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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.39

【連載小説】浅草での轢き逃げ事件をきっかけに、排外主義のムードが盛り上がるこの日本。そして人探しの行方は。 真藤順丈「ビヘイビア」#10-4

真藤順丈「ビヘイビア」

※本記事は連載小説です。
>>前話を読む

       §

 おなじ日、浅草でき逃げ事件があった。
 花園通りとビートストリートの交差点で、四十九歳の主婦をねたセダンを運転していたのは、南米系の外国人だったといくつかの目撃証言が上がった。コインランドリーの利用客と、自動販売機の詰め替えをしていた業者が二人そろって、赤信号を突っきって現場から立ち去る車のナンバーはおぼえておらず、しかし運転手の顔を目撃していた。
 夜、通りすがった現場でガフたちは車を降りた。事件が発生したのは夕方すぎだった。ガフはあたりの風景を見まわした。ビルの管理人が玄関の前を掃いている。犬の散歩ちゅうの地元民が横断歩道を渡っていく。近くの飲食店へと業者が酒のケースを運び入れている。昨日も今日もおそらくなんの変わりもない。この世界は人ひとりが不慮の死を遂げたところでなにひとつ変わることはない。ガフは被害者の主婦が横たわっていたあたりの路面を見ないようにしたが、どうしても目が引きつけられる。路面に突っ伏したシトラ・ヴァルヴァノワの姿が重なる。亡くなった主婦もきっとシトラとおなじ、だれかの娘で、だれかのパートナーで、だれかの親だった。その骨が砕け、血管が破れ、だれかにとって大事だった笑顔は永遠に失われた。ガフの首すじや背中に汗が噴きだす。胸の奥が火照り、まいをおぼえて歩道のへりに腰をおろして、城之内が「……そろそろ行くぞ」と声をかけてくるまでそこにいた。
 わずか一日足らずで逮捕されたのは、ブラジルからの移民を両親に持つ二十四歳の在日ブラジル人で、浅草の〈ピーコック・スター〉というサンバ・チームの練習からちょうど帰るところだった。犯罪のいっさいと無縁の経歴だったが、その日のうちに遺族を中心とした地元民がマスコミのインタビューに応じて、なかにはヒステリーじみた反応を見せる者もあった。「治安を悪くするのはいつでも外国人なんだよな」と答える住民もいて、うわあ、この展開は嫌な予感しかしないぞとガフは思った。テレビを観ていたカレンは憤りをあらわにして、
「この発言、問題ない? ねえガフ、問題ない?」
 と、体を揺らしながらまくしたてた。
「ある、と思いますね。問題はとっても」
「ねえ、日本人はだれも轢き逃げなんて起こさないの? そんなわけないよね。死亡事故を起こしたこいつが不注意で、逃げたのが極悪なんであって、国籍とか人種とかは関係ないじゃんね」
