死体遺棄事件の発端は、二十七年前の出来事だった――。報道の使命と家族の絆を巡るサスペンス・ミステリ。 三羽省吾「共犯者」#16-1
三羽省吾「共犯者」

※この記事は、期間限定公開です。
前回までのあらすじ
弱小週刊誌「真相BAZOOKA』のエース記者・宮治和貴は、岐阜の死体遺棄事件を追っていた。富山県警の管理官で幼馴染の鳥内は、布村留美という女性が犯人でほぼ間違いないと取材の中止を促すが、父から事件の被害者は弟・夏樹の実父だと明かされた宮治はさらに事件を調べ、弟が布村に協力していることを確信する。その矢先、大手週刊誌『週刊ホウオウ』が、宮治が夏樹を庇うため世間を欺こうとしていると報じ、宮治はこれに応じることに――。
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七(承前)
〈告白、
翌週の『真相 BAZOOKA』センターページに掲載された記事に、
続くリード文は、記事の概略というよりも先週号のホウオウのおさらいのような内容でまとめられている。
ホウオウの記事を肯定も否定もせず、売られた
ただ、通常と異なる点もあった。いつもならリード文の最後に入れる(宮)という署名をやめて、サブタイトルの下に宮治
事件との関わりが明確でない
だがいつもの(宮)で濁したところで、重要参考人A=
宮治はそう判断して、
〈前回の東京オリンピックが開催された年、その男性は埼玉県
そして記事本文は、そんな書き出しで始まる。
捜査本部から公表されていない個人名や地名は伏せつつ、記事はその男性=佐合優馬の生い立ちを
例えば、実父にとっては孫のような年齢で
かといって宮治は、佐合を『頑張ったけれど駄目だった人』という分かり
十九歳で最初の結婚をしたものの
ネット上では断片的に書かれているだけだったその頃の
佐合が二人の子供に対してどのように接していたか──当然これも初出だ──については、夏樹から聞いた内容を具体的に書いた。夏樹が言った「ちょっと粗雑なお父さんの
そして記事は、佐合が二度目の服役に至る経緯を説明したところで、残された妻と二人の子供に視点を移す。ここからは主に、
妻は別の男と暮らし始め、佐合と暮らしていたアパートは家賃滞納が続く。家主がこの部屋に放置されている二人の子供を発見し、警察に届け出る。警察は介入せず、児童相談所に報告。二人の子供は児童福祉施設に保護された後、児童養護施設に入所する。佐合と妻は親権を放棄し、まだ五歳だった次子は北陸のある夫婦と特別養子縁組をして引き取られた。八歳だった長子は、関東のある夫婦と普通養子縁組をする。
ここで宮治は、普通養子縁組と特別養子縁組の違いについて簡単に説明。その後、こう続けた。
〈この北陸に引き取られた次子が、現在所在不明となっている重要参考人Aだ。つまりホウオウの記事にあった通り、Aは被害者・佐合優馬さんの実子である。
そして長子は、筆者の実家に引き取られた。ホウオウの記事では筆者の〝身内〟としか書かれていなかったが、長子は八歳から筆者のきょうだいとして育てられた。現在は三十歳代となり、筆者の実家から離れて暮らしている〉
郡司以外の旧友には、夏樹が宮治家の養子であることは言っていない。この部分を書きながら、宮治は「え~?」と驚く何人かの顔を思い浮かべた。
掲載ページ数は、風俗店潜入ルポと自社広告を潰して、当初予定していた四ページから六ページに拡充されていた。写真はタイトルバックに岐阜県警の外観と遺体発見現場、文中に佐合優馬の十数年前の顔写真が小さく使われているだけで、殆ど文字だけで構成されている。
それでも、ここまでで既に三ページを要した。
宮治は残りのページを使い、身内が絡む事件なので読者の目を
更には、捜査本部が福井県
