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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.31

【連載小説】暴行の罪で逮捕されたという郷原。彼に何が? 少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#31

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

「捜したよ」
 前に、ぼくの家の前で会ったときとは違う。レナからは、とげとげしい空気が出ていた。突然の成り行きに戸惑っているうちに、レナはぼくの隣に腰を下ろす。
「家に行ったけど帰ってこない。涼子も電話つながらないし、ここにいたら会えるかと思った。あたしたち、相性いいのかもね」
「はあ……」
「あたしがなんできたか、判ってるよね?」
 レナは、にらむようにぼくの顔を覗き込む。
「何のことか判りません」
「ああ?」
 レナの威嚇に、胃がきゅっと痛くなる。でも、何のことか判らない。ぼくは郷原を捜しにきたが、彼らに捜されるようなことはしていないはずだ。ぼくは仕方なく、よく判りませんと繰り返した。
 レナは、あきらめたように目を伏せ、立ち上がった。
「じゃあいいんだ。悪かったね」
「あの、どうしたんですか? わけが判んないんですけど」
「聞いてるでしょ? 捕まったんだよ、郷原さんが」
「えっ?」
 予想もしていない言葉だった。ぼくも思わず立ち上がってしまう。
「どういうことですか?」
「あんた、本当に何も知らないの?」
 念を押すように言われるけれど、そんな話、初めて聞いた。レナはふーっとため息をついた。
「昨日だよ。かわさきをまた暴行したんだって。それでまた捕まった」
「川崎って──」
「『マンドラゴラ』の店主。前に言っただろ?」
 思いだした。父親から古本屋を譲り受けたあと、自分の趣味のグッズで下品な雑貨屋に作り変えてしまった人だ。
「郷原さんは、なんで暴行なんか?」
「そりゃ、公輝くんのことでしょ」
 レナは力が抜けたようにベンチに座る。ぼくもその横に腰を下ろした。
「川崎が公輝くんを『マンドラゴラ』で働かせてることを知って、腹が立ったんだと思う。だからあたしは、あんたか誰かが郷原さんに密告したんだと思った」
「ぼくはそんなこと、してません」
「まあ、噓は下手そうだもんな、吉見は」
 レナは片手で頭を抱えた。
「あたしが涼子を紹介したのが、よくなかったのかもって、考えてる」
 いつも強気なレナのこんな様子を見るのは、初めてだ。
「あんなことになるとは思ってなかったんだ。涼子寂しそうだったから、仲間がいたほうがいいかなって思って紹介しただけだった。涼子と会わせたりしなかったら、郷原さんは真面目に働けてたのかもしれない。そしたら、公輝くんにもいい影響があったのかもしれない」
「そんな。そこまで考えなくても」
「考えるよ。あたしのせいで、郷原さんは捕まっちゃったのかもね」
 レナはため息をついて、鋭い爪を立てて頭をガリガリとかく。五本の刃物で、自分の頭を傷つけているみたいだった。
 レナもまた、現実に苦しんでいるのかもしれない。
 ぼくと同じだ。彼女にも痛い現実はあって、ときにそこから攻撃をされ、傷つき悩んで迷う。痛々しいレナの姿を見ていると、そんな当たり前のことを思い知らされるようだった。
 とにかく、郷原は留置場の中に行ってしまった。彼が殴りかかってきた理由を確かめられるチャンスは、しばらくなくなってしまった。

