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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.38

【連載小説】サンバの踊り手の兄妹の過去を聞く。兄の来し方は、ブラジルでの〈勝ち組〉と〈負け組〉の抗争と、相似形だった。 真藤順丈「ビヘイビア」#10-3

真藤順丈「ビヘイビア」

※本記事は連載小説です。
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「ぼくたちが話す番でもいいですか」
「聞いたぞ、信頼できる日本人ジヤポネス・ガランチードを探してるんだろ」アッシュは失笑した。
「見つからないと思いますか」
「知るかよ、あんたらの腕が良ければ見つかるんじゃねえの」
「風祭喜久子のことは知ってるんだな」城之内はつたない英語で口を挟んだ。
「リベルダージだけでいったらペレかジーコ級だ、ガキのころから聞かされてきた」
「日本に来るのも、初めてじゃないってことだな」
「おい、おっさん。なんでおれに尋問してんだよ」
「モデルの仕事で、何度も?」
「来てるよ、CM撮りもショーもある。あとは異人種のバディ・ムービーのオーディションも受けた。そっちは映画の企画自体がトンだけどな」
「今回、家族が来日してるのはいつどこで知った?」
「たしかおばはんチアの一人が、インスタか何かにアップしてるのを見た」
「連絡は取ってなかったのか」
「だから、取ってないって」
「それはいつから」
「かれこれ四、五年はご無沙汰だよ。疑うなら向こうにも確認したらいいじゃねえか。おれは調子が悪いって言ってるだろ、このくだらない質問大会はいつ終わるんだよ」
 城之内は手当たり次第に質問を投げてアッシュを詰めようとしたが、どうにものらりくらりとかわされる。ご機嫌をうかがいながら少しずつ、相手をなだめたりすかしたりしながらロープ際に追いこむやりかたはどうもまどろっこしくて上手くできない。
 ずけずけと踏みこみすぎですよ、とばかりにガフにも視線で責められたので城之内は話の矛先を変えた。「あんたの不調は、燃えつき症候群じゃないかと思うな」該当する医療系の英語が思いあたらなかったのでガフに通訳させた。「おれは燃えつき症候群には一家言あるんだよ。働きすぎて燃えつきることもあれば、だらだら過ごして燃えつきることもある。問題は長期にわたるフラストレーションなんだ」
「フラストレーション、それだ。おれはそれを量り売りできるほど抱えこんでる」
「見たところ、あんたは疲れているというより病んでいる。人前に出る仕事には重圧がつきものだろうし、海外を転々とする人間が陥りやすい症状でもある」
 燃えつき症候群その他、数知れない中年の危機ミドルエイジ・クライシスと戦っているのがこのおれだ。関連する自己啓発本ならいやというほど読んできた。こうした質疑の場面ではガフに主導権を握られがちだったのもあって、ここぞとばかりに城之内は言葉をつらねた。
「故郷を離れれば離れるほど、いつもおなじところに戻ってしまうような気がする。アクセルを踏んでいるつもりがブレーキをかけていて、パーティーが終わってるのにむなしいダンスを一人で踊ってるような感覚が消えない。とにかく前に進んでないのは確実だ。働き者も怠け者も、だれもが燃えつき症候群に陥る危険をはらんでいる」
「おれもそうだ、型にはまったセレブ暮らしはたくさんだ」
「本物のセレブかどうかは知らないが、そういうときは仕事や生活をなにもかも手放して原点に立ち返るのがいいぞ。あんたの原点はなんだ、サンバか」
「だからさ、すぐにおれをサンバと結びつけるなって!」
 アッシュが叫びながら立ち上がった。ミラーグラスを外して、血走った眼で睨んでくる。しまった、調子に乗りすぎたか。情緒不安定な相手の感情をさかでしてしまったか。
「お前たちはとにかく」アッシュは取り巻きにも目配せしながら言った。「あのビッチを言いくるめておれのところに連れてきてくれ。そのぐらいわけないだろ。あいつのためにも、おれのためにもなることなんだから。わかったか? わかったならそろそろ出ていってくれ」
 つまりこういうことか、妹をこっちの業界にあつせんしてマージンを得ようということか。看板ビルボードの写真を撮ったころより十キロは体重も増えて、スイート・ルームの支払いもままならないのかもしれない。目や鼻のただれからして薬物常用にも金がかかってそうだし、そうした意味でもこのアッシュは危なっかしい存在と見ておいたほうがよさそうだった。
 城之内はまたベアトリスの言葉を思い出した。
 あの子を変えるきっかけをつくった人物は、三人いるの。
 オルガとカルヴァンと、それからカルロス・フェレイラ──
 最後の三人目は、他でもない兄妹の父親だ。