 まったくもって正論ですね。だけどこういうときの正論ほどむなしく空回りするものはないこともガフは知っていた。容疑者の人権を訴える声は、当事者の感情を逆撫でするものとして拒絶されるか批難される。しばらくは袋叩きになってしかるべきだとの論調が支配し、多分に情緒の先走った純血主義が大手を振りはじめる。それはガフにとってかぎりなく日本的な、ジス・イズ・ニッポンな反応だった。なんだかぼくね、ここからの展開が予想できますねとだれかに打ち明けるよりも早く、ネットではあのヘイト街宣の悪夢を思い出させるようなバッシングの嵐が吹き荒れ、排斥寄りのシュプレヒコールが書きこまれた。そこへまたポピュリストの国会議員や区議が乗っかってきて、浅草を外国人から守れ、といったコメントも大量に繁殖していった。
 浅草はもちろん、日本人の街。
 だけど、観光客で潤っているのもまた事実。
 だけどだけど、地域住民の暮らしが脅かされるのは由々しき大問題!
 といった論争があちこちで見られた。オーバーツーリズムや文化の違いによるマナー問題にくわえ、大勢の観光客が集中しすぎることで許容限度を超え、治安の悪化はもとより騒音や混雑はとてつもないストレスのもととなっている。とはいえ外国人を追いだしたら、仲見世の土産みやげもの屋は? 人力車の車夫は? 免税レジやWi-Fi環境を整えた飲食店はどうやって食べたらいいのか。だから問題になるのはやっぱり移民だよね。つまりインバウンド消費をしない外国人を追いだすことができたらオール・オッケーでは?
 みなさん、まじめに議論をしてますね。だけどこういうときに出てくる〈移民〉という言葉が、忌み語のような使われ方をするのはなぜなのか? 労働力をこの国全体が必要としていて、政策によって受け入れられてきたのに、地域によっては彼らは不可視の存在とされ、そこにいないことにされている。しばしば白い目を向けられ、事件を起こせばここぞとばかりに叩かれる。今回のことも議論だけでは終わりそうになかった。
「ああもう、むしゃくしゃする」カレンがいらたしげに立ち上がった。「見てよこのコメント、サンバよりも盆踊りとか言ってんだけど。浅草サンバカーニバルの開催も見合わせるべきだとか書いてんだけど。どうしてサンバが悪者になるわけ!」
 むしゃくしゃするからちょっと稽古してくる、と部屋を出ていこうとする。ついさっき練習場クアドラから戻ってきたばかりなのに。
 彼女はホテルにいるときも、母たちに付き合わされて観光しているときでも、足元はノペを踏んでいたりする。指先だけで踊っていたりする。とざされたトイレの個室で踊っていたこともあったらしい。例によってiPodで音を聴いているので、外側には息づかいやきぬれの音しか聞こえず、居合わせた清掃員がおばけではないかと無気味がっていたそうだ。
「あんたも油売ってないで、早く調査に戻ってね」
「お母さんにいろいろ、話を聞いてたんですよ……」
「そういやジョーノウチは?」
「ジョンノチさんは、老人ホームに入っているキクコさんのお弟子さんに会いに行きました。アポイントメントが取れて、お話しできるみたいなので」
「すごいじゃん、手がかりつかめるかもね。あんたはどうして行かないの」
「ぼくはちょっと、おおいずみまちに行ってみようと思います」

