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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.34

サンバ教室をあとにし、寛いだ時間を過ごす面々。彼女を送っていったところで、事件は起きた。真藤順丈「ビヘイビア」#9-3

真藤順丈「ビヘイビア」

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       §

 その夜、買い物にも付き合わされた。
 聞けばカレンは、ロコという名のめすねこを日本に連れてきていて、その猫がオリゴ糖と緑茶成分配合のウェット・フードしか食べない。コンビニを回っても日本語表記でなにが入っているかわからないので、大型スーパーのペットフード売り場に連れていけと言うのだ。
「お前なら話すだけじゃなく読むのも得意だろう。お前が行ってこいよ」
 城之内は、別居中の娘と食事の約束があると突っぱねた。それは行ってあげなきゃねとカレンは言いつつも、だけどロコはいつもの缶詰じゃないとすごい臭いおしっこするんだよ、消臭スプレーでも消えないあの臭いはホテルに賠償金を請求されちゃうと駄々をこねて、なんだかんだと城之内にも買い物のお伴をさせたがった。
 結局、城之内が娘を拾いに行った。今日はパパのお友達も一緒にいいかな、と訊いたらりんちゃんは喜んだそうで、もじもじと緊張しながらもタクシーに乗りこんできて、スーパーに着く前にはカレンと後部席で打ち解けてしまった。
「どこのセレブだ、キャリーケースにペットを入れて来日だなんて」
 食事はめいめいで好みのものを買った。カレンは鳥のささ身肉やビーフン、サラダなどを買い物かごに入れ、ピンガというサトウキビの蒸留酒と合わせてレジを通した。オリヴェイラの女たちは例外なくふとりやすい体質で、母やたちはカルナヴァルの数ケ月前から絞りこむが、カレンは普段から体重管理に気を遣っているという。
「ホテルに戻っても、ママたちは帰ってこないし。あきばらとかおだいとか、一日じゃ回りきれないような観光のスケジュールを立てて、今ごろ一軒目の酒場で盛りあがってるよ。なんのために東京に来たんだかわかんない」
 新大久保の事務所に戻ってきて飲み物を開栓し、そうざいを突っついた。城之内と凜子ちゃんはノンアルコール、ガフとカレンは蒸留酒を飲んだ。食事を終えるとカレンが凜子ちゃんにノペを直伝すると言いだして、「教えて教えて!」と凜子ちゃんも盛りあがり、マン・ツー・マンのレクチャーが開講になった。日本語とポルトガル語なのにどうしてそんなに仲良くなれるのか、カレンがどこかポジティブな幼児性を残しているからかもしれない。
「素直ないい子ですね、リンコちゃん」
「このごろは飽きられてたから、今日は変化球になってよかったけど。母親にも電話したら、ちょっと遅くなってもいいから行ってらっしゃいだってさ」
「奥さんも心が広い。ジョノクチさん、よりは戻しませんか」
「んー、どうかな。実は外国人を助ける仕事を始めるって言ったらさ。ちょっと株が上がった。お前のこともえらくめてたよ、一度会ってみたいって」
「え、ぼくに? オーバーステイのこと言いましたか」
「あいつは、在留期限切れを犯罪者のようにはあつかわない」
「ジョンノチ家、いいなあ。ぼくのジョンチーさんの株も上がったよ」
「もうちょっとすれば、いいことがあるかもな。おれにもお前にも……」
 ガフの脳裏には、乳児院で養子縁組を準備しているのことが浮かんだ。
 ぼくとあの子が、親子として暮らせる日なんて来るのだろうか。
 シトラのことも調べていかなきゃいけない。避難シェルターの所有者、死の直前にシトラと係わった人物を探しださなくちゃ。真相をつかむまでは帰国できない。あの子の行くすえもはっきりするまでは、職質や入管におびえながらもこの街に匿名者アンノウンとしてとどまるつもりだった。
「凜ちゃん、気をつけろ」城之内はわがに親馬鹿の眼差しを注いでいる。「そのブラジルのお姉ちゃんは、サンバとなったら目の色を変えるゴーマンな姫君だからな。ちょっとでもスパルタな教え方されたら逃げるんだぞ」
「パパー、見て見て!」
 覚えたてのノペをちょかちょかと踏んで、凜子ちゃんはご満悦だった。踊ったあとで恥ずかしそうになって、ソファの城之内に体をぶつけるように抱きついてくる。つかの間の異文化交流にカレンもくつろいだ様子で、ピンガのコーラ割りをくいくいとあおっている。
「それにしても、猫ちゃんもそうだけど、オリヴェイラ家は女だらけですね」
 男といったら、ずっと居眠りしていたおちゃんぐらいしか知らない。オリヴェイラはきわだって強い女系の一族のようだった。
「祖父ちゃんぐらいかもね、本当にキクコさんに逢いたがってるのは。今でもアナちゃん一筋だから。祖父ちゃんはレアケース」
「亡くなったあとも、そうですか」
「祖母ちゃんを思い出せるものならなんでも」
「お母さんや、叔母さんたちは?」
「どうかなー、カルナヴァルを一回飛ばすぐらいに気合いは入ってるけど、こっち来たら遊びほうけてるしね。このチャンスに信頼できる日本人ジヤポネス・ガランチードの男を探すとか言ってるし」
「お母さんも叔母さんたちも、みなさんが独身ですか」
「全員を足したら離婚の数、どのぐらいになるんだろ」
「お母さんも」
「うん。あたしがリンちゃんぐらいのころにね」
「お父さんは?」
「知らない。それから一度も会ってない。うちの女はみんな男運がない」
「離婚つづきですか、それはごしゆうしようさまというか」
「そう。女だらけというか、男がみんな逃げてくんだよ」

