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連載

王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」 vol.10

バール女に、冷凍うどんを調理するよう言われたが、その方法が分からない。王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」#5-2

王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」

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「冷凍庫にうどん入ってるんだよね。煮れば食べれるやつ。あたしのぶんも料理してくれたら、あんたも食べていいよ。そこのババアも」
「料理、ですか」
「鍋に水と一緒に入れて煮るだけだよ。できるでしょ」
「……分からないです」
「……冗談言ってんの?」
「ほ、ほんとです。したこと、ないので……」
 しーん、と気まずい沈黙が流れた。
「大丈夫よ姫香さん、あなた、さっきお湯を沸かせたじゃないの。同じことよ、おうどんを煮るのも」
 ユキ江の言葉にはっとする。そうだ、自分はお湯を沸かせたんだ。だったら、冷凍うどんを煮ることもできるかもしれない。
「や……やってみます」
 姫香は立ち上がった。よっこいしょと。玄関と部屋の間にある通路のような台所に入り、小さな冷蔵庫の小さな冷凍室を開ける。中にはアイスノンとあずきバーと、白いビニールのパッケージが入っていた。それを引っ張り出すと、「レンジで! お鍋で! 解凍するだけ! つつじ印のけんちんうどん」と書いてある。
 台所は、畳の部屋ほどは散らかっていなかった。流しには洗っていないフライパンや食器がいくつか置いてあるが、鍋は冷蔵庫の横の棚に入っていた。うどんのパッケージの裏を見ると、「お鍋で作る場合は一食ぶんにつき水二百cc(カップ一)を入れ、火にかけてください。」と書いてある。二百cc。どうやって計ればいいのだろう。とにかく、鍋をコンロの上に置き、それからパッケージを開けてかちかちのうどんを三つ取り出した。個包装されていて、CDくらいの大きさの丸い形をしていて、うどんと茶色いツユと具が一緒に凍っている。
 そのとき、ふっとある光景を思い出した。昔、小学生のときの春休み、中学生だった兄と一緒に留守番していて、お昼にレトルトカレーを作ってもらったことがある。あのとき、兄はカレーを袋に入れたままお湯に入れて、それからお皿のご飯の上にかけていた。こういうインスタント食品は、袋に入れたまま煮るものなのかもしれない。
 少し迷ってから、姫香は個包装されたままのうどんを鍋に入れ、それから水を計る道具を探し始めた。ほどなくして、炊飯器の横に半透明のプラスチックカップが置いてあるのを見つけた。目盛りが入っていて、計量できるようになっている。そのカップに三杯、水をくんで鍋に入れる。いよいよ点火だ。しかしコンロには、岸邸のカセットコンロと違い、大きなボタンのようなものが並んでいる。これを押せばいいんだろうか。おそるおそる、左端のボタンを押してみる。チチチ……ボッ! と音を立てて、鍋が載っていないほうのコンロが点火した。慌ててもう一度押す。消える。なるほど。今度は真ん中のボタンを押した。やはり同じ音がしたが、鍋の置いてあるコンロは点火していない。不思議に思い、一番右のボタンを押した。今度はちゃんと鍋の下に青い炎が広がった。
 これでうどんができるはずだ。じっと鍋の中を見守る。しゅわしゅわと細かな泡が鍋の底から上がってきて、うどんの袋の中が白い湯気でいっぱいになり、膨らんでくる。兄がでていたレトルトカレーは、こんなに袋が膨らんでいただろうか。だんだん不安になってくる。それに、どれくらい茹でていればいいんだろう? あんなにかちかちに凍っていたものをあつあつの状態にするには、五分? 十分? 三十分?
 分からないまま鍋の中をじっと見つめていると、突然、コンロの奥の方に開いている穴からもくもくと黒い煙が出てきた。
「うわっ、くさっ! ちょっと! なんかがしてない?!」
 畳部屋の方からバール女の叫びが聞こえた。
「あの……あの……焦げてはいない……です」
 鍋の中はお湯が沸騰してきた。ビニール袋がぱんぱんに膨らんでいる。けれど焦げた様子ではない。でもコンロからは煙が上がり続け、狭い台所いっぱいに広がり始めている。
「換気扇! 換気扇回して!」
 がたっ、と音がして、振り向くとバール女が壁に手を付きながら台所に駆け込んできた。
「あーっなにこれ! なんで袋ごと煮てんの?! ていうかなんでグリル点火してんの?! 消せ消せ消せって!」
 ばちんばちんとボタンが押され火が消えて、代わりに換気扇のスイッチが入り苦い煙が吸い込まれていく。
「あんた……ほんとに料理したことないんだ……」
 鍋の中身と姫香の顔を交互に見て、バール女は心底あきれたようにぽつりとそう言った。

