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(評者:お股ニキ / 野球評論家)
「人の行く 裏に道あり 花の山 いずれを行くも 散らぬ間に行け」
かの千利休の名言とされ、相場や株式投資における格言として知られている。
きれいな花を見たいのであれば、人が大勢歩いている表の道より、裏の道を行くべきである。花の山を見たいのであれば「人とは違うことをしろ」という意味だと解釈される。翻って投資で大きな利益をあげたければ、過去に人が通った舗装された道ではなく、前例のない裏道を先陣を切って進む勇気が必要であるということだろう。過去に人が成功したパターンを踏襲するのは比較的容易ではあるが、未知のものにはなかなか踏み出す勇気が出ないのが人間である。
「大リーグはビジネスというにはスポーツでありすぎ、スポーツというにはビジネスでありすぎる」という元カブスオーナーの名言にも代表されるように、野球はスポーツであると同時に、ビジネスや投資の側面を多く持っており、似たようなことが言える。
ナ・リーグ中地区所属ピッツバーグ・パイレーツは1990年台初頭、バリー・ボンズやボビー・ボニーヤらのスター選手を擁し、名将ジム・リーランド監督が率いて黄金期を迎えていた。だが、その後長期にわたって低迷し、20年連続負け越しの北米プロスポーツワースト記録を更新した。前半戦は勝ち越しても後半に息切れを繰り返して地元ファンの期待を裏切り続け、いつしか期待するだけ損だからとフットボールのスティーラーズやホッケーのペンギンズに人々の関心は移り、美しい本拠地PNCパークには閑古鳥が鳴いていた。
そんななか、2013年から3年連続で強豪ひしめくナ・リーグ中地区で2位に食い込みワイルドカードでプレーオフに進出する躍進を見せたパイレーツの謎に、地元記者トラヴィス・ソーチックが切り込む。本書は野球におけるデータ分析や戦術・戦略の解説書でもあり、またチームの戦い、選手や監督、GMそしてアナリストの人間ドラマを記したドキュメンタリーでもある。
野球は攻守が分断しており、いかに得点を増やし、失点を減らすかが単純ではあるが肝となる。そのため、強打者を獲得して攻撃力を高める、あるいは一流投手を獲得して抑え込むといった戦略が王道ではあるが、良い選手は当然年俸が高く、補強には金がかかる。しかしパイレーツは年俸総額でも下から数えた方が早く、FA選手の補強にかけられる金額は1500万ドルほどだった。優秀な先発投手は1人で2000万ドル以上を稼ぐメジャーの世界。パイレーツには大物を獲得する余裕はなかった。
2010年に監督に就任したクリント・ハードルや『マネー・ボール』以後のデータ分析の手腕が認められてGMに就任したハンティントンにとってもそろそろ負けが許されず、後がない状況だった。資金がない中でいかにチームを強化するか。アナリストたちとたどり着いた共通の答えが「ビッグデータ」の活用だった。
データの視覚的な説明がパイレーツ躍進を支えた
パイレーツ躍進の3本の矢は「守備シフト」「ピッチフレーミング」「2シームの多投によりゴロで打たせてとる投球術」である。打線を大きく変えることができないパイレーツは、こうした守備面の改革で失点を大きく減らすことに成功し、勝利を積み重ねた。
野球の守備位置は左右均等に等間隔で配置されるのが通例だった。特に理由はないが、「そういうものだ」と誰もが深くは考えずにいたのが守備の定位置である。ところが、実際にデータを分析すると個々の打者による打球の方向には明確な傾向があり、飛びやすい位置に予め守っておけばアウトが取れる可能性は大きく高まる。データ上はそのような結論が出ていた。
「ストライクゾーンが試合の要」である野球においては際どいコースを審判にストライクとコールさせることができれば有利となる。こうしたキャッチャーの「フレーミング」の技術はかつてから存在したものの、その効果を数字で正確に測定することは不可能であったため、その技術の高さを客観的に議論することが難しく、過小評価されてきた。ところが、大量のデータを分析することが可能となり数値化したところ、その影響は想像以上に大きいことがわかってきた。
そこで獲得したのがラッセル・マーティンである。前年の打率が.211と不調でもう終わった選手とも考えられていたマーティンのフレーミング能力の高さや投手の特性を活かす配球、若手の手本ともなる人間性を評価し、パイレーツにとっては高額な2年1700万ドルを提示してマーティンを獲得した。フレーミングや配球の価値が理解できない地元マスコミやファンにとっては、打てないベテラン捕手の獲得は不可解でしかなく、批判された。
