帰って来る子なんです。とくに今日は、チューリップの球根を植える約束をしてたから変だと思って」
「紬ちゃんと、ガーデニングをされていたんですね」
 言いながら、ひよりは然治さんのベストに目を向けた。左右に大きなポケットが付いていて、右側のポケットの口から乾いた泥の付いた軍手が覗いている。ネルシャツの袖にも、土と枯れ草の欠片かけらが付いていた。軍手に目をやり、然治さんは答えた。
「そんな洒落たもんじゃなく、ただの土いじりです。でも紬は、じいさんの暇つぶしに付き合ってくれます。いい子なんです」
 最後のワンフレーズは訴えるように言い、まっすぐにひよりを見る。平凡な顔立ちでシワやたるみは年相応だが、眼差しに精悍せいかんさと迫力が感じられた。「はい」と頷き、ひよりは話を変えた。
「紬ちゃんは、スマホや携帯は持っていないんですね。パソコンは?」
「親のをたまにいじる程度で、必ず私が見守っていました」
「最近、紬ちゃんに変わった様子は? 元気がないとか、言葉遣いが荒れるとか」
 ひよりの問いかけに、然治さんは首を横に振った。
「思い当たりません。マイペースな性格で私と過ごすことが多いからか、『友だちと話題が合わない』とは言っていましたが、学校や塾では楽しくやっていたみたいです」
「では、自宅近辺で不審な人物や車を見かけませんでしたか? イタズラ電話や無言電話がかかってきたりは?」
「ありません。電話に雑音が交じったり、外で尾行されたりもないです」
 きっぱり、すらすらと返されひよりが戸惑うと、然治さんは、
「刑事ドラマを見てるんです。とにかくヒマなもんで」
 と、ちょっと気まずそうに説明した。
「わかりました。お帰りいただいて結構です。いまご自宅は?」
「近所の人が留守番をしてくれています。さっき別の刑事さんに連絡先を伝えたので、何かわかったら報せて下さい」
「はい。おじいさんも、紬ちゃんが行きそうな場所など思い出したら教えて下さい」
 そう言ってひよりが差し出した名刺を、然治さんは太くがっしりした指で受け取った。そして立ち上がり、「よろしくお願いします」と一礼して部屋を出て行った。

 然治さんが帰った後、ひよりは原田たちに合流した。紬ちゃんの友だちや自宅の近所の住民、朝顔小学校の教師、通学路の商店などから話を聞いた。またパトカーや警察犬による捜索も行ったが、紬ちゃんも手がかりも見つからなかった。
 新木からの無線で、指揮本部の設置とマスコミとの報道協定の締結が伝えられたのは、午後八時過ぎだった。身代金の要求などの連絡はないが、水仙町に設置された防犯カメラの映像に、友だちと別れた紬ちゃんの後を追うように、猛スピードで脇道に入り、出て行った黒いワゴン車が映っていた。脇道から出ていく紬ちゃんの姿も映像で確認できず、加えて、ワゴン車のナンバープレートは偽造されたものだった。
戒名かいみょうは、『朝顔町小3女児誘拐事件』か? うちの署長は書道五段が自慢だからな。今ごろ気合いを入れて、墨をすってるんじゃねえか」
 原田は言い、セダンのドアを開けて助手席に乗り込んだ。ひよりも運転席に乗り込みながら返した。
「そんなこと言ってる場合ですか。そもそも戒名なんて、縁起でもない」
 戒名とは、指揮本部や捜査本部の部屋の出入口脇に貼られる事件名が書かれた紙を指す警察用語だ。通常戒名は所轄の刑事課長が考え、捜査一課長の了承を得て決定し、達筆な所轄署員が書くことになっている。
「今さらなに言ってるんだよ。それに戒名は大事だぞ。事件がなかなか解決しないと、『戒名が悪いからだ』なんて言われるし」
 黒く太い眉をひそめて言い、原田はシートベルトを締めた。中年太りが始まったらしく、ワイシャツとダークスーツに包まれたお腹は苦しそうだ。
「知ってますよ。でも、被害者ガイシャの生死は不明なのに戒名って」
 ひよりが言いかけた時、セダンのダッシュボードに取り付けられた無線機がジジッと鳴り、男の声が流れた。
「至急至急。警視庁から柳町北署管内。石楠花しゃくなげ町一丁目ローヤルビル裏に死体があると110番入電。付近各局は、直ちに現場方向へ転進願います。以上警視庁」
「石楠花町一丁目って、紬ちゃんが連れ去られた現場から二キロしか離れてないな」
 原田が呟き、車内の空気が張り詰める。ひよりは急いでシートベルトを締めてセダンを発車させた。

