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連載

西條奈加「隠居おてだま」 vol.1

楽隠居生活を送るはずが、商いに手習いに大忙しの徳兵衛。「隠居すごろく」続編開始!#1-1

西條奈加「隠居おてだま」

※本記事は連載小説です。

一 めでたしの先

「秋深き、隣は何をする人ぞ」
 しようの句を、つぶやいてみる。中秋も過ぎた八月の終わり、秋は確実に深まっている。
 隠居家の縁側から見える田んぼは、黄金色に変わりつつあり、かえでの葉なぞはまだ青いが、銀杏いちようこずえは黄と緑が交じり合う。
 空はすっきりと晴れ、秋のさわやかな空気はさらさらとして心地良い。
「うむ、実にすがすがしい。もっとも隣は、田畑ばかりではあるがな」
 とくが、がも村に隠居家を構えて、一年とふた月余り。本来は、こうして季節の移り変わりをで、ふうな余生を送るためのついすみとなるはずだった。
「まったく、ずいぶんと当てが外れたものよ。いったい、誰のせいやら」
 風流にはまったく向かないおのれの気性が、いちばんの見当違いであるのだが、ここまであわただしい始末となったのには、他にも理由がある。
「おじいさま、ごきげんよう」
 背中から声がかかり、ぎくりとした。
「おお、か、よう来たな。今日はずいぶんと、早いのではないか?」
「うん、おじいさまに相談があってね、手習いの後、ひるを食べずに来たんだ」
 それだけで、心の臓がどきどきと打ちはじめ、嫌な予感に駆られる。
「まさか、また何か、拾ってきたのではあるまいな? 言っておくが、犬猫は駄目だぞ。うちにはすでに、シロがおるからな。それと、人もいかんぞ。すでにこの家には、二十を数える者が出入りする。これ以上は増やすゆとりなぞ、どこにもないぞ」
「嫌だなあ、おじいさま。千代太はもう九歳です。子供ではありません」
 にこにこと、実に愛らしい笑みを向ける。祖父として、目に入れても痛くないほど可愛い孫であるのだが、あいにくと千代太には悪癖がある。何でも拾ってくる癖である。
 最初は犬の白丸だった。次いで仔猫を三匹、こちらはどうにか退しりぞけることができた。ほっとしたのも束の間、遂にはとうとう子供を拾ってきた。いや、千代太にしてみれば、友達として連れてきたのだ。
 最初は兄妹二人、それが六人に増え、いまや十五人である。さらにはその親の面倒にまで首を突っ込む羽目になり、優雅な余生の目算は、見事に泡となって消え失せた。
 この隠居家では、『ろく屋』と『千代太屋』、ふたつの商いを回しており、『まめじゆく』という手習所も開いている。
 五十六屋は、徳兵衛自身が手掛けるくみひも屋であり、千代太屋は孫たちが営む子供商いであるのだが、相談役として結構な頻度で駆り出される。豆塾は、妻のおに任せているが、ついえはやはり徳兵衛が見ている。我ながらなかなかのはちめんろつな仕事ぶりで、これ以上のもんちやくが入る隙間などない。
「で、千代太……相談とは?」
 怪談話をきくような面持ちで、孫にたずねる。
かんちゃんがね、このところおかしいんだ」
「なんだ、かんしちの話か。おどかすでないわ」
 思わず、どっと息をつく。勘七は、千代太が最初に拾ってきた子供、もとい親友とも言うべき仲良しである。勘七は千代太よりひとつ上の十歳、妹のなつは六歳になった。
「おかしいとは、浮かれているということか? まあ、三年ぶりに父親が帰ってきたのだからな、無理もあるまいて」
「それなら坊も心配しないよ。最初のうちはね、お父さんが帰ってきて嬉しそうにしてたんだ。勘ちゃんは、素直に口にはしないけど、頰がふくふくしてたもの」
 なのにいつからか、だんだんと元気がなくなってきて、いらいらが顔や言動に出るようになった。千代太も薄々は感づいていたが、ここ数日は、あからさまになってきた。
