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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.32

【連載小説】この夜が、少しでも長く続きますように。真夜の解放前夜祭が始まった。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#32

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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 実体のない真夜に、VRゴーグルをかぶせることはできない。圭一郎と隼人が考えた方法は、ぼくがゴーグルをかぶり、真夜がぼくと重なってそれを見るというトリッキーな手段だった。
 重なるといっても、真夜の感触は何も感じない。ただ、真夜の息遣いだけがぼくの口元から聞こえてくる。真夜と重なったままつばを飲み込むのも気が引けて、感触はないのに不思議な違和感を覚える。
「真夜、準備できたみたい。出発していいよ」
 スマホに向かって言った。画面の中で、圭一郎が隼人に向かって頷くのが見えた。
「わっ! 動いた!」
 絶叫が、ガーンとぼくの脳天を貫いた。「すごい! 本当に歩いてるみたい!」興奮した様子でまくしたてた声は、耳をふさいでも身体全体に直接響く。
「真夜、だから大声出さないでって」
「あっごめん。つい──」
 まあ、真夜らしい。何かに夢中になると、ほかのことが目に入らなくなる。
 隼人が歩くにつれて、真夜のテンションは落ち着いてきた。ただ、景色が移り変わるのに合わせて小声でぶつぶつ言うのは収まらない。「すごいすごい」「うわあいいなあ」「やっばい。れい」少し気になるけれど、やめろと言っても無理だろう。
 鎌倉散歩のルートは、真夜のリクエストに従って涼子がまとめてくれた。スタートの明月院は、真夜がどうしても一度行きたかった場所だそうだ。〈本当は六月のヒメアジサイの時季がよかったんだけど〉と言っていて、そのころは明月院ブルーと呼ばれるあじさいの青に境内が染まり、かなり壮観らしい。
 ディスプレイの中では、鎌倉の風が穏やかに木々を揺らしている。それに同時に、こっちでもゆったりとした風が吹き、ぼくの頰を撫でていく。不思議な感じだった。同じ風じゃないのは判っているけれど、鎌倉とこの場所が、地続きでつながっているのを感じた。
「右見て」「上見て」「ちょっと立ち止まろうか」「あれなんだろう? 十歩下がって」「わ、枯山水だ。枯山水って宇宙だよねー」「ろうばいだ! ストップ! ちょっと、あそこにフォーカス!」「おおっ、兎小屋?」「ここの景色綺麗! 三十秒ストップ!」
 散歩が進むにつれテンションが戻ってきたのか、声量が大きくなる。そして、その指示がどんどん細かくなっていく。
 炎のようだと、思った。
 真夜の中には好奇心の炉があって、大きな炎が常に燃えている。そして何か目をかれるものがあると、火の手がさっと延びて対象に燃え移る。その量と速度が、ぼくのような人間とはまるで違う。真夜の炎は景色のあちこちを焼き尽くし、通ったあとには何も残されていない。
 真夜と重なってみて、そのことがよく判った。真夜は、現実からなんて多くのものを読みとっているんだろう。真夜の指示にめちゃくちゃに振り回されながら、ぼくは彼女の炎の強さと熱さに、少し感動していた。
「いよいよだね」
 隼人たちは、行列に並んでいた。
 明月院のメインは、本堂にある「悟りの窓」だ。人が通れるほどに大きい、丸窓。鎌倉散歩の話が最初に持ち上がったとき、真夜が真っ先に見たいと言ったものだった。
「でも、意外だな」
 向こうに指示だと取られないよう、スマホを口から離して言う。
「真夜って、歴史系も詳しかったんだ。完全に理系の人だと思ってた」
「いやあ、詳しくないよ。鎌倉の歴史も一度勉強したけど、ほうじようが何したとかよりともがどうしたとか、あんまり覚えてないし」