「着いたよ、鎌倉。寒いのに人だらけだ」
 翌週の木曜日。前夜祭の当日は天気予報通りの快晴だった。朝に真っ青な空が見られたとき、ぼくはほっと胸をで下ろした。今日こそは大丈夫だ。
「とりあえず、めいげついんに向かうから、ちょっと待ってくれ」
 河原。ぼくは敷かれたレジャーシートに腰を下ろし、スマホで圭一郎からの報告を受けている。スピーカーホンにしているので、横の真夜にも声が届いている。
「こんな寒いのに、鎌倉って人気あるんだね」
「季節によって違う魅力があるからね。もうちょっと早ければ紅葉のピークだったんだろうけど、まあぜいたくは言えない」
 まだ朝の九時だからということもあるのだろう、河原にはぼくと真夜しかいない。両岸に建ち並ぶマンションの谷間、広大な空間にふたりだけでいると、時間の止まった世界にぼくたちだけが取り残されている感じがする。
 ぼくたちは肩を並べて、川を見ていた。それだけで、満ち足りた気持ちだった。あらかわが何千年も流れ続けているように、こんな時間がずっと続けばいいのに──。
「吉見くん」
「何?」
「〈見せてよ〉」
 はっとして真夜を見た。少しだけ挑戦的な〈ハンター〉の目が、ぼくに注がれていた。
「真夜にそれ言われるの、久しぶりだな」
「久しぶりに言ったからね」
「何が見たいの」
「アルト」
 即答だった。〈稲妻の日〉に、ぼくたちが助けた三毛猫のアルト。
 少しうれしかった。真夜が見たがっているものが、エアーズロックやストーンヘンジじゃなく、昔世話をしていた三毛猫だというあたりが。
「でも最近、空想をやってないんだ。〈力〉が、とても衰えてると思う」
「できないってこと?」
「どうだろう」
 上手くできるだろうか。目をつぶると、広大な暗い〈部屋〉が目の前に立ち現れた。
 無限のように広い闇の空間に、ぼくは目を凝らす。アルトを見たい。あの子はいま、この闇のどこの座標にいるんだろう。真夜のために、それを、見たい。感じたい。空想したい。
 やがて、ぼくはかすかにそれを感じた。広い〈部屋〉の奥の奥、無理やり距離にすると何十キロと離れた先に、ぽつりと〈窓〉が存在している。前は上手くいかなかったのに、ずっと真夜のことを見ているせいで〈力〉が戻っているのかもしれない。闇の中、ぼくは長い手を伸ばし、それに触った。
 最初に感じたのは、とっ、とっ、という、ゴムボールが地面を叩くような音だった。
 片方の前足のない三毛猫が、少し遠くに見えた。
 フローリングの床、ちょうど朝ごはんを食べようとしているのか、皿の上に盛られたカリカリに向かってアルトは歩いていく。四本足だったころのアルトは、雌猫らしい優美な歩き姿で公園をかつしていたけれど、いまのアルトはぴょんぴょんと兎みたいにはねていて、少し痛ましい。でも本人はそんなことは全く苦にならないというように、餌場に向かいカリカリを食べはじめる。
「アルト、元気だよ。二年前より体格が大きくなってる」
「そっか。首輪はしてる?」
 真夜の声が、少し遠くから聞こえる。
 空想を見ているときの感覚は、少し不思議だ。リアルなビジョンが目の前にあって、それを見ているぼくも同時に存在する。こっちとあっち、ふたつの世界に、半々で存在しているみたいな感じ。
「んー、してない。綺麗なフローリングのリビングの隅に餌場があって、ご飯を食べてるよ。すごい勢いでがっついてるなあ」
「アルト、食いしん坊だったからね」
「さくら耳だ、懐かしい。毛の色は、昔よりも濃くなった。いま食べ終えて、グーンって伸びをしてる。かんろくが出てきたけど、この仕草は昔と同じだ」
 アルトは器用にバランスを取りながら、後ろ足で首のあたりをぼりぼりとかく。三本足のアルトのこの動作は初めて見るのに、どことなく彼女らしさが感じられるのが不思議だった。彼女は二年前よりもさらに低くなった声で、ごちそうさまというように、長く鳴いた。
 ぼくは細かくその動きを描写し続け、触っていた〈窓〉から手を離した。再び闇が戻ってきたところで、目を開ける。いつもの河原が、目の前に広がった。
 真夜は目を閉じて、気持ちよさそうに呼吸をしている。アルトの姿を、自分の頭の中で再構成しているんだ。
 真夜が思い描くアルトは、二年前の姿といまのものが微妙に混ざっていて、ぼくが見たものとはかなり違うだろう。でもたぶん、幸せそうにご飯を食べたり、低い声で鳴いたりしているところは、同じだと思う。
 ぼくは、真夜が描いているイメージを想像した。真夜が見ているであろう、空想上のアルト。それをまた空想するのは、楽しい。真夜と空想を交わしあえていることがぼくは嬉しかった。
 そのとき、レジャーシートの上に置いてあるスマホが震えた。圭一郎からの着信だった。
「明月院、着いた。そろそろはじめるけど、いい?」
「うん、判った」
「充電はしてあるよね。ここまできて電池切れとか、しやにならないよ」
「大丈夫。父さんからモバイルバッテリーも借りてきた」
「オーケー。じゃ、配信はじめるか」
 真夜を見ると、もう目を開けていた。頷きあって、ぼくはレジャールシートに置かれている機材に手を伸ばす。
 それは、頭からかぶって使うタイプの、VRゴーグルだった。

