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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.33

ブラジルからやってきた踊り手であるカレン。彼女はそれとなく好戦的な気配をまとっていた。真藤順丈「ビヘイビア」#9-2

真藤順丈「ビヘイビア」

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 マンションの一室を改築しているといっても、ちゃんと防音設備が施されて壁二面が鏡張りになっている本式のレッスン場だった。日本語での質疑応答からはじき出されたカレンは、見物していってと言われる前からふてぶてしく稽古場を眺めていた。
 王女、それとなく好戦的な気配をまとっている。
 稽古している女たちにも、それは伝わっている。
「ちゃんとサンバの曲、使ってるじゃん」
 ガフが寄っていくと、カレンが唇をめこむように舌を覗かせた。
 それはそうでしょ、とガフは思う。失礼なことを言ったら聞こえちゃうよ。
 サンバの稽古だったらサンバの曲を使うのは、当たり前でしょ。
「だって、地球の裏側だから」
 カレンは、まぶたと眉のあいだをこれ見よがしに伸ばした。
「こっちには本物のサンバの情報、入ってきてないのかと思ってた」
「それはないでしょ、遠いといってもメディアもネットも発達しているよ」
「だってさ、こっちのサンバってどんなのか知ってる? 『マツケンサンバ』とか『てんとう虫のサンバ』とかなにあれ。ネットで観たけどあれはサンバじゃない、なにかの妙ちくりんな儀式。あんなので喜んでる日本人が本物のサンバを知ってるわけないもん。あたしがこっちで踊り手パシスタになったら目をつぶってても旋風、起こせちゃうよ」
 城之内が単語をくみとって、だははっ、と噴きだした。
「あとは『お嫁サンバ』とかな。あれはじやでサンバ関係ないけど」
「なんですか、お嫁さん? マツケン?」
「海外の文化を、我流でアレンジするのがこの国は得意なんだよ」
「だけどカレン、けんをしにきたわけじゃないんだから」
 ガフがなだめると、カレンはすうと鼻から息を抜いて、
「クアドラ」
 と、ポルトガル語で口走った。〈練習場〉という意味らしい。
「あたしは練習を一日も欠かしたことない。こっちでもカルナヴァルに出るの。このクラブはブラジル人もいるからか、そこそこレベル高いみたいだし」
「それってどういう意味ですか……」
「ねえ、あなた」と、そこで稽古をしていた女のなかの数人が近寄ってきた。
 うわ、聞こえてた? ひも状のビキニや羽根飾りはまとっていないけど、ラテン系の女たちは練習着までチューブトップだったり二サイズは小さそうなへそ出しTシャツだったりと露出過多だった。初対面でも同郷ということで、おたがいに笑みを交わしながらも、カレンと〈飯倉片町ブラジリアン・ダンス・クラブ〉の女たちのやりとりは、ポルトガル語がわからなくても一触即発っぽいぞと察しがつくものだった。
 こんな問答が起こっているにちがいなかった。
「変な目で見られてると、気になっちゃうんだけど」と飯倉片町BDC。
「ちゃんとしたサンバの曲を使ってるから感心しちゃって」とカレン。
「ブラジルから? あなたもパシスタなの」と飯倉片町BDC。
「リベルダージから。お姉さんたちよりたぶんキャリア浅いけど」とカレン。
「もしかして血がうずくの、だからじっと見ちゃって」と飯倉片町BDC。
「ごめん、すごくレベルが高いからびっくりして」とカレン。
「ありがとう。鼻で笑ったように見えたのは気のせいね」と飯倉片町BDC。
「減量目的のクラブじゃなくて、カルナヴァルに出るの?」とカレン。
「私たちはエスコーラよ、大会の前で練習してるの」と飯倉片町BDC。
「そうなんだ、どうりでマツケンサンバじゃないのね」とカレン。
「あ、それ言っちゃう。だったら本場の技を教えてくれない」と飯倉片町BDC。
「そんな、お邪魔しちゃ悪いもん」とカレン。
「せっかくだから、ひと汗かいていって」と飯倉片町BDC。
「だけど、エスコーラの約束事もあるだろうし」とカレン。
「遠慮しないで、自由にやってくれたら」と飯倉片町BDC。
「それじゃあ、三つ前の曲に戻して。後列の人たちはまだ曲が身体からだに染みこんでないからお休みしてもらって、頭からスタートしてもらえる?」とカレンが急に仕切りはじめる。
 風祭喜久子という単語は一度も出てこなかった。サンバ・クラブだったら連れていってと言ったのはそういうことなのか、はなからカレンは喧嘩をしにきたのか?
 飯倉片町BDCの女たちにまざって列の先頭に立ったカレンは、髪をゴムひもでまとめてアップにすると、首の関節を鳴らし、手足を軽くストレッチして、かかとを上げ下げしていた足の裏を、板張りの床にひたとえつけた。
「だけどさ、サンバなんてのはウェーイの極北だろ、パーティー・ピープルの世界大会みたいなもんだろ? 踊り手によってそんなに差がつくもんかね」
 城之内にいたっては、そんなふうにあざけり気味に言っていたのに。
 カレンが踊りだすと、すぐさま黙らされた。