 大泉町の観光協会をインターネットで検索すると、トップページでいきなりサンバの衣裳をまとった女性たちが現われる。たぶんみんな日系ブラジル人なのだろう。きらびやかなを背負って、誇らしげな笑顔をふりまいている。
 都心から電車で二時間、群馬県おう郡のこの地には、町公認のサンバ・エスコーラがあるんだそうだ。ダンサーが観光大使に任命されたこともあるとも聞いた。地方にリトル・サンパウロと称される町はいくつかあっても、行政そのものがサンバに象徴されるブラジル色を前面に押しだしているのは、大泉町ぐらいのものということだった。
 浅草からつくばエクスプレスに乗って、乗り継ぎの電車に揺られること二時間、ガフは車窓の景色を眺めながら物思いにふけった。この仕事のおかげで意識を集中することができている。シトラと別れ、その子どもとも離ればなれで暮らすオーバーステイのつらさをまぎらわせることができている。朝起きる理由があって、寝る前にもまだやることが残っているという思いを抱けるのはありがたいことだった。とりわけ人探しともなると、話を聞いておきたい相手がつぎつぎと現われて気をゆるめる暇もなかった。
 ウンベルト祖父ちゃんやベアトリス母さんだけでなく、通訳の鹿賀とも話し、かいにも相談して在日ブラジル人を紹介してもらった。そのなかにはリベルダージ出身者も含まれているという。オリヴェイラ家のこと、風祭喜久子のこと、それらを語る言葉をもっている者に出会うことができるかもしれない。
 あと少しで大泉町に着くかというところで、ちちに向かった城之内からの着信があった。乗っている車輛に他の乗客はほとんどいなかったので、ガフは通話のボタンを押した。
「ざっと調べたぞ。一九八〇年代の終わりに入管法が改正になって、日系三世までは定住者の資格が与えられるようになった。そこからいっきに日本に働きにくるブラジル人が増えたんだな」
「デカセギってやつですね」
「カレンとアッシュの父親、カルロス・フェレイラは、リベルダージで派遣業をやっていた。鹿賀はそのころからのビジネス・パートナーだったらしい」
「鹿賀さんはアッシュと面識ないとか言ってたけど、リベルダージで仕事してたならまったく知らないはおかしでしょ。なんだかホテルでもわざとらしかったよ。顔を合わせないようにして。話していてもアッシュのことになると話を変えるよ」
「アッシュと鹿賀が通じてるってことか、ありそうな話だな。だれか内通者でもいないことには宿泊先も行動予定も詳しくは知れない。オリヴェイラ家の人間がカレンを危険にさらすことはないから、そうなるとあやしいのは身内じゃないあの男だ」
「二人して、なにかをたくらんでいるんじゃと思います」
 たくの王子と、旅行代理店勤務を自称するあやしい通訳──ガフたちがまだ知らされていない依頼人の側の秘密は、この二人が鍵を握っているんじゃないかと思えた。
「ジョンノチさん、あの人たちがこっそり相談をして、カレンたちを日本に呼び寄せたということはないですか」
「例のあれか、カレンを業界人に斡旋するとかいう話のためにか」
「そうかもしれないし、それだけじゃないかもしれない」
 たとえばカレンが取ったという日本からの電話で、受話器の向こうにいたのは声色を変えた鹿賀だったんじゃないか。風祭喜久子の名前を、わなに仕掛けるえさにして、カレンに来日させる決意を固めさせたのではないか。なにしろ選りすぐった餌をまかなくては、毎年のカルナヴァルに出場しているカレンは長い期間を海外ですごそうとはしないだろうから。
「そんなまどろっこしい誘い方をしたら、家族が総出で来ちゃうじゃないか。それぐらいは予想できそうなもんだと思うけどな」
「本当の目的の、目くらましになるとも考えられるよ。キクコさんの行方をわからなくさせておけばそっちに気が向いて、さらいやすくなるし」
「というと、風祭喜久子はたとえ健在だったとしても、オリヴェイラ家に逢いたがってなんてないし、本場のサンバも観たがってないってことか。おれたちの調査は骨折り損かよ」
「ジョウヌチさん、ぼくが思うのはですね。遠いべつの国に渡るっていうのは、それはすごくたいへんだってことですよ。ブラジルと日本はいちばん遠いでしょ?」
 カルロス・フェレイラが出稼ぎ労働者の派遣業務を始めたのは一九九三年、ちょうどアッシュが誕生した年のことだという。長男が生まれて期するところがあったのかもしれないが、それから十数年後にカルロスの業務はたんする。二〇〇八年にリーマン・ショックがあって在日ブラジル人の多くが派遣切りで解雇され、これから向かう大泉町にも、日本全国のブラジル・シティにも失業者があふれかえった。リベルダージでもカルロスの会社はつぶれ、そのころから犯罪エスコーラの歯止めもきかなくなりはじめた。
 彼らはこう思ったかもしれない。あの日本が、あの日本がまさか経済でも負けたのか?
 地球の裏と表にへだてられていると、一方の情勢はもう一方になかなかうまく伝わらない。日本の敗戦がきちんとブラジルに届かなかったように。サンバの正しいありかたが日本に輸入されなかったように。それはインターネットの網が世界中の距離を縮めた、でもだ。
 真実を知ろうとする者は、最後には、海を越えるしかないのだ。

▶#11-1へつづく
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「カドブンノベル」2020年8月号

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