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連載

河﨑秋子の羊飼い日記 vol.5

【連載第5回】河﨑秋子の羊飼い日記「チーズ屋のジレンマ」

河﨑秋子の羊飼い日記

北海道の東、海辺の町で羊を飼いながら小説を書く河﨑秋子さん。そのワイルドでラブリーな日々をご自身で撮られた写真と共にお届けします!
>>【連載第4回】河﨑秋子の羊飼い日記「家畜たちのグレイトジャーニー」

 私の家では酪農家として生乳を出荷するかたわら、チーズの製造販売もしている。いわゆる農家チーズというやつだ。自分の家で搾った牛乳を敷地内の小さな工房に運び、私の母がよいしょよいしょと手作りする。牧場自体が家族経営の小さなものだから、常連さんの注文に応えるほかは地元で売るだけで精一杯だが、常連さんからはありがたいことに“牛乳の味がする”と好評だ。
 さてそんなチーズ。小さい工房特有の問題が時々発生する。お客様優先のため、自家消費用がなくなることがあるのだ。
 例えば牛の搾乳中。「そうだ朝ごはんはチーズパンにしよう」と思い至って空っぽの胃をチーズ受け入れ態勢に整えていたとしても、ようやく仕事を終えて帰宅し冷蔵庫を開けると、チーズがない。たまらず母に聞く。
「あのさ、チーズない? パンに乗っけて焼きたいんだけど」
「え、ないよ」
 当然でしょ、みたいに言われては空腹で沸点が低下している私は当然キレる。
「はい!? チーズ屋なのに家族が食べるチーズないとかどういうことさ!」
「注文された分でちょうどなくなったんだからしょうがないしょや! あんただって羊肉、全部卸しちゃうじゃないのさ!」
「だ、だって! 今回は少し残るかな、と思って先方に連絡入れたら、『まるまる一頭分ください』って言われたから!」
「ホラ人のこと言えないべさ! お母さんだってたまにはうちの肉でジンギスカン食べたいよ!」
「それは私だって食べたいけども!」
 …などと、自家生産タンパク質を巡り、アラフォーとアラ古希による非常に大人げない親子喧嘩が勃発するのだ。
 商売というのはお客様優先。それは揺らぎようもない。ただし、生産者はその製造物が好きだから製造しているのだ。食べたい。でも品切れ。こうして発生するジレンマには、ただ空腹をグルグル言わせつつ耐えるしかない。…農家の商売というのは、時に切ないのだ。

 
 
河﨑秋子(かわさき・あきこ)
羊飼い。1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。大学卒業後、ニュージーランドにて緬羊飼育技術を1年間学んだ後、自宅で酪農従業員をしつつ緬羊めんようを飼育・出荷。
2012年『北夷風人』北海道新聞文学賞(創作・評論部門)受賞。2014年『颶風ぐふうの王』三浦綾子文学賞受賞。翌年7月『颶風の王』株式会社KADOKAWAより単行本刊行(2015年度JRA賞馬事文化賞受賞)。


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