「じゃあ、どうしてここに?」
「丸窓が、見たかったから」
 真夜がすっと息を吸う。燃え盛る炉に、酸素を送り込むみたいに。
「去年、両親と一緒に京都に行ったんだ。うちの母こそガチの歴女でね、あちこちの神社仏閣をつれ回されて、一日中解説をされて、結構大変だったんだけど……最後に行ったのがげんこうあんってところだった」
「聞いたことないかも」
「ちょっとマイナーだからね。そこの本堂には、ふたつの窓があるんだ。『迷いの窓』と、『悟りの窓』」
「『悟りの窓』?」
「そう、同じ名前だね。源光庵の『悟りの窓』は真円で、『迷いの窓』は真四角なんだ。仏教では円相って言って、真円を描くことで色々なものを表現するんだよ。悟り。真理。あと──宇宙もね」
 宇宙。
「仏教は、ただの丸で、宇宙全体を表現しちゃう。それを聞いたとき、頭を殴られたみたいな衝撃だった。宇宙は気が遠くなるほど大きくて、それについて考えると怖くなるくらいだったのに、そんな巨大なものでも、丸ひとつで表現することができる。なんか、人間が宇宙を克服している感じがしたんだ。空想をする力は強いんだって」
「空想を……」
「そう。人間は途方もなく巨大な宇宙を、小さな丸ひとつの中に見ることができる。それが私たちの空想の強さだって、あの窓に教えてもらった気がした。だから、鎌倉のものも見たかったんだ」
 ぼくと重なりながらも、真夜は挑戦的な目で、ぼくを見ている気がした。
「吉見くんは、できるかな? 丸ひとつを見て、宇宙全体を感じることができるかい」
「……真夜は、どうなんだよ」
 聞き返したけれど、返事はこなかった。
 話しているうちに行列は進み、カメラは本堂の中に入っていく。畳と、赤いもうせん。木の天井と、白い壁。紅葉が色を撒き散らしていた境内に比べて、お堂の中は空間がコントロールされていて、秩序がある。こんとんにも秩序にも、それぞれ違った魅力があるんだなと思った。
 悟りの窓──。
 円形にくりかれた窓の向こうに、木に繁る赤や黄や緑が見える。
 かんぺきな秩序である真円と、混沌そのもののように見える自然が、ひとつの景色に境目なく同居している。
 それは、ぼくたちそのものに見えた。物理法則でコントロールされた宇宙の中に、ごちゃごちゃとしたイレギュラーなぼくたちが存在している。『悟りの窓』は、秩序と混沌が境目なく同居した、この世界の姿だった。
 その混沌の中には、真夜もいる。
 人類にはまだ理解できない次元にいる真夜も、確実に、この円の中に存在している。ごちゃごちゃとしたものの一部として。
 ──いつまでも、いてほしい。
 油断すると生まれる感傷を、無理やり抑えつける。自分の声に溺れたくなかった。いま、真夜と一緒にこの窓を見られる時間を、大切にしたかった。
「吉見くん」
 圧倒されていたように黙っていた真夜の声が、ぼくの口の中から聞こえた。
「綺麗だね」
 高尚な感想が出てくるんじゃないかと構えていたぼくは、少し笑ってしまった。でも、いい感想だと思った。真夜がぽつりと口にしたそれは、どこにでもいる、普通の中学二年生の女の子のものだった。

「なーんか、ぎゅっと詰まった一日だよなあ。いままで生きてきた中でも、一番詰まった一日かもしんねえなあ」
 ぼくたちは河原に寝そべりながら、空を見上げていた。
 鎌倉散歩のあと一回解散して、ご飯を食べてから河原に集合した。隼人は一日中歩き回っていたくせに誰よりも元気で、テンションが振り切れている。
「本当だね。あんなにたくさん回ってくれて、本当にありがとう」
「隼人、真夜が感謝してるって。たくさんの場所を回ってくれて」
「もっとあちこち行けたんだけどな。一日が四十八時間だったらなあ」
 涼子が「げ」と口にする。「次はあいつひとりにスマホとカメラ担がせて、歩き回らせよう」圭一郎があきれるように言う。ふたりは、真夜の好奇心と隼人の体力の犠牲者だ。
 本当に、たくさんの場所を回った。えんがくけんちようじでらといった古いお寺や、つるがおかはちまんぐう、大仏のあるこうとくいんといった有名な観光地、名前のついていない鎌倉の路地まで。
