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連載

心に刺さったこの一行 vol.8

宮田愛萌の「心に刺さったこの一行」――『去年の雪』『ほんとはかわいくないフィンランド』より

心に刺さったこの一行

忘れられない一行に、出会ったことはありますか?

つらいときにいつも思い出す、あの台詞。
物語の世界へ連れて行ってくれる、あの描写。
思わず自分に重ねてしまった、あの言葉。

このコーナーでは、毎回特別なゲストをお招きして「心に刺さった一行」を教えていただきます。
ゲストの紹介する「一行」はもちろん、ゲスト自身の紡ぐ言葉もまた、あなたの心を貫く「一行」になるかもしれません。

素敵な出会いをお楽しみください。

宮田愛萌の「心に刺さったこの一行」

ゲストのご紹介


photo by Koishi Kenta


宮田愛萌(みやた・まなも)
1998年4月28日生まれ、東京都出身。2023年2月、現存する日本最古の和歌集『万葉集』をモチーフにした小説集『きらきらし』(新潮社)を上梓し小説家デビュー。
2024年4月に『あやふやで、不確かな』(幻冬舎)を刊行。

【最近出会った一行】江國香織『去年の雪』(角川文庫刊)より


 この連載で取り上げた本は、少し前から私の本棚で私と苦楽を共にしてきた本たちであったが、そろそろ新しい本、つまり読んだことのない本で書こうかなんて思いながら本屋に行った。買った本を持って本屋を出ると、明るかったはずの外がもう暗くなっていた。スマホで時間を確認すると、いつの間にか四時間も経っていて、本屋とは恐ろしい場所だなと思う。
 この時私が買ったのは江國香織さんの『去年の雪』だった。単行本の方は家にあり既に読んでいるので、もちろん文庫本の方だ。「どうして」と問いかけてみるも、「だって欲しかったんだもん」としか私は言わず、欲しかったなら仕方がないと私はこの本について書くことになった。
 江國香織さんを好きになったのは十歳の時だった。人生の半分以上を江國香織さんが好きと言って生きている。なにが好きか、どこが好きか、っていちばんはやっぱり文章が好きだ。ひらがなと漢字のバランスも、表現も、句読点の位置さえ美しい。
 この『去年の雪』は不思議な物語である。老若男女、人ではない生き物、本当にたくさんの存在の日常を描いている。ほんの数ページの短いその日常の物語たちは、細いテグスのようなもので柔くつながっている。短いからこそ描かれていないところが雄大に広がり、つながっているから世界がほんの少しだけ限定されている。広いのに狭い世界、なんていかにも現実らしい。そう私は思っている。
物語のなかで、カメラマンであるみのりが昔付き合っていた男について、カツカレーを食べながら思いだす場面がある。
「男の顔も身体つきももはやぼんやりとしか思いだせないが、あの男の身につけていた根拠のない自信だけは、なんとなく微笑ましいものとして憶えている」
この文章は、内容も好きだが、特に「もはや」の位置が好きだった。「も」の音がふたつ重なって柔らかな音になるのもいい。ぼんやりとしか思いだせない曖昧さと、微笑ましい感情の柔らかさは、いかにも「も」という音のようだと思いませんか? それから、根拠のない自信という辛辣にも聞こえる評価が、この文章のなかに入れることでスパイスとなる。ただ淡いだけの記憶の輪郭が見えるような気がしてくる。
私のなかにある「江國香織の世界」とはきっとこの淡さなのだろう。
私が人に言うあまり伝わらない誉め言葉のなかに、「夢を見ていると思いながら生きていたら人生が終わると思っていたのに終わらない感じのする」、というのがあるが、結構この物語にぴったりなのではないかと思っている。