ひようちゃんがね、やっぱりおかしいって。ちょっとしたことでみついてきたり、やたらと怒りっぽくなって勘ちゃんらしくないって」
 勘七を含む十一人の子供たちは、午前のうちはおうごんげんけいだいで、参詣案内をしている。ひようきちは仲間のひとりで、勘七とともに頭分を務めていた。
 王子権現は江戸の名所とされ、桜で名高い飛鳥あすかやまようしているだけに、さんけいさんの客でにぎわっている。自らかせがねばならない身の上の子供たちは、広い境内を案内し、荷物持ちやら茶店の手配やらをこなし駄賃を稼いでいた。
「あれの父親が戻ったのは、七月の終わりであったから、そろそろひと月ほどが経つか」
「また一家四人で暮らせるようになって、めでたしめでたしって思ってたのに」
「そうだな、昔話のようには、いかぬものかもしれぬな」
 たいがいの昔話は、めでたしめでたしで終わるが、それはあり得ない。どんなに平穏無事に見えても、人が生きていく限り波風は必ず立つものだ。
「勘ちゃんはもしかしたら、怖いんじゃないかな」
「怖いとは、何がだ?」
「お父さんが、またどこかに行っちまうんじゃないかって。坊も父さまが行方知れずになったとき、怖かったもの」
 千代太の眉が、悲しそうに八の字に下がった。
「たった一日で帰ってきたけれど、その後もね、父さまがいなくなる夢を何度も見たんだ。勘ちゃんは三年もお父さんと離れていたから、きっともっともっと怖いだろうなって」
 なるほどな、とあごをなでた。男の子にしては優しすぎるきらいはあるものの、人を思いやる性質は、孫の長所でもある。
「だからね、おじいさま。勘ちゃんのお父さんを、『五十六屋』で雇ってほしいんだ。お父さんとお母さんが、ここで一緒に働いていたら、勘ちゃんも安堵できるでしょ?」
 五十六屋をはじめたきっかけは、勘七の母、おはちだった。夫のえのきちとともに、夫婦そろって組紐師をしていたが、さる悶着から榎吉は家族を置いて家を出た。残されたおはちは組紐仕事すらできなくなって、いっときはずいぶんと荒れていた。酌婦として雇われたものの酒浸りになり、ふたりの子供は放ったらかしだった。
 そのあいだ、小さな肩で一家を支えていたのが勘七だった。妹の面倒を見ながら、参詣案内でわずかな日銭を稼ぎ、それでも暮らしは貧しくなる一方だ。そんな生活が、二年も続いたのだ。一年前、この隠居家で、おはちが再び組紐をはじめてからは、少しずつ暮らし向きは落ち着いたものの、未だばんじやくとは言い難い。
 父親がふいに戻ったからといって、めでたしめでたしで済むはずもない。知らず知らずのうちに溜めていた恨みつらみがこびりつき、千代太が言うような不安もあろう。それがほんのひと月で、消えるはずもない。
 それともうひとつ、徳兵衛には気掛かりがある。勘七の苛立ちとどうつながっているかはわからないが、多少の関わりはあるかもしれない。
「ねえ、おじいさま、きいてる? 一日でも早く、勘ちゃんのお父さんを五十六屋に……」
「千代太、その話は、しばし待て」
「どうして?」
「どうしてもだ。色々と、ことわりがあってな。おいそれと、進められぬがある」
「しばしって、どのくらい待てばいいの?」
「だから、そうくなと言うておる。急いては事を仕損じるというからな」
「遅きに失する、とも言うでしょ? このままじゃ、勘ちゃんがいつかはじけちまいそうで、案じられてならないんだ」
 孫の予見は、見事に当たった。
 勘七が、顔にいくつもあざこしらえてきたのは、わずか半時後のことだった。

▶#1-2へつづく


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