技能実習生の女性が、謎の死を遂げた。移民国家・日本の様相を直木賞作家が描く! 真藤順丈「ビヘイビア」#1-3
真藤順丈「ビヘイビア」

頭をふって、車を出そうとしたそのとき、向かいの街路に変化が生じた。外国人たちに声をかける男たちがいた。
「あれは、まずいんじゃないか……」
客引きではない、善意の通行人のたぐいでもない。
しかつめらしい背広の男たち。七、八人で徒党を組んでいる。
ここで何をしているのか、どこに行くのかと詰問しているらしい。
一日の仕事を終えたサラリーマンのようにも見えるが、問答無用で彼らの襟首や胸倉を
実際にそのうちの一人が、髪を赤くカラーリングしたベトナム系の女性の肩に手を置いて、たちまち街路は騒然とする。別の外国人が突き飛ばそうとして
現われたのは外国人監理団体か事業協同組合か、あるいは
よくよく見れば、男たちの後方には制服警官も控えている。
「警察がケツ持ちかよ、民事不介入はどこに行ったんだ」
一度ならず聞いたことがあった。警官を同行させ、騒ぎを大きくすることで暴行や公務執行妨害で連行するのだ。外国人たちにとっては捕まればそれまで。強制送還か、それも拒めば入管施設に入るはめにもなりかねない。
通行人たちが顔をしかめて、外国人と背広の男たちの騒動を横目に通り過ぎる。足を止めて路上の
するとそこで、人だかりのなかから騒ぎの渦中に歩みでる者がいた。
(まあまあご一同、そう熱くならないで──)
追っ手の側をそんなふうに
城之内は、出た、と思った。
第三の男たちの先頭にいるのは、金魚の群れのなかのランチュウのように
ランチュウが連れているのは、ロードワーク中の格闘家のようなジャージの若者。もう一人はモロゾフのプリンのようにクリーム色の皮膚を震わせる
「あんたら、いつから来てたんだ」
城之内はその男たちを知っていた。
だってさっきまで、スマートフォンで話していたから。
あれは、
わざわざ現場に足を運び、窮状を見かねて出てきたのか。のべつまくなしに
万代たちの乱入であきらかに
後部のドアがそこでノックされた。若いカップルが乗車を望んでいる。空車のままで停まっていたのだから当然だが、すぐに営業の顔には切り替えられなかった。
そこにいたって城之内も、傍観者ではいられなくなっていた。
万代尊洋がこちらを見ていた。
背中に汗が吹きだし、シャツが貼りつく。頭皮がひきつるのを感じた。
城之内が目と鼻の先で待機していることに、万代は気がついていた。
親指と小指を耳の横で立てて、ハンドサインを送ってくる。
(電話出ろよな、この野郎)
それから城之内に向かって、声を発した。
読唇術の心得はなくても、何を叫んだのかはわかった。
(仕事しろ!)
視界に映る風景が帯電して、夜の底に火花が散らばった。
もはや静観を決めこんでもいられず、城之内はタクシーを急発進させた。
乗車拒否を難じるカップルの声もかえりみず、外国人たちを追いかける。あの連中でやっぱり間違ってなかった。できることなら判然としないならしないままで、関わらずにやりすごしたかったけれど──
高架を走る山手線の通過音が大気を裂いて、百匹の動物が
外国人たちが待っていたのは、万代の息のかかったこのタクシー、城之内のタクシーだった。指示どおりに逃亡を助けて、所定の場所まで乗せていく段取りだったが、二の足を踏んでいるうちに追っ手が現われてしまった。まとめて乗せるはずが散り散りばらばらになってしまって、これでただの一人も拾うことができなければ、万代の手から逃げなくてはならなくなるのは城之内だった。
オサやイケドが追っていったのとは逆の方向、
たいした健脚だったが、追っ手はまだ引き離せていない。城之内も運転しながら高ぶっていた。夜の街のネオンやLEDが赤や
「あんた、乗れ!」
大きな目を見開いて、走鳥類のエミューのように走っていた男が車道を向いた。
声をかけてきたタクシーに、あらわな不信の視線を投げてくる。
城之内は自らの素性を伝えるのに、もっとも端的な言葉を選んだ。
「あんたを逃がす車はこの車だ。俺は万代の身内だ、早く乗れ」
「バンダイさん。あ、バンダイさんの」
「そっちに曲がるからな」
城之内はハンドルを切って、
スライドドアを開ける。ブレーキランプの赤い灯に照り映える男の姿が見えた。
後部席に飛び乗ってくる。「あなた、ほんとうにそう?」と問いかけてくる。
「そうだよ、ドア閉めるぞ」
「このタクシー、会社のでしょ」
「そうだけど、それはいいんだよ」
追っ手の姿は見えなかった。人目につきにくそうな場所を選んで乗せたが、絶対の保証があるわけではない。城之内だって危険な綱渡りをしている。
すぐさま再出発する。ここから有楽町方面に戻っても遅いだろう。
こうなってしまったら一人だけでも、指定の場所に連れていくしかない。
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※「文芸カドカワ」2019年7月号収録「ビヘイビア」第 1 回より