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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.33

【連載小説】事故でも、事件でもない。真相に気付いた駿は、ある決意を固める。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#33

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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「さすがに眠いな」
 ぼくは隼人と歩いていた。
 朝の五時。冬は日の出が遅く、朝と言っても空はまだ暗い。最後に、飛行機のようにゆっくりと動く人工衛星の光を見て、全員感激したところで前夜祭は幕を閉じた。
入りてえ。さすがに冬の野宿は身体削られる。駿、風邪引いてないよな」
「いまのところ大丈夫だけど」
「鎌倉を歩き回った疲れが、なんかいまごろ出てきてるわ。俺ももう年かなあ」
 誰よりも体力があるくせに、よく言うよ。
 とはいえ、お風呂が恋しいのはぼくも同じだった。登校まで三時間と少し。身体を温めて、軽く寝よう。
「いよいよ明日だな」
 明日は、圭一郎のギプスが取れる日だ。
「隼人さ、〈子供〉は、見つかると思う?」
「さあな。似顔絵があれば、やれることは増えると思うけど」
「〈子供〉がこの辺に住んでなかったら?」
「遠くからきたって説か? それにも限度があるしなあ。ていうか、見つけなきゃ駄目だろ。真夜をあそこから解放するんだし」
 きっぱりとした迷いのなさに、ぼくは少し距離を感じた。
 しよせん隼人は、真夜のことが見えていないんだ。
〈子供〉が見つかって、真夜が河原からいなくなったとしても、隼人は少しは寂しがるだろうけれど、友達をもう一度失う深い哀しみなど持たない。だから、ここまで言いきれる。シンプルな原理で、正しい行動ができる。
 ああ、もう。
 こんなことを考えているのが、嫌になる。隼人が真夜を見ることができないのは別に彼のせいじゃない。ここまで骨を折ってくれた隼人に対してこんなことを考えてしまうことが、情けない。
「そういえばさ、全然関係ない話なんだけど、いいか」
 隼人があくびをしながら呟いた。
「昨日俺、寒くてあの辺走り回ってたじゃん」
 深夜の二時を過ぎたころ、隼人は若干飽きたのか〈少し走ってくる〉と三十分くらいジョギングに行ってしまった。
「サイクリングロードとか河原とか適当に走ってたんだけど、ちょっと気づいたことがあってさ」
「何?」
「あの河原のあたりって、木がないんだよな」
 眠気でもうろうとしているせいもあって、何が言いたいのかよく判らない。
「つまり、草むらはあるんだけど、木がない」
「だからどうしたの」
「真夜、枝を踏んづけてバランス崩したって言ってたんだよな。それで川に落ちたって」
 確かに、そう言っていた。木の枝を踏んづけ、バチッと枝が折れるような音がして、その瞬間に体勢が崩れたと。
「でもあの辺、枝なんか落ちてなくてさ。ちょっと不思議だなって思ったんだ」
 そう言われてみると、そうだった。
 真夜がいるあたりは、一面の芝生だ。土手を登って見下ろすたびに、黄緑の芝生に赤いパーカーがよく映えている光景が見えた。あのあたりは川沿いに草むらがあるだけで、確かに木はない。
 じゃあ、その枝はどこからきたんだろう?
「まあ、風に乗って飛んできたのかもしれないけど、だとしたら本当に不運だよな。風がもう少し強く吹いてたら、真夜はまだ生きてたかもしれないなんて……そう思って哀しくなった。そんだけだ」
 ちょうど分かれ道だった。じゃあなと言って、隼人が去っていく。ぼくは自分の家に向かって歩きだす。
 ぼくの頭を、隼人の言葉がぐるぐると回っていた。
 河原に木がない。こんなさいなことが、なぜ引っかかっているのか、自分でも判らない。確かにあの辺には木は生えていなかったけれど、踏んでバランスを崩すほどの大きな枝が風で飛んでくることだってあるだろう。
 ──いや。
 正確には、違う。真夜は、こう言っていたのだ。
〈たぶんあのとき、木の枝を踏んだんだと思う。バチッと枝が折れるような音がして、その瞬間に私はバランスを崩した〉
 真夜は、木の枝を踏んだ感触を覚えているわけじゃない。正確に言うと、バチッと枝が折れるような音がして、その瞬間にバランスを崩したと言っている。
