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連載

王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」 vol.7

派遣打ち切りで職を失い、住む場所も失った女は、ネットカフェを訪れた。王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」#4-1

王谷 晶「食う寝る処にファンダンゴ」

※この記事は、期間限定公開です。



前回までのあらすじ

上手く働けず「穀潰し」として実家で暮らしてきた姫香。派遣打ち切りにあい自室三畳半のシェアハウスの家賃に困る芽衣子。妊娠中の身で居候先の彼氏に逃げられ、アパートも解約されたヨーコ。家出をした姫香は老女ユキ江と出会い、古い大屋敷で住み込みのお手伝いとなることに。姫香は、コンロの着火という些細なことだが、過去味わってこなかった「成功」を体験する。職探しが不調の芽衣子は、更に突然の出費で住む場所を失うことが決定的になる。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

 ひどく煙草たばこくさいエントランスでエレベーターの階数表示を見上げながら、は緊張していた。こういう場所に来るのは初めてだった。駅の裏手、居酒屋とコンビニの間に挟まれて建っている古びた雑居ビル。プラスチックのプレートに各階のテナント名が書かれている。2F鶏宴会しゅん、3F相席居酒屋・絆、4Fホットヨガスタジオ優、5F6Fインターネットカフェ・アイランド。受付5F、と黒のマジックで書き足されている。
 乾燥した頰の皮膚が夜風に当たってぴりっと痛んだ。着古したジャージのズボンとトレーナーとすっぴんの顔で、肩にはボストンバッグ、手にはキャリーバッグを持っている。芽衣子の全財産は、このたいして大きくない二つの容器に全て納まってしまった。
 ろくに審査もされず、金さえ払えば誰でも入れてくれるという雰囲気だったシェアハウスは、つまり金が払えなくなればどんな事情があっても即座に追い出すということでもあった。一ヶ月、いや二週間、違う一週間、待ってくれたら絶対に家賃を払いますと芽衣子は運営会社に交渉しようとしたが、一切聞き入れられなかった。期日までに振り込みができなければ退去。それでも居座る場合は強制的に退去してもらう。にべもなくそう言われた。入居の時に一度だけ会った、目つきが悪くて二の腕が不自然に太い「担当者」の顔を思い出し、芽衣子はそれ以上食い下がるのを諦めた。そして、寝る場所をくした。
 財布には三万円と小銭が少し入っている。その金と着替えと、料金を払っていないのであと十日程度で使えなくなるスマホ。それが今の芽衣子の全てだ。
 ぐらぐらと揺れながら上昇するエレベーターに乗って五階に上がると、薄暗くしんとしたフロアに出た。カウンターには誰もいなかったが、キャリーケースをごろごろ引きずって近づくとすぐにカーテンの奥から大学生くらいの若い店員が出てきた。
「いらっしゃいませ、アイランドへようこそ。当店の会員カードはございますか」
「いえ……」
「初めてのご利用ということでよろしいでしょうか」
「はい……」
 完全な無表情で、芽衣子と視線も合わせず、けれど声だけは声優が吹き替えているようにりゆうちように情感をこめて、店員はとうとうと説明を続ける。
「当店パックがお得となってまして、八時間パックで千六百円、十二時間パックが二千百円となっております」
 芽衣子のなりを見て長時間の客と判断したのか、店員はラミネート加工された料金表をすっと差し出してきた。ポップなタッチのヤシの木をあしらったロゴをバックに、赤と黄色で景気よく書かれた値段が並ぶ。
「十二時間……もいられるんですか」
「はい、当店十二時間ごとに一度お会計をさせていただいておりますが、その際にまたお時間の延長ができます」
 ということは、実質ここに一日中寝泊まりできるということだ。
「あの……途中で外に出てまた戻ってくるとか、できますか」
「はい。その際はお部屋のキーをこちらフロントにお預けください。精算時間が過ぎましてもお戻りにならない場合は、お部屋からお荷物を出させていただく点ご了承お願いしております」
 芽衣子はうなずき、国民健康保険証を出して会員カードを作り、二千百円を払って十二時間パックを買った。会計を済ませると店員はまたすっとカーテンの奥に消えていってしまった。
 渡された鍵の番号は505。マンガ本や雑誌がぎっしり詰まった棚をいくつか通り抜けると、505のプレートが貼られた引き戸の扉があった。公衆トイレのように、同じように番号がふられた扉がずらっと並んでいる。505号室の左右の扉の前には安っぽいサンダルが置かれていた。片方は男物で、片方は女物。他の扉の前にも、スリッパや折り畳み傘が転がしてある。とても静かで、どこにも誰の姿も見えない。でも、人がいる、というなんともいえない雰囲気だけが強くフロア全体を満たしていた。
 そっと引き戸を開ける。畳一畳より少し広いくらいの、縦長のスペースが現れた。床は全面黒いつるつるしたマットで、そこに小さな黒い座椅子が置かれ、一番奥は作り付けの棚のようになっていてパソコンのモニタとキーボードとヘッドフォンが置かれている。右手側の壁に二つフックが付いていて、それ以外は何も無かった。
 狭いスペースで靴を脱ぎマットに上がる。振り返ると、トイレのそれのような簡素な鍵が付いていた。かちゃん、と締める。その音がやたら大きく響いた。
 ふっと、知っている匂いが鼻先をかすめた。除菌消臭スプレーの匂い。前の利用者の匂いをスプレーで消して、新しい利用者が入り、またスプレーして、そうして染み込んだ匂いを科学の力で消すかごまかすかして、この空間に何十人……何百人かの人間が寝泊まりしていったのだ。その人たちがずらりと引き戸の前に長い列を作っているのを想像した。ベルトコンベアのように505号室へ吸い込まれていく人々。その最後尾に芽衣子が並んでいる。
 バッグとキャリーケースをマットに上げ、座椅子に座る。キーボードの横には「施設のご案内」というまたラミネート加工されたシートがとじになって置かれていた。シャワーブースは6F、八時間以上ご利用の方は通常三百円のシャワー利用料金が二百円になると書いてある。タオルセットはフロントで販売中。ドリンクバーは飲み放題。フードはフライドポテト、カレー、焼きおにぎり、フランクフルトなどスーパーの冷凍食品コーナーでよく見るメニューが並んでいる。最後のシートには近所のコインランドリー、コンビニ、飲食店の案内と地図が書かれていた。芽衣子は自分が長期滞在者用のブースに案内されたことに気づいた。
 頼りない光量で光る天井の電灯を見上げる。ネカフェ難民。そのフレーズを深刻そうな顔で読み上げるニュースキャスターの顔が浮かぶ。〝現代の病理〟〝行き場を失くした若者たち〟。そういうものに、あっさり、なってしまった。こんなに簡単になれてしまうものなのか。二、三分、大学生バイトから説明を受けるだけで。
 時計を見た。夕方の六時。朝の六時まではここに居られる。その後も二千百円を払えば、また十二時間ここに居られる。でも財布にはあと二万八千円と少ししかない。一日の宿泊費に四千二百円を使っていたら、あっという間に尽きてしまう。食べるものも買わないといけない。それを考えると昼間はここを出て、どこか外で過ごすしかない。そして仕事を見つけないと。できるだけ早く。日払いで、その日のうちにお金をくれるような仕事を。
 パソコンのスイッチを入れ、検索エンジンに「日払い 仕事」と入れようとした。その瞬間急に何もかも嫌になり、芽衣子はマットの上に身を投げ出し、目を閉じ耳をふさ身体からだを丸め、世界を遮断した。

▶#4-2へつづく
◎第 4 回全文は「カドブンノベル」2020年4月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年4月号

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