ここまでで、計五ページ。
最後のページの半分を使い、記事はこう続く。
〈筆者はこの白川村殺人死体遺棄事件の全容を
ただ、最後にこう記しておきたい。
重要参考人Aは、大きな思い違いをしている。
Aが重要参考人のままで、公開捜査の対象にすらならないのには、それだけの理由がある。その理由には、A自身もピンと来ている筈だ。ならばAは一刻も早く出頭し、知っている事実をすべて告白すべきである。
Aがやろうとしていることが成し遂げられたところで、その行為が生み出すのは、また新たな苦悩だ。それも、数え切れないほど多くの〉
そして記事は、事件の早期解決を望むといった定型文を並べ、一旦終わる。
更にその後、まるで本件とは無関係であるかのように一行を空け、
【言論の自由】(freedom of speech)個人が思想を言論により発表することの自由。近代民主主義の基礎をなす権利の一つで、日本国憲法は第21条でこれを保障。
【言論】言語や文章によって思想を発表して論ずること。また、その意見。「──統制」
【表現の自由】外部に向かって思想・主張などを表現する自由。日本では憲法第21条で保障。
【表現】心的状態・過程または性格・志向・意味など総じて内面的・精神的・主体的なものを、外面的・感性的形象として表すこと。また、この客観的・感性的形象そのもの、すなわち表情・身振り・動作・言語・作品など。表出。「作者の意図がよく──されている」「──力」
「ネットの掲示板やSNSで好き勝手なことを言い散らかす
早刷りのBAZOOKA最新号をデスクに放り投げ、中堅記者の
「それより、全体の構成としてどうなんだろうな。殆どがホウオウの記事を認めるだけの内容じゃねぇか。佐合の生い立ちと複雑な血縁のことがホウオウより具体的になっちゃいるが、事件について新しい情報はほぼない」
ベテランの
記事では伏せられていた、宮治が知る事件の全容について質問する者はいない。
発売日前日、午後七時過ぎのことだった。明日は週に一度の公休日でいつもなら早く帰る者も多いのだが、この日は取材に出ている数名を除く全員が残っていた。他部署の編集部員も、BAZOOKAの早刷りを待って大勢残っている。
「もっとこう踏み込んだ内容と言うか、ホウオウに売られた喧嘩を買うような……」
「自分の家族のこと、誤魔化さずに書いてるんです。私はそれだけで
八代の言葉を遮り、
「おぉ、なんだよ小娘」
「その呼び方、いい加減やめて下さい。編集者に年齢も性別も関係ないって、八代さん言ってましたよね?」
彼女と
パーテーションの向こうから、その幡野が親子喧嘩のような八代と玉田のやり取りを「まぁまぁ」と止めた。
「ホウオウに売られた喧嘩を買ったところで、ヘビー級にミニマム級が挑戦するようなもんだろうが。大した意味はねぇよ。それより、俺もちょっと気になるところがあるんだが」
幡野は次号の校正の為に、編集会議用の大テーブルを占拠していた。玉田ら編集部員達が幡野の元へ集まった。他部署の者達も、早刷りを手に近付いて来る。
「宮治さん」
玉田に呼ばれたが、宮治は「おう」と生返事を返し、キーボードを
「最終的には俺がゴーサイン出したんだから今更だけどよ、どうも宮治らしくない。特に前半の〝佐合優馬の生い立ちには
幡野のその言葉に、方々から「確かに」「そう言われれば」と小声が漏れた。
五分ほどして宮治もデスクを立ち、激しく上下する幡野の禁煙パイポをパーテーション越しに見詰めた。
「回りくどい言い方は削って削って、白黒、善悪、功罪、そういうのをスパッと分けて書く。しかし独自のネタを根拠として盛り込み、絶妙に偏向と言われない体でまとめる。そういうのがお前の記事の真骨頂だと、俺は思ってたんだがな」
