menu
menu

連載

真藤順丈「ビヘイビア」

彼女を、妊娠していた技能実習生を、死に追いやったのは誰なのか? 直木賞作家・真藤順丈による現代ミステリ!「ビヘイビア」#5-4

真藤順丈「ビヘイビア」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

>>前話を読む

 マスカラムの言葉は、これまでに得てきたどの情報にも増して重要なものだった。剱持という男は、外国人労働者が置かれている境遇に問題がある、実習現場の違反行為がひどすぎると声高に話していて、逃亡の直前にはそれまででいちばん剱持と連絡をとり、会って相談をしている様子だった。もともと剱持は、他の職場への再就職だったり、ガーデンの環境を改善するためにどうしたらいいか、といったことを誘い水にしていたんじゃないかとマスカラムは推察していた。だからこそいざ逃走の必要に駆られたときに、シトラは剱持を頼ったのではなかったか。
「エグザイルもどきのとっちゃん坊やか、たしかにそんな風貌してるな」
 城之内の検索にいくつかのヒットがあった。画像もあった。都内で飲食店経営をしているころから常連客のプロ野球選手や、何かと話題に事欠かない起業家、若手の代議士などとおなじ写真に収まっている。
 オリパラの組織委員会にも名をつらねている著名な作家、映画やテレビの総合プロデューサーでもあるごうりきじよういちろうの長女と結婚したのがもっとも注目を集めた時期であったようで、数年後に店の経営破綻、離婚、とつづけざまに難にみまわれてからは、表立った露出はなくなっていた。このころに実家の老母が通うガーデンのデイサービスに顔を出していたらしい。暇になったからか?
「有名人なのか一般人なのか、移民賛成派なのか反対派なのか」城之内はの網に鼻面を突っこんだような顔をしていた。「なんだかよくわからないヌートリアみてえな男だな。こいつがなにかの魂胆があってシトラに近づいて、独身寮の窓から飛び降りたあとにも手を貸した。ひやくにんちようのマンションに彼女をかくまったのも……」
「そうだね、この男かもしれない」
「あやしいコネだけは、いろんな方向にありそうだもんな」
 気まぐれな好意、優越感、好奇心、れんびん、笑顔の裏に隠した劣情、剱持からはおよそ男たちが女の実習生に向けるあらゆる感情のうずきを感じとることができた。純粋な善意だけで逃がしたとしたら、こちらが偏見や先入観を責められてもしかたないが、どうしてもそんなふうには思えない。もしかしたらこの男こそが、シトラの夢のしゆうえんに現われたなんじゃないかとかんりたくなってくる。
 濃い目元の化粧が崩れかかっていた。濡れた瞳を震わせながらマスカラムは、ジャミルディン・サザンに連絡してみると言った。ガーデンの統括本部と対決するいばらの道を選ぶという。別れぎわに手を取りあい、ハグをして、シトラの死の真相が明らかになるなら自分にできることはなんでもするとガフに約束した。シトラとの日々を懐かしみ、「あたしはかならずまた会えると思ってた、彼女に会いたかった」と声をうわずらせた。

 ガフは、混乱していた。動揺していた。シトラの表情に宿っていた芯の強い繊細な落ち着きが、無性に恋しかった。マスカラムの言葉が揺り起こした記憶が、胸の底に波紋をひろげていた。通念にとらわれないある種の自由さと、そこはかとないていかんの苦みを含んだシトラのふるまいが怪物を呼びよせ、消息を追う者を迷わせる謎の渦の中心になっている。シトラはどうして、剱持のような男と親交を深めたのか、シトラはどうして、百人町のマンションにこもる選択をしたのか。シトラはどうして、再会を望む者たちに背を向けたのか、シトラはどうして、どうして──