 現場は駅近くの繁華街だった。既に数台の警察車両が到着しており、ひよりはその後ろにセダンを停めた。
 セダンを降り、原田と通りを進んだ。前方の居酒屋やガールズバーなどが入った大きなビルと隣のビルの間に、人だかりができている。人だかりをかき分けて前に出ると細い路地があり、出入口に「立入禁止」と書かれた黄色いテープが渡されていた。テープの向こうに立つ刑事たちの厳しい表情に、ひよりの不安が増す。
 出入口の脇に立つ制服姿の警察官がテープを持ち上げてくれたので、ひよりと原田は手に白手袋をはめながらテープをくぐり路地に入った。
「お疲れ様です」
 原田が、背の高い男に会釈をした。刑事課係長の松島まつしま優司ゆうじだ。
死体ホトケは?」
 続けて原田が問うと、松島は深刻な顔で何か答えようとした。それを聞かず、ひよりは路地を進んだ。
 二十メートルほど先のビルの裏口の脇に、ゴミ箱と積み上げられたビールケースが置かれている。その周りに濃紺のキャップにジャンパー、パンツの活動服を着た十名ほどの男女がいて、写真を撮ったり足跡や指紋の採取をしたりしている。鑑識課の課員たちで、彼らの作業が終わらないと、刑事は現場に入れない。
 鑑識課員たちは、地面の上の人影を取り囲むようにして作業をしていた。ひよりは身を乗り出し、薄暗がりに目をこらした。人影は仰向けで倒れており、身長一七○センチ前後。黒っぽい服を着た男性のようだ。
 紬ちゃんじゃない。思わずほっとしてから、「でも人が亡くなったんだから」と自分を戒め、ひよりは身を引いて改めて前方を見た。鑑識課員たちの中にモデル体型の女性を見つけ、声をかける。
杉岡すぎおかさん」
 振り向いてひよりに気づき、女性はこちらに歩いて来た。大きなマスクを装着していても際立つ美貌。敏腕美魔女鑑識課員として知られる杉岡沙耶さや巡査部長だが、ひよりには、藤堂の二番目の妻という印象の方が強い。
「お疲れ様です。いかがですか?」
「ホトケは二十代から三十代の男性で、死後一時間半から二時間。目立った外傷や出血はないけど、争ったような痕跡があるから殺害されたのね」
「小学生の女の子が誘拐されて、指揮本部ちょうばが立ったんです。関連はありそうですか?」
「現時点では、何とも。ただ、遺体のそばにスマホが落ちてたわ」
「見せてもらえませんか?」
 誘拐事件の緊急性は承知しているので、杉岡は「待ってて」と答えて身を翻した。遺体の手元にかがみ込んでいた部下の男性に声をかけ、杉岡も身をかがめる。すぐに身を起こし、ひよりの前に戻って来た。
「はい。指紋認証のロックがかかってたけど、遺体の指で解除できたわ」
 言いながら、白手袋をはめた手で黒いスマホを差し出した。礼を言い、ひよりはスマホを受け取って画面を見た。通話アプリを立ち上げ、通話履歴を表示させる。一番上は今日の午後六時前で、スマホの番号に発信していた。
「殺される直前に電話したってこと?」
 思わず呟くと、「どうした?」と後ろから原田が近づいて来た。
「ホトケのスマホです」
 ひよりが応じると、原田も画面を覗いた。
「この番号、見覚えがあるな……思い出した。紬ちゃんのおじいさんだ」
「えっ⁉ なんで」
 混乱するひよりを前に、原田はジャケットから自分のスマホを出して電話をかけた。相手は然治さんだろう。ひよりは原田のスマホに耳を近づけ、杉岡も緊張して見守っている。すぐに原田のスマホから呼び出し音が流れ始めたが、然治さんは出ない。
「両親の番号も聞いてるから、かけてみる」
 スマホを下ろし、原田が別の番号を呼び出そうとした時、今度は松島がやって来た。
「紬ちゃんの父親から連絡があった。祖父の然治さんがいなくなって、電話もメールも応答なしだそうだ」
「えっ⁉」
 再度ひよりが上げた声に、原田と杉岡の声が重なった。

(つづく)
※次回は3/22(月)に更新予定です。


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