そして、打球をシフトの網にかける最後の矢が2シームである。PITCH F/Xの導入でピッチャーの投げるボールの回転軸や変化量、軌道が明らかになると、少しのシュート回転で沈む2シームは明確にゴロの率が高いことが判明した。こうして、トミー・ジョン手術から復活した速球派投手チャーリー・モートンにかつての大投手ロイ・ハラデイのような2シームを指導しインコースを攻めてゴロを打たせ、シフトの網にかける戦略が成功する。
素質はありながらも近年は故障で低迷していたサウスポーのフランシスコ・リリアーノ。故障からも徐々に回復し、一級品のスライダーを持つリリアーノの空振り率や球速は回復していた。制球に難があるが、マーティンのフレーミングでストライクを稼ぐことができれば再生できると考え獲得したリリアーノは目論見通り活躍し、プレーオフでも好投する。
他にもレフトが広い本拠地の外野守備を強化するためにスターリング・マルテをスカウトが獲得した。
しかし、こうしたデータ分析による新戦術は、その効果は確実とは見込まれていたものの、実際に導入するか否かは監督の裁量による。また、選手がそれを理解し受け入れなければ成果をあげることはできない。これまでの慣例通りの「定位置」を守っていればアウトになっていた打球が抜けてしまい失点したら投手は不安を覚え、また怒り狂う。
優秀なアナリストたちは数字の計算だけでなく、説明能力にも長けていた。わかりやすく情報を視覚化し、効果を実感させ選手からのフィードバックを受けてさらに信頼関係を築いていくと一緒に帯同するチームの一員となっていく。生涯獲得年俸が1億ドルを超えるベテランスター投手で投手陣のリーダーであるA・J・バーネットもいつしか納得し、投球スタイルを変化させ2シームを増やしていった。
高いレベルでのプレー経験がない人間に何がわかるのか。元一流選手の感覚が重視され、プレー経験のないアナリストの意見はこれまでないがしろにされていた。しかし、後がなくなったハードルは徐々にオールドファッションのスタイルから新たな戦術を受け入れていく。
こうした選手、監督やアナリストが信頼関係を築いていくドラマも本書の魅力である。
一歩踏み出した男たちがしのぎを削る大リーグの最前線
『マネー・ボール』でオークランド・アスレチックスが採用していたデータは今から見れば非常に簡易的なデータであった。しかし、誰も注目していないところで裏道をいった「ファーストペンギン」のアスレチックスは多くの果実を得ることができた。
今ではデータ分析が進み、守備シフトやフレーミング、トラッキングデータにおける投球解析は当たり前となり、パイレーツの先行利益はなくなった。ファーストペンギンを称える精神が強いアメリカでさえも、最初の一歩はなかなか踏み出せないものである。一方で効果があると瞬く間に模倣されトレンドとなる。「いずれを行くも 散らぬ間に行け」という言葉の通り、トレンドの最盛期には乗る必要があるが、誰もがやりだしたら終焉であり、逆を突き、先をいく精神が必要となるだろう。こうした革命はいつも、こうした後がない男たちが起こすものである。パイレーツはメジャーリーガーの最低年俸以下のアナリストたちの知恵で4000万ドル近い価値=勝利を生み出すことができた。
NPBでもデータ分析の波が押し寄せ、メジャーのトレンドが流入し、極端な守備シフトを採用するチームが出てきている。また、公開はされないものの、ピッチフレーミングの技術の評価もおそらく可能となっている。
一方2019年現在のメジャーではさらに進んでいる。守備シフトや沈むボールへの対抗策としてボールを打ち上げて長打を狙うフライボールレボリューションがデータ分析から起こり、その対策として投手は高めに浮き上がるような4シームを投げるようになり、2シームは減少している。また、そもそもバットにボールが当たらなければ何も起こらないから積極的に三振を狙うスライダーが増加している。本書に登場する選手では、2シームによりゴロで打ち取ってきたチャーリー・モートンが現在ではカーブやカッターを増やしていおり、ゲリット・コールが4 シームを増加させ活躍している(拙著『セイバーメトリクスの落とし穴』光文社新書もぜひ参照していただきたい)。終わりのないいたちごっこが延々と続いていくのが野球というスポーツでもある。
守備シフトやフレーミング、トラッキングデータなど数字で白黒はっきりつくことと、マーティンの配球やデータの存在しないグラウンドでのスカウティング、現場とアナリストの人間同士の信頼関係など白とも黒とも言えない灰色の部分が存在し、それをいかに明確にし、数学と芸術の融合、データと感性の融合を図っていくか。そこには密接に人間の感情やドラマが存在するのである。単純にリスクを追えば良いというものではないが、リスクを追うことで(裏道をいくことで)大きなリターンを得ることができる。野球ファンだけでなく、ビジネスパーソンにも大いに参考になるだろう。
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