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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.19

【連載小説】生死を賭けた闘いを生き延びた遣唐使・井真成は、仲間たちと共に杜子春に率いられ、旅に出る――。夢枕獏「蠱毒の城――月の船――」#95〈前編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

遣唐使の井真成は、閉ざされた城内での殺し合いに参加した。心強い仲間を得て、襲い掛かる銭惟演を打ち破る。城内ではかつて人間を贄に使った蠱毒という呪法が行われ、自分たちの殺し合いもまた蠱毒であったのだ。戦いの後、生き残った十二名を含む四十九名は杜子春という青年と共に旅に出る。一行は常羊の地の屋敷に立ち寄った。呼び出された真成は、太公望の針を探すよう命じられる。そして時代は遡る。邯鄲では飢えた人が人を喰らっていた⋯⋯。

(二)

 女は、子供を溺愛していた。
 まだ、このようになる前は、それこそほんとうに頭からまるかじりしてしまうのではないかというほどだった。
 子供の名前は、たんといった。
 四歳だった。
 昨年、会った時は三歳で、女に似てわいかった。
 歩けるようにはもちろんなっていたが、走ればよく転ぶ子供だった。転んでも可愛い。泣いても可愛い。くそ、小便をする姿も可愛かった。
 他人のせいが見てもそうだったから、女にとってはなおさら可愛かったことであろう。
 それが、今は瘦せ細って、手足は枯れ枝のようになっている。
 この前捕らえた子供の肉で、なんとか十日ほど食いつないだ。
 子供の肉の一部を市場へ持っていって、わずかな野菜と交換した。
 それでも、盧生と、女と、女の子供の簞と三人で、なんとか十日だ。
 簞は、自分が食べているのが、人の肉であるとは、ましてや子供の肉であるとはわかっていない。
 女が、家の中で簞をあやしている間に、庭で、盧生が子供の身体からだを解体する。そして肉だけにして、髪の毛や骨は、庭に埋めるのだ。
 調理は、女がやった。
 そうすることにいつの間にか決まったのである。
 塩漬けにしておいた、その子供の最後の肉がなくなったのが、三日前だ。
 簞が、ひもじいと、泣く。
 女は、早く次の肉をと、盧生をせっつく。
 しかし、そういつも、子供に出合えるわけではない。下手をすれば、誰かに襲われて、自分が食われてしまうかもしれないのだ。
 役人たちは、見て見ぬふりだ。
 役人たちだって、人の肉を食っているのである。自分のことにせいいっぱいで、他人のことにかまっている暇はない。
 盧生は、寝台の上にあおけになって、考えている。
 深夜だ。
 閉じた窓の透き間から、細い月光の筋が、部屋に差し込んでいる。
 眠ろうとしているのだが、ひもじくて眠れないのだ。
 寝返りを打てば、肩や腰の骨が、寝台にあたって、そこが痛い。
 明日こそは、食いものを調達せねばならない。
 このまま何も食わねば、八日はもたないだろう。この三日間で、腹に入れたのは水だけだ。あと五日は、水で生きていられるだろう。そのあとの三日は、もう動けない。この寝台の上に横たわって、死を待つだけになる。
 ただ、食料を手に入れるには、あと二日、明日かあさって中でなければならない。
 三日目だと、もう、家からって出ることだっておぼつかない。
 それにしても、どうしてこんなことになってしまったのか。
 女だ。
 あの女がいけない。
 ついつい、金がないまま、ちゆうてんに居ついてしまったのだ。
 宿代がなかったのだ。文無しのすっからかんで、うそをついて、支払いを先のばしにしていたのだ。
「五日後には、親類が銭を持ってやってくる」
 その五日後には、
「ここへやってくる途中で、親類は病気になって、どこそこでふせっている。治ったら、必ず来ると言っている」
 そう言いわけをする。
 すぐに噓とわかる言いわけだった。
「それなら、働いてもらうよ」
 女に言われて、壺中天で働くことになったのだ。
 それまで働いていた者に、暇を出して、ただで、つまり賃金なしで働くことになった。
 部屋は、建物の隅の、物置のようなところに移された。
 簞の面倒を見たり、洗濯をしたり、買い出しに行ったり、まきを割ったり、皿を洗ったり、客の出たあとの部屋の掃除など、やることはいくらでもあった。
 それほど、苦痛な仕事ではなかった。
 学問の道は、挫折した。
 進士の試験に合格し、役人になり、大官の地位を得ることなど夢のまた夢だ。万の兵を率いる大将となるのは、あり得ぬことだとわかった。挫折したのに、苦しまぎれに、猟などしながら、いつかひとかどの男になってやるつもりだとうそぶいていたのが、あの道士に、夢を見せられて、人の世のはかなさに気がついた。
 しかし、気がついたからといって、何がどう変わるということもない。
 家に帰らず、壺中天に居ついてしまったのは、その家すらも、人手に渡ってしまったからだ。
 それから、もうひとつ──壺中天のあるじである女を、好ましく思うようになってしまったからだ。
 このまま、ここに居ついて、こうやって働きながら、女と暮らすのも悪くない──そう思うようになっていた。
 しかし、どうやら、女の方にはその気がない。
 他に、男がいるわけでもないというのは、ここに居つくようになってわかったのだが、しかし、これだけ美しい女に、いくら子供がいるとはいえ、男がいないのも不思議だった。
 女と暮らすうちに、もんもんとなった。
 このままでは、いつか、女を襲ってしまうのではないか。
 しかし、そうなったら、ここにはもういられなくなる。力ずくでもどうにかなってしまえば、女が自分になびいてくれるのではないかと思わぬでもなかったが、そうでなければ、ここにはいられない。
 そうなったら、どうやって暮らしてゆけばいいのか。女に会えなくなったら、どうすればよいのか。そんなことを考えていると、何が何やらわからなくなって、狂いそうになる。
 そういう時に、しんかんたんを囲まれたのだ。

後編につづく
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