 そして、海だ。
 散歩の仕上げに、隼人たちははまに寄ってくれた。
 ちょうど夕焼けがはじまったころで、空も海も真っ赤だった。絶え間なく聞こえ続けている波のざわめきと、たまに空から降ってくるトンビの鳴き声が、海の音を作っていた。〈潮の匂いがする〉と、きゆうかくを失ったはずの真夜が言っていた。
 海の向こうのいなむらさきの岩陰に、一日の終わりを告げる真っ赤な太陽が沈んでいく。ぼくも、真夜も、カメラの向こうの三人も、あまりに美しい光景を前に、言葉が出なかった。
 でも、一日はまだ終わりじゃない。
 二十三時。ぼくたちは、並んで地面に寝そべっている。
 真夜が中心にいて、その左に涼子、そのさらに左に隼人。真夜の右にはぼくがいて、ぼくの右に圭一郎がいる。
「落ちた!」
 空を指先でなぞるみたいに、すっと流れ星が横切った。
 極大は四時くらいになるらしいけれど、もう気の早い流れ星がいくつか落ちている。単独で落ちる流れ星は、孤独な空の旅人みたいで、はかなさに胸がきゅっと締めつけられる。
 流星群を観察するときは、本当は観測する人と記録する人をひとりずつ決めて、観測者が流星の色や明るさ、流星痕の有無などを報告し、記録者がそれを書き留めるというのが本式の観察方法なのだそうだが、〈今日はただ空を見ようよ〉と真夜が言ってくれたので、ぼくたちはそれぞれの気分で空を見つめている。
 ただ、空が白っぽいことだけが、少し残念だった。
 河原の両岸にあるマンションから盛大に漏れ光が放たれていて、相変わらず空が明るい。流れ星は負けないように存在を主張しているけれど、空が暗ければ、もっとたくさんの流星が見えるはずだ。
 でもそれを言いだしたら、ここから動けない真夜を責めることにもなってしまう。そんなことよりも、この五人で同じ空を見られることのほうが大切だった。
「そうだ、忘れてた」
 突然、圭一郎が声を出した。
「絵、描いてきたんだった。吉見、これ真夜に渡してよ」
「え? 右手、もう治ったの?」
「左手で描いた。下手くそなラフだから、あとできっちり仕上げるよ」
 手帳を渡される。スマホの光をかざしてみると、鉛筆で描かれた絵が見えた。
 確かに、下書きだった。線はゆがんでいるし、細部が描き込まれていないので絵がスカスカだ。完璧主義の彼から、こんなものが出てくるなんて思わなかった。
 それでもぼくは、その絵を見ていて、胸が熱くなってしまった。
「見せて」
 覗き込んできた真夜が、はっと息をんだ。
 描かれているのは、今日回った鎌倉の景色だ。
 ページをめくると、お寺から名所、街角から海岸まで次々とスケッチが現れる。
 そのすべての絵の中に、真夜がいた。
 明月院で、梅の木を見つめている真夜。
 街角で、ソフトクリームをめている真夜。
 海岸で、沈む夕日をじっと見つめている真夜。
 圭一郎が表現してくれた、空想の光景。絵の中の真夜は、圭一郎たちと一緒に鎌倉の街を歩き回り、〈ハンター〉の目で街中の色々なものを見つめていた。
 ページをめくる。真夜は何も言わずに、食い入るように絵を見ている。その余白にあるべき圭一郎の線や色を、空想しているみたいに。
「吉見くん」
「ん」
たみくんに、ありがとうって伝えてくれる? とても嬉しいよって」
「それだけでいいの?」
「うん」
 嬉しくなると飛び上がって喜ぶ真夜が、少ない言葉だけでいいという。感動の深さが、伝わってくる気がした。
 沈黙が降りた。
 さっき落ちたひとつを最後に、流れ星は姿を見せない。
 流れ星の落ちない夜空も、いいものだった。冬空のあるじであるオリオン座はよく見えるし、冬の大三角形を作るシリウスとプロキオンとベテルギウスはこうこうと輝いている。冬の星空は一年で一番ごたえがあると言われるだけに、アルデバランやカペラといった暖かい色を放つ一等星もよく見える。白っぽい空に、抗議をするように。
 ぼくは時計を見た。そろそろ、二十三時半──。
「えっ?」
 突然、真夜が声を上げた。
 空が、ふっと暗くなった。