 産声が聞こえた。
 それはダンスというものに、初めて魅了されるガフの産声だった。
 ホイッスルとパーカッション、ホーン・セクション。
 手拍子。手拍子。それは十六ビートの、座っている者をすくっと立たせるような楽曲だった。
 動と静でいったら圧倒的に〈動〉のダンスは、それでも歓喜や高揚ばかりを表現するものじゃない。カレンの律動、足踏みノペ、腕や腰のキレ、曲の響きを吸いつかせるような全身の運動は、およそ喜怒哀楽のすべてを模していた。
 あでやかな衣裳タンガをまとっていなくても、城之内もガフも目を離せなくなる。床板に刻まれるノペが、腰のうねりが残像を帯びて、曲がリズムを刻んでいるから踊るのか、踊るからリズムが生まれているのか。プリミティブな動きは、主となる運動を旋律線のように残しながら、他の部位では他の物語を演じて、ときに渓流の早瀬をたわむれたり、戦場で飛んでいるホバープレインの回転翼だったり、崩れかけた吊り橋を渡っているかのような千変万化のイメージを現出させて、これをふくそうさせる。曲に合わせてアァァアァァアァァアァァとうなるようなハミングするような美しい声が、音の麻酔のように空間をしびれさせ、ガフを痺れさせた。
 あれ、ここってどこだっけ、ガフは自分の居場所がわからなくなった。
 鏡張りのレッスン場が、カレンの律動によって自在に形を変えているようだった。
 ダンスの見物というよりも、それは空間体験だった。
 踊り手の肉体がダメージを負いそうな手や足や腰の分裂が、見たこともないどこかの風景をガフの目の前にも出現させていた。
 疲れるのに、なぜかリラックスもしている。幼児回帰のような感傷を誘われている。ああわかった、ここはリベルダージなんだ。カレンの舞いは、細胞に蓄えられたリズムや旋律をいったん解体し、直感の命ずるままに入れ替えて構築しなおしているみたいだった。
 だけどこの奇妙な既視感、郷愁感はものの十秒とつづかない。だしぬけの跳躍によってばんむちを入れられる。自壊してしまいそうな激しい全身運動、カレンの一瞬一瞬の律動は、生まれながらにせんを描いて、速いパッセージの渦の中にきずりこまれていく。ガフはおのずと衝動のようなものを感じる。ラテンの血なんて流れていないのに、日本に来てから踊りたいと思ったことなんてなかったくせに、次の大波が来たらそれに乗らなくちゃいけない、ぼさっと立ちほうけて見物しているだけじゃなくて、動いて、動いて、ディープな渦巻きに飛びこんで、カレンの座に加わらなきゃならないと急きたてられる。城之内はぼうぜんと立ちつくすくちだったけど、ガフはというと謎の手足の動きでゆらゆらと踊っていた。スウィングするような十六ビートはやがて複雑なオーケストレーションに達して、カレンの衣擦れや息遣い、タ・タ・タ・タと床を鳴らすノペがその中核の鼓動となっている。空間に見えない垂れ幕を何層にもつくって、これを揺らし、片時もとどまらないカレンの律動が、速く、速く、速く、速く、速くなり、あらゆる生の痕跡を空間にふりまけるだけふりまいて、曲がカレンを吞み、カレンが曲を吞む。血と肉と皮膚で楽曲と一体になり、風景を変化させ、サンバの化身となったカレンの動きが臨界点にまで上りつめて、曲の結尾コーダとともにタン、と最後のノペを踏んで止まった。
 カタルシス。
 遅れて、拍手かつさい
 どんなに過小評価してもそれは、何事かをきわめた者の表現だった。
 ガフの目や膝に麻痺感があった。眉の裏側が光の残像を追っている。
 最後のほうは、ミナ、という飯倉片町BDCの代表格である在日ブラジル人と一騎打ちのようになっていたことを、ガフは終わってから知った。カレンのほうしか見ていなかったから。ガフも城之内も、クラブの女たちも、戻ってきていた三ツ谷さんも、居合わせた誰もがいやおうなしに痛感させられていた。なるほど、
「ああ~、すごい良かった!」カレンは額の汗を拭きながらポルトガル語で言った。あらかたこんなことを言っているのだろうとおぼしかった。「ところであたし練習場クアドラを探してたんだけど、ここなら新宿からも遠くないし、明日からあなたたちの時間にここをうちで使わせてもらってもいいかな。それから隊列に人数が揃ってないとエスコーラは成立しないから、あなた方のエスコーラを吸収してもいい? ここならレベルも高いし、エスコーラ・オリヴェイラに加わってカルナヴァルに出場してほしいの」
 恐ろしいほどごうまんにもなれるわけだ! 協力を要請するような腰の低さはなく、あなたたちの大会はどうでもいいからあたしの軍門にくだってね、とでも言っているかのようだった。日本でのカルナヴァル出場までに──風祭喜久子を見つけるように頼まれた期限までに──カレンはおこたりなく練習を積み、こうしてエスコーラの頭数を集めていくつもりらしかった。
「やっぱり、王女を連れ歩くのはよしたほうがいいな」と城之内が口走っていた。「サンバ・クラブで情報集めをするたびに、こんな道場破りみたいな真似をされてたら、連れていくおれたちが恨まれるぞ」

▶#9-3へつづく
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「カドブンノベル」2020年5月号

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