 剱持隆志のことは万代の側近のオサが知っていた。かつて万代が営んでいた新宿の違法カジノによく出入りしていたという。あるころまでは高額賭博者ハイ・ローラーでそれなりの上客だったが、所持金がすっからかんになるまでスッては痛飲して暴れ、店を追いだされることもしばしばあった。「マスコミや芸能界にも食いこんでいたようで、業界ゴロの典型のようなやからでしたね」というのがオサの弁だった。
 鵜飼早葉子からもメッセージが入っていた。さっそく全労議でマスカラムを保護することになったので、あらためてガフにも連絡を寄越してきた。行方をくらませたことを難じ、無軌道なふるまいに再考をうながしながらも、「あなたは本気なのね」とすこし声音を柔らかくして、最後にはガフの決断を尊重すると言ってくれた。
 タクシーの車内で窓の外を眺めながら、車酔いとまどろみと、居心地がいいわけでもないのにそこに浸らずにいられない沈黙に、ガフはまたからみつかれる。
「……タクシーの運転手もそのうち、ぼくたちがやるようになるかも」
 脳裏をよぎった思考の断片をなにげなく口にしたのは、沼地のような葛藤の深みから自身を引き剝がすための、寄るや止まり木を探したかったからだった。
「ずっと黙ってたかと思ったら、なんだ、おれたちの業界に宣戦布告かよ」
 ステアリングを回しながら、城之内はふりかえらずに言葉を返してきた。
「たしかにまあ、介護業界とおなじぐらい人手不足だからな。ナビだってあるし、そのうちそんな日が来ないともかぎらない」
「運転手辞めました、そしたらジョンノチさんはなにする?」
「さぁな、わからん。他にできることもない」
「大人になる前、なんになりたかったですか」
「さて、なんだったかな」
 城之内はそう言って黙った。しばらく言葉を継がなかった。
 視線を前に固定し、夜の街路を縫うひとすじの流れに乗って車を走らせる。
 街路の灯が、道路工事の赤い光が、ガフの網膜に赤や黄の残像を刻みつけていく。
「ああ、そういや」と間を置いて城之内がつぶやいた。「警察官になりたいと思ってたな、うちは親父が警官でさ」
「お父さんが、へえ、だからジョンノチさんも」
「総務のデスクワークだけどな、というか刑事ドラマの影響だな」
「どうしてならなかったですか」
「ガキのころになりたかったものになれるやつがどれだけいるよ、お前の国だっておなじだろ。お前はどうなんだ、わざわざ日本くんだりまで来て働きたいなんて思っちゃいなかっただろ」
「ぼくは絵描きか、歴史の研究者になりたかったよ」
「どっちも合いそうじゃないか、偏屈なお前には」
「あとは童話作家とか」
「おー、アンデルセンか」
「ぼくが生まれ育ったサマルカンドは、星がきれいで。こっちでは全然見えないね」
「東京じゃあな。かなり地方にいかなきゃ排煙の幕はなくなりゃしない」
「星を見ながらお話をつくったよ。夜から朝になるのは、星の騎士たちが、闇の軍勢と戦って、毎晩毎晩、戦って、かならず勝っているから。闇の軍勢が勝つと朝は来ないよ。ずっと暗い夜のままですよ」
「ほー」としか城之内は返さなかった。他にどんな反応をしたらいいんだとその横顔が言っていた。それでもガフはなぜか無性に、誰かにその話を聞いてほしかった。
「こんな話、誰にもしなかった。星の騎士と闇の軍勢の長い長い戦争。こっちでできた友達にも、シトラにも話さなかった。シトラなら喜んでくれたかな」
「お前ね、ピロートークでそんな話する男は気味悪がられるぞ」
「ピロートーク、それなんですか」
「夜にベッドで、いちゃつきながらするおしゃべりだよ」
「そう言いますか。そういうのしたかった、もうできないけど……」
「だったらその子どもにしてやりゃいいじゃないか。あの娘の子ならきっと喜ぶ」
 城之内は声の沈んだ同乗者をふりかえらず、見ず知らずのシトラをあたかもよく知っている親戚の娘のように語った。その忘れ形見のことも──
「グアテマラの姉ちゃんと話してからずっとおセンチになってるけど、お前にはちゃんと目的があるだろ。その子に語りかけられる言葉を探してるんだろう。だったらいまの話を、星と闇のうんちゃらを話してやんなよ。事の真相を突き止めてからでなくても、いまからでもその子がいるところに行ってみるか?」

 城之内の勧めどおりにはできなかった。近くまでは来たものの、病院の玄関をくぐることはできなかった。闇夜に灯りをともした病院を駆け足で離れると、だったらこっちに付き合えと別の場所に連れていかれた。家族と別居している城之内は、風呂のないアパートに一人暮らしで、このところはスパや銭湯を開拓しているという。生まれて初めてガフが利用する公共浴場は〈星の湯〉という看板を掲げていた。
 数人の老人がくつろいでいた。脱衣所で服を脱いで、前は隠しても隠さなくてもオーケー、石鹼で体を洗ってから湯船に入るんだと城之内が細かい作法を教えてくれた。人前で脱ぐことにちゆうちよはあったが、結局、脱いだ。
 ジャグジーつきの岩風呂があって、サウナや冷水風呂があった。浴場の壁には富士山とともに星空が描かれていて、夜景が描かれたセントウ壁画は珍しいらしかった。瘦せた体を湯船に浸からせて、ガフは腕をさすった。脚をさすった。目を閉じると体が重くなって湯の底に沈んでいく感覚をおぼえた。引きずりこまれていく。呼吸のできない世界に。そこは温かかった。あたかも血の溜まりのような温かさだった。頭上からゆっくりと落ちてくる影が見えた。顔も体も影になって真っ黒にしか見えないが、たしかにそれはシトラだとわかった。あるいはシトラも、こんなふうに落ちたのか。
 湯のなかから頭を突きだすと、ガフは浴槽のへりで大きく息をついた。城之内は自分で誘っておきながら、長湯もせずに上がって休憩ルームでぼーっとしていた。扇風機がゆっくりと首を振っていた。常連のじいさんたちのおしゃべりと扇風機の羽根が回る音が混ざりあう。機械のつくりだした風がガフの湿った髪や体を撫ぜていった。コーヒー牛乳を喉に流しこみながら、どうしてぼくはこんなところで風呂に入ってるんだろうと思った。
「剱持ってのに仕掛けてみるか、なあ?」
 自分のペースにガフをひきずりこんでいく城之内が、電動のマッサージ椅子に揺すぶられながら切りだした。すくなくともあの男は、お前たちが知らないシトラの逃走後について確実になにかを知っている、そうだろう?
「ついさっき万代から連絡があった。。オサに調べさせてたらしいんだが、ラム・ワンディの泊まってた民泊──あの部屋のオーナーは剱持隆志だったらしい。こりゃもう本人に接触するしかないぞ」

#6-1へつづく
◎第 6 回は「カドブンノベル」2020年1月号(12/10発売)でお楽しみいただけます!
 第 5 回全文はこちらに収録→「カドブンノベル」2019年12月号



関連書籍

カドブンノベル

最新号 2020年2月号

1月10日 配信

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP