孫の千代太の親友・勘七が顔に痣を拵えてきた。子供達の喧嘩のわけとは。#1-2
西條奈加「隠居おてだま」
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※本記事は連載小説です。
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「この、ぶわっかもんが!」
顔を見るなり、徳兵衛は容赦なく声を放った。叱ったのは、勘七ばかりではない。喧嘩の相手は、商い仲間の瓢吉だった。ふたりを正座させ、とっくりと説教する。
「
子供たちの参詣案内は、商売
いまは千代太屋の看板を掲げ、瓢吉と勘七が頭分として境内の商いを差配し、千代太は目付役として、勘定のとりまとめや商いの段取りなぞを手助けしている。
案内商売を実で回すふたりが、境内でこうも派手な喧嘩をやらかすとは、番頭ふたりが、店先でとっくみ合いをしでかすに等しい。徳兵衛にしてみれば言語道断である。
徳兵衛の説教は、長い上にしつっこい。
「まったく、顔に痣まで作りおって。そんな無様な姿では、商売もできんぞ。先に手を出したのは、どちらなのだ?」
「おれです、すんません……」と、瓢吉が肩をすぼめる。
喧嘩の理由をたずねると、瓢吉は素直に語り出した。
「とびきりの上客を見つけたんだ。札差の旦那でよ、しかも、わざわざあちらさんから案内を乞うてきたんだぜ。王子権現の境内には、評判の子供案内があるとの
「そのときはおれにも客がいた。だから断ったんだ」
畳を
「勘の客は、婆さんひとりだろ。ふたり増えたって、構やしねえじゃねえか」
「てめえばかりがいいとこ取りして、余分の客をおれに押しつけようとした。瓢が札差とまとめて案内すりゃ、済む話じゃねえか」
「相手は金持ちだぞ。身を入れて世話をすりゃあ、儲けもぐんと上がるだろうが」
「上客はてめえが取って、余計はおれにふる。いかにも
「勘! その言い草ばかりは、許さねえぞ!」
はからずも諍いの再現となり、またぞろ殴り合いになりそうな
「やめんか、ふたりとも!」
「喧嘩のわけは、了見した。勘七、何か言うことはないか?」
「何も……おれは本当のことを言ったまでだ」
ぷい、と
「まだ言うか。おれは守銭奴じゃねえぞ! いや……前はちょっと、そういうところもあったけどよ。でも、いまは改心して、皆で千代太屋をはじめたんじゃねえか。だいたい、儲けは皆で分け合うんだ。だったら稼ぎが多いに越したことはねえし、だからおれは……」
瓢吉の声が尻すぼみになって、ぐしっと
瓢吉には、悔いと反省が素直に表れているが、勘七には殊勝な
この顔には、覚えがある。ちょうど一年ほど前になろうか。
懐かしさも交えて、つい視線が張りついたが、当の勘七は
「何だよ、じさま。じろじろ見るなよ」
「まるで出会った頃の、おまえに戻ったようだの、勘七」
出ていった父親、貧しい暮らし、
棘だらけの塊を、そっと両手で大事にすくい上げたのは、千代太だ。
やがて母のおはちが、組紐師として五十六屋で働きはじめ、ようやく暮らしが落ち着いた矢先、父の榎吉がふいに現れた。芽生えはじめた子供の自我と、衝突を起こしてもおかしくはない。
榎吉とおはちの夫婦には、別の懸念もある。こればかりは、他人が口を挟めぬ領分だ。
「そろそろ手習いが始まる頃合か。もうよい、行きなさい」
瓢吉はぺこりと頭を下げたが、勘七は最後まで頑なを崩さなかった。
▶#1-3へつづく