 劇的に、真っ暗になったわけじゃない。照明のつまみを少し動かしたくらいの、わずかな変化だった。でも、さっきよりも確実に闇が濃くなっている。暗い夜の到来を祝福するように、一条の流れ星がすっと空を横切った。
 マンションだ。対岸に建っているマンションが、照明を落としはじめていた。
「圭一郎だけに、いい恰好はさせられないからな」
 左の奥から隼人が声を上げる。真夜が身体を起こしてそっちを見た。
「いや、ここのところマンションの聞き込みしてただろ? それで、住人のみんなと仲よくなっちゃってさ。今日、ふたご座流星群がくるから、みんなで消灯して空を見ないかって色んな人に持ちかけたら、どんどん協力者が増えちゃって。組合で話しあって、周りの家にも呼びかけて、星空を見る会みたいなチラシを作って配布してくれて……」
 ぼくは身体を起こして、背後の土手を見た。こちら岸でも、暗がりに落ちたマンションのベランダに多くの人が出てきていて、みんな空を見上げている。望遠鏡を構えている人もいる。
 まだあかりがついている部屋も、思いだしたように灯りを消す。夜から、どんどん光が失われていく。空が、じりじりと暗くなっていく。
「昔の、河原だ……」
 真夜がつぶやいた。
「あのころもそうだった。明るい街の中でも、この河原だけは暗くて、星がよく見えて……」
 どんどん光がなくなっていく。夜を、闇がっていく。隣にいる真夜の表情も、もうよく見えない。
 さわさわと、川が流れる音が響いている。
 目が少しずつ暗さに順応していく。暗いところから明るいところに出る明順応に比べ、暗順応はすごく時間がかかるらしい。少しずつ、少しずつ、目が闇を見ることに慣れ、隠されていた星たちが、空ににじみ出てくる。
 おひつじ座が見えた。
 羊の尻尾しつぽにあたるボテインという四等星がなんとか見え、細長い星座が夜空に現れる。真夜と涼子のふたりが、それを共有しているのは、無言でも伝わってきた。
 真夜が幼いころの河原を思いだしているように、ぼくは諏訪湖の夜を思いだしていた。
 あの夜以来、久しぶりに、ぼくたちは同じ星空の下にいる。同じ仲間と、同じ星空を見上げている。
 でも、ぼくたちの集まりは、星座と違って、儚くてもろい。ぼくたちが次、星空の下で集まれることはあるのだろうか。
 圭一郎が、未完成のラフを見せてきた理由が、ようやく判った。
 右手が治ったら、彼はあの絵を描き上げる。納得がいくまで細部にこだわり、優れた芸術作品に仕上げるだろう。
 でも、それを真夜が見る機会はあるのだろうか?
 絵が完成するころには、もう真夜は──。
「また、見ようよ、真夜」
 不安を振り払うように、ぼくは言った。
「来月にはしぶんぎ座流星群がくるし、夏にはペルセウス座流星群がくるし」
「来年は火星食も、土星食もあるしね」
 意外にも、涼子がぼくの言葉に反応した。
「別にそんな特別なイベントがなくても、また集まればいいし。月を見るだけでも案外楽しかったりする」
「そうそう。隼人に頼めば、またマンションのみんなと話をつけてくれるよ。だろ、隼人?」
「まあなあ。こういうもんは二回目以降は盛り上がらなかったりするけど、なんとかなるだろ」
「だってよ、真夜」
 暗がりの向こう。空を見上げている真夜は、ふっと笑った。
「うん」
 嬉しそうな、寂しそうな、壊れものみたいな笑顔で。
 流れ星が落ちる。今日見たものの中で、ひときわ明るい星だった。大気圏に突入し、燃えながらしやくねつで落ちてくる流星は、光の塊のようだった。気がつくとぼくは、両手を握りあわせていた。
 この夜が、少しでも長く続きますように。
 この夜に、また戻ってこられますように。
 ぼくの願いを受け止めてくれるみたいに、夜は暗さを増していった。

#33へつづく
◎後編の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます!


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