 オルガとカルヴァンは、アメリカ系ブラジル人のきようだいで、アシュレイとカレンの同級生だった。中学校の学園祭でスクール・サンバが企画されて、名家でもなんでもないけどそれぞれに才能も情熱もあるこの美しい姉弟によって、オリヴェイラ兄妹は生まれてはじめて一敗地にまみれることになった。
 運営委員の審査結果を待つまでもなかった、オルガとカルヴァンのほうが歓声と喝采を集めた。オルガとカルヴァンのほうがサンバの神に愛されていた。トロフィーの有無にかかわらず、踊り手たちには真の勝敗が察せられてしまうものだった。両者の差は歴然、それは惜敗ですらない、惨敗だった。
 親族のだれもが「オリヴェイラの恥!」としんらつに評しながらも、ひそかにこれこそ最良のステップ・ボードになると思っていた。それまでの兄妹のサンバ歴は恵まれすぎていた。負け知らずで大人になった競技ダンサーはいずれも大成はできないものだから。
 そもそもサンバは、厳然たる〈競技ダンス〉であるのだから、みずからのチャームを他者と差別化するための武器として、かくし、攻撃するためにノペを踏まなくてはならないときがある。カレンもアッシュもこの敗北から、自分たちに真に必要なものを学びとってくれるはずだと期待が寄せられた。むしろここからが見ものだ。負けたことでカレンがどうなるか? 負けたことでアッシュがどうなるか?
「あの子たちの運命はそこで分かれたのね」とベアトリスは語った。「競争心のはくなところがあったカレンは、初めての敗北の悔しさをばねにして〈一番であること〉を意識したノペを踏むようになった。もちろんよりいっそうの鍛錬を自分に課してね。踊りをただ楽しんでいられた幼年期を卒業して、豊かな才能を花開かせていった」
 アッシュは? アッシュは負けをどんなふうに受け止めたのか。
「それがね、受け止められなかった。妹とちがってあの子は〈負けてない〉と言い張った」
 それこそ往年の〈勝ち組〉のように、かたくなに主張をまげなかった。そもそもダンスの勝ち負けなんて一概に決められるもんか、と基本の否定のようなことまで言いだした。
「陸上競技やサッカーなら違ったのかもしれないけど、あの子は頭ではわかっていても、言葉や態度では決して認めなかった。おれは負けてない、負けたことなんてないと言い張って、それはそれでとことん貫き通せるなら表現者の個性になるものだけどね。アッシュは真っぐに貫けなかった。むしろどんどんねじ曲がっていった」
 容姿がますます美しくなっていくのに反して、自意識をこじらせ、潔さや誇りを忘れた。ピンガを瓶から飲むようになり、学内でのLSDの密売で放校処分になった。自分より二倍も三倍も年上の女とデートして金を貢がせ、ゴロツキ仲間の車で移動した。薬物でハイになって殴りつけた後家さんの髪をつかんで公衆の面前でひきずりまわし、彼女のパンツのひもがすっぽ抜けて足首までずりさがって、アンダーヘアやら何やらが丸見えになってもやめず、彼女をリベルダージにいられなくさせた。もはや母や妹にすらも否定できない、ラテンのクソ野郎の道をまっしぐらに突き進んでいったというわけだ。
 そもそもアッシュは、ずっと負けつづけていた。
 だれに? もちろんカレンに。
 アッシュにも才気はあふれていたけど、カレンのそれは天の贈り物ギフトのレベルだったから。男女でいえばどうしても女の踊り手パシスタが脚光を浴びやすい事実を抜きにしても、見る者が見れば兄妹の差は歴然としていた。それでも「おれは負けてない」と自分に言い聞かせてきたのがアッシュで、歳を重ねるごとにその思いは強固になり、干潟のようにがちがちに固まり、妹の引きたて役や添え物にあまんじることをよしとせず、妹ばかりがもてはやされるサンバの世界そのものを「クソ」と見切るまでにそれほど時間はかからなかった。
 実家を飛びだしたアッシュは、それでも業界からは離れず、悪いエスコーラとつるみはじめる。サンバも仕切るけど賭博や麻薬売買にも手を出す、犯罪集団とも変わらないそれらのエスコーラは、さかのぼれば〈勝ち組〉に紐づけることができた。五〇年代には表立って存在を確認できなくなった〈勝ち組〉だが、親から子へ、子から孫へとその思想は受け継がれていた。実は日本は戦争に勝っていた! と信じこむようなことはないものの、伝えられる移民史に異を唱え、揺り戻しのようにときおり排斥思想を暴発させた。〈勝ち組〉と〈負け組〉の抗争はそもそも教育程度や治安状態なども影響していて、地方や内陸地のかつての入植地コロニアでこそ〈勝ち組〉は幅を利かせていた。敗戦の現実に向きあった〈負け組〉が新しい時代に対応し、その多くがブラジル社会で高い地位についていった一方で、〈勝ち組〉は社会階層の低みにはまりこんで、犯罪に手を染める者もあとをたたず、現代にまでその悪果をひきずっていた。
 おれは負けてない。負けたことなんて一度もない。
 アッシュは敗北を否認しつづけたがために、無際限につづく敗北にとらわれて。
 祖父母の世代の〈勝ち組〉の亡霊に取り憑かれて。
 さまよったあげくに漂着したのが、異郷のホテルでの暮らしだった。
 バスローブに光り物、それからドラッグ。そんな病んだ暮らしだった。
「あの子の魂は、家族にも救えないのかしらね──」
 癒えない傷を撫でるようにベアトリスが口にした言葉を、ガフは移動の車中でもくりかえし思いだしているようだった。「ねえ、ジョンノチさん」と運転席に向かって言う。「この調査で救わなきゃならない人がいるとしましたら、それはだれですか?」

▶#10-4へつづく
◎第 10 回全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年8月号

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