幡野を取り囲む人々がザワつき、宮治に目を向ける。ずっと黙っている石塚も、心配そうに宮治を見詰めていた。
「下手な文章で申し訳ありません。ただ、佐合みたいな人間だって、徹頭徹尾悪人だったわけじゃないと言いたくて。なんでもかんでも単純化するのは、ネット民的と言うか……対象が死者とはいえ……いや、死者だからこそ……」
そこで口ごもった宮治に、幡野が追い討ちをかけるように言った。
「それは分かるが、この記事、誰に向かって書いたんだ?」
なるほど、さすがに鋭いな。そう思いながら、宮治は「誰って……」と顔を伏せた。
「決まってるでしょう、読者ですよ。まぁ今回の場合、ホウオウへの回答でもあるんで、いつもとは少し違う書き方になってるかもしれませんけど」
幡野も「ふん」と鼻から息を吐き、更に鋭く質問しようとはしなかった。
「それより編集長、明日から、すみません」
「謝るなら石塚と玉ちゃんだろ。原稿取りとグルメページのフォロー、二人でやってくれるってよ。なんか
社屋の回りにはまだ宮治を待ち構える他社メディアがおり、宿直室泊まりは二週目に入っていた。明日の『真相 BAZOOKA』発売と同時に、もっと増えるかもしれない。
そこで宮治は、またしばらく東京を離れたいと幡野に申し出ていた。
「今夜、
「おぅ、取材依頼は全部、断っといてやる」
「よろしくお願いします」
ホッとして顔を上げた宮治の視界の端に、まだこちらをじっと見詰めている石塚がいた。
「長いことメール打ってましたね。どこへ送ったんですか?」
キーを渡しながら、石塚が
「あちこちだ。取材協力の礼とか、新たな取材依頼とか」
石塚に頼んで、宮治の自宅から会社まで、SUVに乗って来てもらったところだった。
「これから、岐阜ですか?」
「いや、取り
富山の布村夫妻と
ホウオウほど露骨な決め付けでないものの、今回のあの記事で、宮治は初めて布村留美が事件に関与していると断言したようなものだ。
布村夫妻にも坪内にも、彼女が事件に関わっていないと考えるのは不自然だと伝えている。それでも彼らの方では、宮治が布村留美を
だから電話やメールではなく、直接会って説明すべきだと思った。
「富山って……いまさら布村留美の過去を洗うんですか?」
それらの事情を知らない石塚が訊ねたが、宮治は答えずSUVに荷物を詰め込んだ。
「遅くまで悪かったな。明日はしっかり休め」
後部座席に頭を突っ込んだまま言うと、背中に「
「なにが」
「事件の全容が分かってるって、噓なんですよね」
車中泊グッズのチェックを終えて、宮治は運転席に乗り込んだ。そしてエンジンをかけ、笑って「なんだそりゃ」と返した。
「捜査に支障を来すから書けないって誤魔化してましたけど、要するに、まだまだ分からない部分があるってことでしょう。すべてを把握してるってハッタリを書いて、布村留美が焦って動きだすのを待つ。それが狙いでしょ? だから、彼女が身を潜めている可能性が高い岐阜か北陸へ行く。正確な場所は分からないけど、とにかく布村留美の近くに向かう。違いますか?」
さっき、編集部内では言えなかったことなのだろう。薄暗い蛍光灯の下で、石塚は
「だったら、どうだと言うんだ」
「最悪の場合、自殺も考えられるんじゃないですか? それで事件の真相が
クールをくわえたものの火を
SUVの
軽い気持ちでやっていた脅し
そのことについて注意したい気持ちはあったが、現状で説明出来る範囲では石塚が言っていることは正論だし、第一、時間がなかった。
「深読みがスゲーな」
「答えて下さい」
「もうすぐ分かるよ」
「え?」
「じゃ、行くよ。玉田にもよろしく言ってくれ」
石塚は更になにか言おうとしていたが、宮治は構わず、くわえ
▶#16-2へつづく
◎第 16 回全文は「カドブンノベル」2020年3月号でお楽しみいただけます!