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レビュー

共謀罪、始動。標的とされた若者達は公安と大企業を相手に闘うことを選ぶ。――太田愛『未明の砦』レビュー【評者:藤田香織】

法やルールは「上のほう」の都合の良いようにしか変わらない、と思っているあなたへ。
『未明の砦』レビュー

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未明の砦

著者:太田 愛



書評:藤田香織(書評家)

 パンッ! と頬を叩かれた気がした。
 目を覚ませ。足元を見ろ。前を向け。考えろ考えろ考えろ。
 動き出せ。諦めるな。手を伸ばせ。恐れるな。声をあげろ。足掻け足掻け足掻け。
 600ページにも及ぶボリュームにもかかわらず、途中で立ち止まることも出来ず、読み終えてしばらくドクッドクッという自分の鼓動をはっきり感じた。こんな話を読みたかったと再びページを捲り、多くの人に読んで欲しいとカバーを見返した。巧く理由を説明できない心がジリジリする。あぁそうだ。本当にそうだなと何度頷いたかわからない。
 太田愛『未明の砦』は、凄まじい熱量を持った物語だ。

 幕開けは〈世界のユシマ〉と称される大手自動車メーカー、株式会社ユシマで非正規の工員として働く矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平の四人が、東京・吉祥寺の街で確保・逮捕間近に追い詰められる場面。指揮をとる警視庁組織犯罪対策部の警視・瀬野徹は、この逮捕劇が日本の警察史に自分の名を残すものになると自覚していた。
 しかし、盤石な布陣で挑んだはずが、追跡途中に通りがかった飲食店で火災が発生。アジトと目されていたアパートで他三人を待っていた泉原を含め、全員を取り逃がす。
 いったいなぜこんなことになったのか。呆然とする瀬野に続き、物語は四人を逃亡に導いたと思しき日夏康章、四人の罪状を教えられぬまま行方を捜索しろと命じられ疑念を抱く所轄刑事・薮下哲夫、週刊誌記者とカメラマンの「ブチタマ」コンビ、与党の幹事長・中津川清彦を高級ホテルのバーに呼び立てたユシマの副社長・板垣直之らにフォーカスし、ようやく吉祥寺からなんとか逃げ出した矢上の視点へと移る。
 四人が追われている理由。矢上らを逮捕することが、どうして瀬野の名をあげることになるはずだったのか。四人の窮地を救った日夏は何者で、彼が二十年ぶりに顔を合わせるようになった灰田聡とはどのような関係なのか。四人の罪状が秘匿されている理由はなんなのか。第一章で提示された謎は約四ヶ月前の夏に遡り、矢上たちがここに至るまでの過程を追うなかで、次第に明らかになっていくのだが、それ以外にも多くの立場の異なる者たちの思惑と意思が交錯する。

 大筋となるのは、非正規雇用で働く者たちの労働環境と、<共謀罪>をめぐる背景だ。グローバル企業であるユシマの生方第三工場で働く矢上たちは、ラインの歯車のように働かされることに慣れきっていた。矢上と秋山は派遣工、脇と泉原は期間工の違いはあれど、正社員である本工たちから<非正規はストレスのはけ口>と呼ばれ、理不尽な扱いを受けることは同じ。正規の工員ではないため労災などで正規のルールが適用されないのもあたりまえになりつつあった。
  ろくに話もしたことがなかった四人が「仲間」となったのは、工場の班長を務める玄羽昭一の招待で、夏期休暇のあいだ千葉の海辺の町で共に過ごしたことがきっかけだった。いつもとは違う環境で、いつもとは違う生活。玄羽の指示でスマホの持ち込みを禁じられたため、自然と多くなった対話のなかで、四人は自分たちの置かれた立場を自覚し、疑問を持ち、その答えを求めて書物を読みふけり、社会を、世界を知っていく。望まず、主張せず、都合の良い部品として生きていた彼らが、自分という人間を認め、人間らしくあることを求めて良いのだと気付く。
  一方、この世の中には、部品は都合良く利用できなければ意味がないと思っている者たちがいる。そこから〈共謀罪〉という扱いの困難な法の暗部に繋がる展開が、より一層、読者の心をひりつかせていく。

 現実を変えようと足掻いたところで、どうせ世の中は動かない。法やルールは政治家や「上のほう」の都合の良いようにしか変わらない。声をあげれば叩かれる。署名やデモなんてやるだけ無駄。そんなことに時間や気力を使ったところで得られるものは疲労感と虚しさだけじゃないかと、手の中にある非現実世界に逃げ込んで、毎日をただやり過ごすように生きてきた自分を省みる。
 心の隅に少しでも、このままでいいわけなんてない、と思う気持ちがある全ての人に、本書が届くことを願う。

作品紹介



未明の砦
著者 :太田 愛
発売日:2023年07月31日

共謀罪、始動。標的とされた若者達は公安と大企業を相手に闘うことを選ぶ。
その日、共謀罪による初めての容疑者が逮捕されようとしていた。動いたのは警視庁組織犯罪対策部。標的は、大手自動車メーカー〈ユシマ〉の若い非正規工員・矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平。四人は完璧な監視下にあり、身柄確保は確実と思われた。ところが突如発生した火災の混乱に乗じて四人は逃亡する。誰かが彼らに警察の動きを伝えたのだ。所轄の刑事・薮下は、この逮捕劇には裏があると読んで独自に捜査を開始。一方、散り散りに逃亡した四人は、ひとつの場所を目指していた。千葉県の笛ヶ浜にある〈夏の家〉だ。そこで過ごした夏期休暇こそが、すべての発端だった――。

自分の生きる社会はもちろん、自分の人生も自分で思うようにはできない。見知らぬ多くの人々の行為や思惑が作用し合って現実が動いていく。だからこそ、それぞれが最善を尽くすほかないのだ。共謀罪始動の真相を追う薮下。この国をもはや沈みゆく船と考え、超法規的な手段で一変させようと試みるキャリア官僚。心を病んだ小学生時代の友人を見舞っては、噛み合わない会話を続ける日夏康章。怒りと欲望、信頼と打算、野心と矜持。それぞれの思いが交錯する。逃亡のさなか、四人が決意した最後の実力行使の手段とは――。
最注目作家・太田愛が描く、瑞々しくも切実な希望と成長の社会派青春群像劇。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322304000209/
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