【忘れられない一行】 芹澤桂『ほんとはかわいくないフィンランド』(幻冬舎文庫刊)より


 小学生のころ、フィンランドに行きたいと思っていた。当時好きだった本がフィンランドのお話で、その本のあとがきにフィンランドではまだ続きがあると書いてあったからだ。当時の私はおそらく活字中毒ならぬ物語中毒で、何が何でも続きが読みたいと思った。だから翻訳家になろうと決意した。中学に入り、英語もフランス語も苦手だったため「私には日本語が向いている。日本で生きよう」とその夢はあっさり諦めるのだが、なんとなくフィンランドと聞くと今でもそわっとしてしまう。
 芹澤桂さんの『ほんとはかわいくないフィンランド』は、その私のそわそわを少しでも解消してくれるのではないかと思って読んだ本だった。フィンランドで暮らす著者が、フィンランドについて実際に感じたことを綴っているエッセイで、読めば読むほどフィンランドって面白いなと思う。特に食生活は、私のそれとは大きく異なるため、珍しさに読みながら「ほお」と声をあげてインターネットで調べたりなんかもした。特に「プーロ」(フィンランドではメジャーな朝食)は聞いたこともなく、見ればああとなるけれど、食べたことはないような気がする。やはり、文化の違いというものは面白いなと思った。
 他にも、フィンランドには「トントゥ」という妖精がいるらしい。それは至るところにいて、人々の生活のなかに棲みついているようだった。特にクリスマスの前になると「ヨウルトントゥ」というサンタクロースの助手の妖精を模した人形を飾る家も多いそうだ。ここで語られた、著者の近所に住む顔見知りの子どもたちが、もうトントゥを見かけたかと著者の夫に尋ねられた時の返事が私はすごく好きだった。
「飾ってれば仲間がいると思ってそのうち来ると思う」
 妖精の存在を信じているとか信じていないとかではなく、トントゥがいるということが当たり前でないと出ない言葉だと思う。それにこの一言で、トントゥは複数で過ごすことが多いのかもしれない、と考えられていることまでわかる。とても良い。私は特に日本の妖怪や昔話や神様の話が好きなので、人々の生活に気がつけばいる、人でない存在の話には無条件でテンションが上がってしまう。日本だとあまりトントゥのような存在は聞かないが、存在を信じているかどうかという部分に関しては、節分には鬼を豆で払っておこう、というイメージが近いのではないだろうか。なんかちょっと違うかな。まあ、違いはあれど、きっと思考の面で共通する部分もあるんだなと思う。
 いつかクリスマスの時期に、サウナ好きの友人でも誘ってトントゥを探しに行くのも良いな、と私にしては半分くらい本気で思っている。鞄にヨウルトントゥの人形をつけていれば、仲間がいると思って、私のところに来てくれないだろうか。

書籍情報



『去年の雪』(角川文庫刊)
著 者: 江國香織
発売日:2023年02月24日

降り積もっては消えゆく人生のかけら。世界はきっと、ここだけじゃない。
双子の姉妹、千奈美と真奈美は2人だけにしか聞こえない声を聞くことがある。事故で死んだはずの謙人は、気がつくと数百年前の見知らぬ家の中に佇んでいた。黒猫のトムは、住み慣れた家の中に時々現れる別の世界を知っている……。100人を超える”彼ら”の日常は、時代も場所も生死の境界をも飛び越えて、ゆるやかに繋がっていく。
江國香織ワールド全開! この世界の儚さと美しさが詰まった、ちょっぴり不思議で愛おしい物語。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322207000263/
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『ほんとはかわいくないフィンランド』(幻冬舎文庫刊)
著 者:芹澤 桂
発売日:2020年06月11日

気づけばフィンランド人と結婚して、ヘルシンキで子どもまで産んでしまった。暮らしてみてわかった、ちゃっかり賢く、ざっくり楽しい、フィンランドの意外な一面。裸で大事な会議をしたり、いつでもどこでもソーセージを食べたり、人前で母乳をあげたり……。ちょっと不思議でなるほど納得。「かわいくない北欧」に笑いがこぼれる赤裸々エッセイ。


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