 凜子ちゃんを先に城之内家に送って、それからカレンをホテルに送った。裏手の玄関で降ろしたが、カレンはすぐに入っていかずに、近くの新宿中央公園でストレッチをしてから戻るという。お酒を飲んだら眠る前に軽く運動するというストイックさで、「明日は二人で行ってきてね、チャウ」とタクシーを離れていった。
 明日は遠出になる。室越さんが面会してくれるという。二日探しまわっても風祭喜久子にはなかなか近づけない。痕跡を残さない人を探すのはそんなに簡単なことじゃない。亡霊か幻影のようなものを追いかけているような気もしてくる。信頼できる日本人ジヤポネス・ガランチードの亡霊──
 軽やかな足どりでカレンは路地を遠ざかっていく。今日は一日、あの女にふりまわされたなあと城之内が運転席でつぶやいた。細い路地の信号で停まると、右方からグレーのワンボックスがのろのろと進入してきた。「あの傷のことを聞きそびれたな」ガフもちょうど考えていたことを城之内が口にした。「あれは相当のワケアリだよな、カレンは風祭喜久子に会いたいってよりも、傷痕の理由を知りたいのかもな」
 頭の片隅になにかが引っかかっていたが、最初に事務所で目にした十字傷が瞼の裏に再生映像のようによみがえってきて、そっちに気をとられた。タクシーが動きだし、後部席でふりかえってカレンの去った路地に目を向けると、さっきのワンボックスが急に速度を上げて、数十メートル先のカレンのすぐ横の路肩につけて、開いたスライドドアから出てきた男たちが、驚いて抵抗するカレンを力ずくで車内に引っぱりこんだ。
「え、ジョンノチさん、戻って!」
「なんだ、どうした」
「カレン、車に連れてかれた」
 これって誘拐? ワンボックスは猛スピードで遠方の交差点を鋭角に曲がっていく。
 城之内もタクシーをUターンさせて、タイヤをきしらせながらワンボックスを追いかけた。
「噓だろ、都会のどまんなかで堂々とかよ!」
 カレンがセクシーなラテン娘だから? 性的暴行が目当てなのか、在日ブラジル人もおりにふれて排外主義者の標的になるというから、クロックワークの邪悪な継承者たちの凶行かもしれない。アドレナリンが血管に流れこみ、心臓がどくどくと高鳴った。ガフはすぐに一一〇番通報をしたけれど、訊かれた車のナンバーまでは確認できていなかった。
 これまでに自分の目で見てきた犠牲者が、この国のどうもうな牙に貫かれて自国に帰れなくなった人たちの顔が、脳裏をよぎってはガフを急きたてる。助けなきゃまずい、こうなっったら警察は間に合わないかもしれない、一分一秒を争うかもしれない、まずいまずい!
 狙いすましたものかどうかはおいても、街頭で声もかけずにいきなり車内に引きずりこんだのだから、前もってそうすると決めていたはずだ。となるとこれは計画的な犯行で、連れ去ってからどこに行くかも相手は目途をつけている。
「おい、どっちに行った!」
 タクシーがT字路で急停止した。ワンボックスの車影は見えない。右か左か、右の車道は道路工事で車線制限がされていて、ネットフェンスや立て看板や三角ポールをすっ飛ばさずに速度を保って走り抜けることはできなそうだった。次の交差点では左を選んだ。急カーブでブレーキを踏んだのか、路面にスリップ痕がついていたから。細かい二択、三択を間違えられない。頭皮がひきつるような感覚をおぼえた。城之内も信号無視でクラクションを鳴らされるのもかまわず、狭い道でもサイドミラーがこすれるほどすれすれに対向車とすれちがっていった。
「ジョンノチさん!」
 交差点の左方からダンプカーが走ってきていた。城之内はむおっと唸りながら、右に急ハンドルを切る。車が横滑りして歩道に乗り上げたが、すぐにハンドルを戻してアクセルを踏みこみ、排煙を散らしながら夜道を加速していく。「見つけた、あれだ!」身を乗りだしてガフは叫んだ。距離を開けられていたワンボックスがふたたび視界に飛びこんでくる。
 スモークフィルムを窓に貼った車内の様子はうかがえなかった。カレンはどうしてる? ダクトテープで口や手首や足首を縛られて荷室に転がされているかもしれない。車内ですでにシャツをめくられているかもしれない。
「どうしようか、ジョンチーさん、どうするのがいいか」
「どうするって、このまま離されないようにけていって……」
「だけどもう乱暴されてるかも、これは時間との勝負ですよ」
「すぐに車を停めろってのか、バンパーでもぶつけるか? これは営業車なんだぞ、ナンバー押さえてまた通報しろ。住所を伝えて急いでもらえ」
「それじゃだめだよ。いまやらなきゃ、いま停めなくちゃ」
 城之内はままよ、と対向車線に乗りだし、アクセルを踏みこんでワンボックスを追い抜くと、その進路をふさぐように横向きに割りこんだ。ワンボックスは急停車して、開いたスライドドアから数人の男たちが降りてきた。

▶#9-4へつづく
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「カドブンノベル」2020年5月号

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