 真夜が何かを踏んだにせよ、それは牛丼の入れもののような発泡スチロールかもしれないし、チラシのような大きくて薄い紙かもしれない。〈子供〉を助けようとして走る真夜は、パニックに近かっただろう。本当に木の枝を踏んだのかは、はっきりとしないんじゃないだろうか。
 一体何が、これほど気になるんだろう。
 気がつくとぼくは、マンションの前に着いていた。自宅に戻って気が抜けたのか、疲れがどっと出てくる。ぐるぐると回っていた頭の歯車が、ストッパーをまされたみたいに止まる。
 自分でも何が気になっているのか、よく判らない。もともとの睡魔に考えごとをした反動も加わって、ぼくの眠気は暴力的なものになっていた。とりあえずベッドに入って、少し寝よう。
 エントランスのかぎは、どこだっけ。リュックサックを肩から下ろしたとき、扉の向こうから父さんがやってきた。
「おお、駿。おかえり」
 父さんは趣味の釣りに出かけるところだった。ロッドを入れた細長いバッグを持ち、クーラーボックスをキャリーに載せている。
「おはよう。あれ、今日は休みなの?」
「有休だけど、半分仕事だな。取引先の部長と、泊まりで千葉の勝浦に行ってくる。趣味でもなんでも一生懸命やっとくと、仕事の役に立つこともあるんだよな……あ、母さん、朝早くから起こされて機嫌悪いから、お前も気をつけろ」
「はは。またアジフライ食べたいな。釣れたらでいいけど」
「釣れなかったら、港でしそうなやつを買ってくるよ」
 身もふたもないことを言って、父さんは駅のほうに歩いていく。一日のはじまりと終わりが交差して、新しい日に向かっていく父さんを見たらますます眠気が強くなった。
 家に入る。そろりそろりと歩いて、手を洗う。お菓子とおにぎりだけは食べていたけれど、さすがにおなかが空いた。ぼくはキッチンに入って、冷蔵庫の前に立つ。
 眠いし、おなかが空いた。ふっくらと揚がった甘くて香り豊かなアジフライをいますぐ食べたかったけれど、明日までの我慢だ。ぼくはなんでもいいから腹に入れようと、冷蔵庫を開けた。
 そのときだった。
 止まっていた頭の歯車が、ほんの少し動いた。
 冷蔵庫の中は、特に何か変なものが入っているわけじゃない。卵、牛乳、ソーセージ、野菜、調味料、お冷やご飯に、たぶん昨日の残りものの肉じゃが。何の変哲もない、いつも通りの冷蔵庫だ。これの何が気になるんだろう。
 ──ゴカイ。
 そうだ。父さんの釣り姿が、ぼくの中の何かと反応したんだ。
 父さんが釣りをはじめたころ、「ゴカイ事件」と呼ばれる騒動が起きた。生きのゴカイを冷蔵庫で保存していて、母さんが激怒したのだ。ミミズを食べた魚を食べるなんて、ミミズを食べているのと同じだ。
 それ以来、父さんは釣りにルアーを使うことになった。
〈それが、食いつくんだよ。不思議だよなあ。魚が色をどう見てるかは判らんが、暗い海の中だと目立つのが大事なのかもしれないな〉
「ルアー……」
〈人間の世界も同じだなと思うよ〉
 気がつくと、ぼくはうろうろと歩いていた。真夜が、考えごとをするときのように。
 予感がした。真夜の事故の、何かが判りかけているという予感。でも、それだけじゃない。それに気づいてはいけないという不吉な予兆も、同じくらい感じている。
 ぼくの中に、真夜がいた。ぼくは自分の中の真夜を通じて、物事を考えていた。こんなとき、あの子なら、何をどう考える?
 ルアー。釣り。
 この単語が、あの事件の何かと響きあっている。
 真夜が見た、茶髪の少女。あの子のアバターが、頭に浮かぶ。
「枝の音……」
 呟いた瞬間、何かがぼくの中で瞬いた。
 ルアー。釣り。子供。枝の音。
「まさか……」
 あいまいに見えていた点と点が、心の中で線を結びはじめる。闇夜にゆっくりと、星座が浮かび上がるように。
 その形がはっきりするにつれ、ぼくは確信をどんどん深めていった。どうして気づかなかったんだろう。いままで、気づいてもいい局面はたくさんあった。材料は全部、ぼくの手元にあったというのに。
 ──あれは、事故じゃなかったんだ。
 でも、事件でもない。正確に言うと、それは──。

#34へつづく
◎後編の全文は「カドブンノベル」2020年9月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年9月号

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