【連載小説】ついに意識が戻った久子。彼女が言った言葉に宮里は驚いて――。赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」#11-4
赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」

※本記事は連載小説です。
>>前話を読む
うつらうつらしていた。
椅子にかけていたので、体が少しずつ傾いて、危うく椅子ごと引っくり返りそうになった。
「ワッ!」
と、思わず声を上げ、
クスクスと笑う声がする。
宮里は、ベッドの
「久子……。目が覚めたのか」
と言った。
「少し前からね」
と、久子は言った。「いつ椅子から落ちるかと思って、気が気じゃなかったわ」
かすれた、弱々しい声だったが、言葉はちゃんと聞き取れたし、青白い顔に浮んだ笑いは、宮里の目にしみるようだった。
「久子。──手術は成功だったぞ。以前のように、元気になれる」
宮里は妻の手を取った。
「あなた……。ずっとそこにいたの?」
「もちろんだ」
「じゃあ……せめて、ひげをそって来て。誰の顔かと思っちゃうわ」
「分った」
宮里は泣き笑いの顔になって、「じゃ、売店でカミソリを買って来るよ」
「ええ。すっきりした顔でね」
宮里は涙を拭くと、急いで病室を出た。
二十分ほどして、トイレの洗面台でひげをそった宮里は、妻のベッドのそばへと戻った。
「──どうだ? 二枚目になったろ?」
「まあまあね」
と、久子は言った。「あなた。──私が入院したせいで、辛い思いをしたでしょ。ごめんなさい」
「何のことだ?」
「いやな仕事を引き受けてたのね。お金のために」
「久子……」
「知ってたわ、あなたの仕事」
宮里はびっくりして、
「どうして、お前……」
「週刊誌のグラビアに、そういうビデオの紹介が載ってて、あなたの写真が。──わざわざ持って来て、『あんたの旦那だろ』って、見せてくれた人がいたのよ。他の患者さんのご主人でね」
「そんな奴が……。いや、言えばお前が気にすると思ってな。──まあ、ストレスにはなったが、仕事は仕事だと割り切ってた。しかし、もうやめることにしたんだ。お前と一緒に、俺も出直す」
「ええ。そうしてちょうだい。私がそんなことを言うのは身勝手かもしれないけど」
「久子……」
「それと……あなたが親しくしていた女の方のことも。あなたの面倒をみてくれていたのね。お礼を言わなきゃいけないでしょうけど……」
「気付いていただろうとは思ったよ。──もう、彼女とは別れることにしたんだ」
「あなた……。その人に、伝えて。私が本当に感謝してるって……」
宮里は、久子の手をやさしく包むように握った。
「もしもし」
「まだ寝てたかな?」
と、村上が言った。
「まさか! もう十時だよ」
と、有里は言った。「ひと晩寝れば、疲れは消える」
「やっぱり十七だね」
と、村上は笑って言った。
「どこからかけてるの? ざわついてるね、周りが」
「S駅の中だ。例のコインロッカーの鍵、この駅のだと分った」
「え? じゃ、中に何が入ってるか──」
「これから開けてみるんだよ」
「私も行きたい!」
と、有里は声を上げた。
「もう君を連れ出すわけにいかないよ」
「お母さんから言われた? でも……」
「ちゃんと報告するから、我慢してくれ」
「悔しいなあ! ね、私、ずいぶん村上さんに協力したよね」
「ああ、もちろん」
「だったら、三十分ぐらい待っててよ! ちゃんと最後まで見届けたい」
「君の気持は分るけど……」
「お母さんにはちゃんと言うから。お願い! ロッカーを開けるの、私が行くまで待ってて!」
村上はため息をつくと、
「また僕が叱られるんだぜ」
「大丈夫。お
ケータイで話しながら、有里は早くも出かける仕度を始めていた。
「──分った。じゃあ待ってるよ」
と言って、村上は通話を切った。
有里を巻き込んではいけない、と思いつつ、
「三十分か……」
コインロッカーの前で、ぼんやり立っているわけにもいかない。
村上は、コインロッカーが両側に並んだ通路を出ると、カウンターだけのコーヒーショップに入って、有里を待つことにした。
「カフェラテを」
と、先に代金を払う。
もちろん、ロッカーに何が入っているのか分らない。重要な手掛りになるような物が入っているかもしれないし、単にあの〈Kビデオ〉の誰かの私物かもしれない。
しかし、少なくとも宗方が死んでしまった今、そのロッカーの中のものに、ドラッグのルートなどの手掛りが見付けられる可能性が残されている。
ケータイにメールが来た。
〈今、家を出たよ!〉
有里の目の輝きが目に見えるようだ。
村上は思わず微笑んだ。
何をしてるんだ……。
その男は、のんびりコーヒーなど飲んでいる村上刑事を苛々と眺めていた。
──あのコインロッカーだということは分っていた。
だが、何番のロッカーか分らないし、鍵も持っていない。
あの刑事がロッカーを開けたら、そのときに、素早くやっつけよう。
あれを奪われてなるものか。
早くしろ! コーヒーなんか飲んで、何をのんびりしてるんだ!
男はポケットの中でナイフを握りしめて、唇をなめた。
▶#12-1へつづく
◎第 11回全文は「小説 野性時代」第209号 2021年4月号でお楽しみいただけます!