 ピンポーン、と、軽快なインターホンの音が鳴る。
「きたきた。わるいけど受け取ってきて。これ、お金」
 寝転がるバール女から千円札を三枚渡され、姫香はこくりとうなずいて急いで玄関に行く。
「お待たせしましたピザーノでーす。こちらご注文の品ピザーノミックスデラックスとコーラでーすお熱いので気をつけてお受け取りくださーい」
 姫香と同い年くらいの赤い帽子をかぶった配達の人が、黒い大きな袋から赤いダンボールのケースとビニール袋に入ったペットボトルを取り出し、姫香に渡した。
「以上で二千四百六十円になりまーす」
「あ、はい。あ……」
 両手がピザの箱でふさがってしまった姫香は、そのまま呆然と立ち尽くす。
「……あ、じゃあこちらから失礼していいですか?」
 配達の人がにこっとして、姫香の指の間に挟まれた千円札を指差した。ハイと頷くと、さっと札が抜かれ、ほぼ同時にもう片方の手がウエストポーチの中に突っ込まれ、数秒もしないうちに魔法のようにお釣りの小銭が出てきた。
「こちらお釣り、五百と四十円になりまーす。上こちら失礼しちゃいますね。あとこちら次回使えるクーポンでーす」
 そう言って小銭とクーポンをピザの箱の上に載せ、配達の人は、ありがとうございましたー! と言って帰っていった。
 小銭を箱の上から落とさないように緊張しながら、姫香はそろりそろりと畳部屋に戻った。
「あー来た来た来た。ピザー久しぶりー会いたかったー」
 バール女は目の前の畳をぽんぽんと叩いた。そこにそっと箱を置く。
「ばーさん、ピザって食える?」
「あのねえ、あたくし、あなたの祖母になった覚えはありませんよ」
「だってばーさんじゃん」
「あたくしには岸ユキ江という立派な名前がありますの。岸家の者ですよ。おわかり?」
「は? ばーさん有名人とかなの? ぜんぜん知らんけど」
「まあ、外国からいらした方なら岸家を知らなくても仕方ありませんけど」
「あ?」
 バール女の声が一段低くなった。
「外国からいらした? それ、あたしのこと? いつ誰がそんなこと言ったよ。日本生まれの日本人だよ。見た目で決めつけてんじゃねえよ」
「あら、そうなの? でも……」
「でも、何だよ。肌が黒けりゃみんなガイジンかよ? 古いんだよ。これだから年寄りはイヤなんだ。あー腹たつ。そもそも、なんであんたらと飯食わなきゃいけないんだよ。もういいよ。帰れ。帰ってよ」
「間違えたのは悪かったわ。ごめんなさいね」
「〝ガイジン〟なんかと間違えてごめんなさいって? どっちにしろムカつくんだよねーそういうの」
「あなたねえ、そうやってなんでも人のいうことを悪いほうに受け取るの、よくないわよ」
「はー? あたしが悪いっての? はあ? ズレてんのはそっちだろうよ! 自分がどんだけ失礼なこと言ってるか分かってねーの?!」
「だから、悪かったって言ってるじゃないの」
「何が悪いか分かってないやつの悪かったなんて、言われたって意味ねーの!」
 目の前で繰り広げられる舌戦に、姫香はまたしても傍観者のように硬直するしかなかった。二人の会話のスピードが速すぎて、何について何の話をしているのかもいまいち飲み込めていない。それより何より、お腹が空いて目が回りそうだった。二人の間で、ピザの箱はふたも開けられないままどんどん冷めていっている。お腹が空いた。とても。さっき自分がうどんをちゃんと作れていたら、こんなにお腹が空くことも、二人が言い争うこともなかったのかもしれない。私がちゃんとしていれば。私がちゃんとしていれば。太ももの上で知らないうちに強く握りしめていた拳に、涙がはたはたっと落ちる。そしてさっきよりも強く大きく激しく、姫香の腹が龍の叫びのように鳴った。

▶#6-1へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年5月号でお楽しみいただけます!


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