科学、犯罪、人間ドラマ。ミステリーの枠を拡大し続けてここまできた。東野圭吾の11作品、怒濤のレビュー企画⑩『ラプラスの魔女』
全部読んだか? 東野圭吾
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全部読んだか? 東野圭吾――第10回『ラプラスの魔女』
数ある東野圭吾作品。たくさん読んだという方にも、きっとまだ新しい出会いがあります。
『超・殺人事件』刊行に合わせ、角川文庫の11作すべてのレビューを掲載!
(評者:西上心太 / 書評家)
本書は、東野圭吾作家生活30周年記念作品として、2015年に書下ろしで角川書店から刊行され、2018年に文庫化されたものだ。
東野圭吾のデビュー作はいうまでもなく第31回江戸川乱歩賞受賞作の『放課後』である。この作品で目を瞠らされるのは、選考委員からは否定的に語られた、時代を先取りした犯行動機にあった。これは当時ミステリー好きの若者だった筆者の腑に落ちるものだったことを記憶している。
デビューからの3作品は学園ものだった。だがそれ以降、東野圭吾は一つのレッテルを貼られることを厭い、トリッキーな本格ミステリー、ユーモアもの、科学系ミステリー、SFの道具立てを用いた作品、犯罪小説、人間ドラマで読ませる作品という具合に、次々とバラエティに富んだ作品を発表していった。現在ではデビュー35周年になるが、「ミステリーの枠を広げる」という自身の発言を実践し続けて、ここまで来たといえるだろう。
本書はこれまで東野圭吾が手がけてきたさまざまなジャンルの要素が含まれた、30周年記念にふさわしい豊饒な作品となっている。
赤熊温泉の山道で、妻と旅行中だった映像プロデューサーの水城義郎が、火山ガスに含まれる硫化水素による中毒で死亡した。積雪のある12月には珍しい事故であり、ふだん危険がほとんどない場所でもあった。
麻布北署の中岡祐二はそのニュースに注目する。3か月ほど前に、義郎の母・ミヨシから署に手紙が届いていたからだ。財産目当てで結婚した妻の千佐都が、息子の死を画策することを心配しているという内容だった。中岡は年明けにミヨシに連絡を取ろうとするが、彼女は息子の死亡から間もなく老人ホームで自殺していた。ホームに赴いた中岡は、遺品整理にやってきた千佐都と出会い、彼女が義郎の死に関与していることを確信する。中岡は事故を調査した大学教授の青江修介に他殺の可能性を訊くがその可能性がほとんど無いことを告げられる。
それから間もなく、那須野五郎という売れない役者が苫手温泉の遊歩道で、やはり硫化水素による中毒で死亡する。地元の新聞社から依頼を受け調査に赴いた青江は、赤熊温泉で見かけた若い女性と再び出会った。羽原円華という名前のその女性は、若い男性の行方を追っているようだった。
死亡した二人が映像業界の人間ということに興味を覚えた青江は、二人と関わりの深い人物がいたことを知る。鬼才といわれた映画監督の甘粕才生である。しかも甘粕の妻子は自宅で硫化水素によって死亡していたのだ……。
本書の軸になる登場人物が羽原円華であることは、プロローグからも明らかである。円華の母親・美奈の故郷である北海道で、二人は竜巻に襲われるのだ。円華は助かったが、美奈は帰らぬ人となる。父親で優秀な脳外科医の羽原全太朗は、重要な手術を控えていたため同行していなかった。その事故から数年後。円華は数理学研究所という組織の建物の中で暮らしており、外出の際には必ず同行者が付く。その際のボディガードとして雇われたのが元警察官の武尾徹だ。円華は大気の流れを自在に扱うような、不思議な力を武尾に見せていく。
本書の特徴と魅力は、物語がどういう方向に進んでいくのか、なかなか見えてこないところにある。硫化水素による死亡事件は事故なのか、あるいは殺人なのか。後者だとしたらその方法は。円華が探している若者の正体は。そして円華はどんな能力を持っているのか。プロローグを除き、物語は円華以外の──武尾、中岡、青江の視点で紡がれていく。三人の視点によるそれぞれ別の物語が進行するうちに、登場人物たちに接点が生まれ、物語が一つに収斂していくという構成なのだ。
それは先述したように、科学系、犯罪系、親子を軸にした人間ドラマなどさまざまなジャンルの要素が含まれた物語であることが明らかになっていく。この過程がとにかく面白いのだ。あまり情報を持たずに読むことが、本書の読者にとってベストであると思う。このコラムは読み飛ばすのが最善手であろう。なおこの物語の前日譚にあたる『魔力の胎動』(KADOKAWA)も刊行されているので、羽原円華に再び出会える楽しみも残っているのだ。
▼『ラプラスの魔女』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321712000375/