〈VRのディスプレイに、三百六十度カメラで撮影した映像を配信するんだ〉
 圭一郎が出した案は、ぼくなんかでは思いつきもしないものだった。
 三百六十度カメラといって、すべての方向を同時に撮影できるカメラがある。その映像をVRディスプレイに配信すれば、遠くで起きていることをその場にいるかのように体感できる。ライブの配信なんかではすでに使われている仕組みらしい。
 ──でも、そんな機材、圭一郎が持ってるの?
 当然そのことが気になった。圭一郎は〈そこで涼子の出番だ〉と言って、紙を差しだした。
〈業者のサイトにあった、三百六十度カメラとVRディスプレイの貸しだし費用。思ったよりも高くない。早乙女の財力なら、なんとでもなるだろ〉
 圭一郎は冗談めかして言った上で、ちゃんと四人で割ろうと言った。
〈ぼくと隼人は、小遣いを使えばなんとかなる。涼子は大丈夫だろ? 吉見は足りなかったら──申し訳ないんだけど、涼子から貸してあげてくれないか。高校に入ったら、バイトでもなんでもして返すといい〉
 涼子の目が大きくなった。
〈涼子、勝手に話を進めてわりい〉
 隼人が引き取るように言った。
〈真夜を喜ばせたいんだ、力を貸してくれないか? 四分の一でいいからさ〉
 申し訳なさそうな表情だった。でも、隼人も圭一郎も、普段はこんなことを頼む人間じゃない。
 ぼくと涼子の会話を、立ち聞きしたんじゃないだろうか。
 隼人と圭一郎は、ふたりで鎌倉旅行の計画をしていた。お金もふたりで割るつもりだったのが、淳子の話を聞いて急にプランを変えたのではないか。お金に振り回され、価値観がじくれ、郷原に貢ぐことで生きがいを感じていた淳子。
 そのお金を、一度だけ、真夜のために使う。大切な親友を喜ばせるために使ってもらって、ふたりは涼子のわだかまりを解きたいと思っているんじゃないだろうか。
「おーい、かぶった?」
 スマホから、圭一郎の催促の声が響く。「ごめん、いまから」と応答して、ぼくはゴーグルをかぶる。
 ぼくの目の前に、石の階段が広がった。
 階段は狭く、カメラの横を登り下りする人が行き交っている。道の両端に微妙に紅葉が残った木々が生えていて、ゴーグルの両端のスピーカーから、雑踏の音が鳴り響いている。
 首を振ると、それに合わせて景色が動く。リアルだ。ぼくの空想ほど解像度は高くないけれど、充分に臨場感がある。
 棒に挿された球型の三百六十度カメラを掲げているのは、隼人のようだった。後ろを見ると、何段か下がったところで圭一郎がスマホを耳につけている。その横で、涼子がタブレットを見ながら何かを調べている。
「街の音がするなあ」
 真夜の声が、耳元から聞こえた。ゴーグルのスピーカーに耳を近づけているみたいで、その声の近さにぼくはドキドキする。
「河原にいるとさ、街の音って聞こえてこないんだよね。そうそう、こういう音だった。人が通りすがりにばら撒いていく声の断片とか、自動車のエンジンの音とか、葉っぱや草が風に揺れるざわざわした感じとか……。それがごちゃまぜになった音だ」
 ぼくが毎日、何も感じずに受け流しているものを、真夜は全身で味わっている。そのことに胸がうずく。
「おい吉見、はじめていいのか? いけないのか?」
 全くあいつは本当にマイペースだなと、イライラした口調で圭一郎が愚痴る。
「そろそろやろうか。あっちもしびれを切らしてる」
「うん、じゃあ、行くね」
 真夜が言った。その瞬間、気配が消えた。
「うわあ……」
 次の瞬間、の中から、真夜の声がした。
「見える見える。準備オッケー。吉見くん、うるさくない?」
「変な感じだけど、大丈夫。でも、あまり叫ばないでね」
 真夜は、ぼくと重なっている。

#32へつづく
◎後編の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます!


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