めまぐるしく変化を続け、過去を上書きすることで発展を遂げてきた街、東京。『東京の幽霊事件』は、この街で語り継がれてきた「怪談」を手がかりに、消えゆく記憶と風景を追い求めた怪奇ルポルタージュである。著者の小池壮彦氏は、怪談やオカルトブームの背景にある社会の動きを、長年にわたって調査してきたルポライター。本書は怪談専門誌『幽』誌上の連載をまとめたもので、二〇一〇年刊の姉妹編『日本の幽霊事件』と同様、小池氏の〝名探偵〟ぶりを堪能できる一冊となっている。
全編通して驚かされる記述がいっぱいだ。たとえば一九八〇年代に再開発が始まり、今日ではオフィスビルや高層マンションが林立する品川区の天王洲アイル。このスマートな湾岸都市が、かつては恐ろしい心霊スポットだったことを、私は初めて知らされた。
海へと注ぐ目黒川河口付近には、多くの水死体が流れ着き、それらを弔うために川底から三本の卒塔婆が立っていたという。戦前から幽霊の噂の絶えなかったこの土地で、戦後男性が川に投げ込まれ殺されるという凶悪事件が発生。それ以降、被害者らしき男性の幽霊が目撃されるようになってゆく。
念のために書いておくと、小池氏は幽霊の実在を頭から信じているわけではない。それが本物の幽霊かどうかはさておいて、人びとが何かを目撃し、怪談を語り伝えたことは事実。ならばその背景を探ってみようというのが小池氏の一貫したスタンスなのである。この目黒川のケースでは、凶悪犯罪を迷宮入りさせた警察への不満が、幽霊事件を引き起こしたと推測されている。今日のどかな公園に変わっている事件現場。そこを訪れた小池氏は、「その景色を見ていると、卒塔婆にしがみつく幽霊の伝説は、本当に遠い昔の話になったと感じる。だが、海から流れてくる潮の香りは、時代を超えて死人の面影を伝えているようにも思えてくる」と述懐する。
怪談はただ恐ろしいだけのものではない。時代を映し、人びとの声なき声を後世に伝える、貴重な歴史資料でもあるのだ。
今回小池氏が調査したのは、都内十四の怪談名所(番外編として神奈川・群馬などの三スポットも掲載)。五重塔焼失にまつわるロマンティックな伝説を覆し、戦後の混沌とした世相を浮き彫りにする「一 谷中霊園」、『東海道四谷怪談』の舞台になったエリアを歩く「七 面影橋」など、いずれの章でも、現在の賑やかな姿からは想像もできない過去が、怪談というレンズを通して浮かびあがる。その瞬間がたまらなくスリリングで、面白い。
個人的に唸ったのは神田界隈に存在した「お玉ヶ池」をめぐる二つの章である。江戸時代、風光明媚な名所として知られたお玉ヶ池。非業の死を遂げた娘の亡霊伝説とともに知られたこの池が、文献に初めて登場するのは十八世紀だ。なぜそれ以前の文学者は、お玉ヶ池について記していないのか。
この疑問に目を向けた小池氏は、数多くの随筆や名所案内にあたって、お玉伝説の正体を明らかにしてゆく。その結果見えてきたのは、日本人の心に脈々と受け継がれてきた、ある物語のパターンである。一見ありふれた怪談が、はるか古墳時代にまで繋がってゆく意外性と知的興奮は、まるでよくできた歴史ミステリーのようだ。
本書を読み終えて、無性に紹介されている街に出かけてみたくなった。向かったのはJR東中野駅。鉄道事故が多発し〝白い女〟の幽霊がさまよっていたという土地である。開かずの踏切があったガード付近は、真昼ということもあって、怪しい気配は微塵も感じられない。しかし歩いているうちに、ちりちりと首筋が鳥肌立ってきたのは——、怪談というレンズを通して街を眺めていたからかもしれない。
見ようとしなければ、過去は姿を見せてはくれない。東京オリンピックを目前に控え、昔ながらの景色が加速度的に失われつつある昨今、怪談というレンズを手に入れておくことは、とても大切なことのように思われる。
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