恒川光太郎の小説を読んでいると、いつも頭の中で二つの相反する思いがぶつかり合う。一つは「見えてはいけないものが見えてしまった」という恐怖。もう一つは「この心地よい世界を去りたくない」という寂しさ。
このような思いがせめぎ合う物語など他では滅多にお目にかかれない。しかし恒川光太郎はそうした物語をこれまで幾つも作り上げてきたのである。何と稀有な作家なのだろう。
『白昼夢の森の少女』はその恒川の最新短編集だ。最新、といっても古いものでは二〇〇八年発表と、約十年間にわたって様々な媒体に掲載した短編十篇を収めており、なかには『和菓子のアンソロジー』(光文社刊)に収録された作品もあるなどテーマも多様である。
では本書は統一感のない短編集なのだろうか。否、断じて否。題材はバラバラなれども、本書に収められた短編はどれも恐怖と寂しさが交じり合う、恒川小説独特の感覚が味わえるのだ。
なかでも表題作の儚い美しさは一読忘れ難い。八月の満月の夜、ある山間の小さな町で蔦が突然、人間を含むあらゆるものを覆い始めるところから本編は始まる。語り手の少女・ミエも、自宅で寝ている間に蔦が絡まり、その中に取り込まれた一人だ。蔦には何もせず、ひとまず救助を待っているミエの頭の中に「助けてくれえ」や「なんなんだいったい」といった声が聞こえてきた。同じように蔦が絡んでいる人同士では、思考が繋がっているようなのだ。緑人と呼ばれるようになった人々は、やがて夢も共有し始め、ミエは現実と夢の間を行き来するようになる。
異界へと足を踏み入れ、そこに楽園を見出すというのは恒川光太郎が得意とする主人公像のひとつだ。ミエもまた、肉体的に人ならざる存在になりながら、緑人たちと築いた夢の世界に安らぎを求めていく。破滅と美が交錯する光景には息を呑むだろう。
現実からの脱出を選んだ主人公といえば「銀の船」に登場する十九歳の少女もまた然り。人生に倦んだ彼女は、かつて友人から聞いた空に浮かぶ銀の船に乗り、永遠の旅に出ることを決める。一度船に乗れば必ず故郷を失う。それでも船上の人となった彼女の姿に、誰もが心の奥底にしまう逃避願望を掻き立てられずにはいられない。
恒川作品といえば、日常へと割り込んでくる異形の存在を抜きには語れないだろう。今回、最もインパクトを残す異形は「傀儡の路地」に出てくる〝ドールジェンヌ〟である。膝に青色の瞳をしたフランス人形を抱き、公園や電車内など街の至る所に突如現れる〝ドールジェンヌ〟は、さながら傀儡師のように主人公を意のままに操る。ゴシックめいた不気味さを漂わせながら、どこかシュールな一面もある〝ドールジェンヌ〟の怖さは恐らく恒川が創造した異形の中でもトップクラスに入るはずだ。前半はこの〝ドールジェンヌ〟が発する得体の知れない恐怖に支配されているのだが、やがて物語はホラーという言葉では一括りにできない顔を唐突に見せ始める。この展開もまた実に巧いのだ。
不意打ちの面白さでは「平成最後のおとしあな」も負けてはいない。この作品は〝ヘイセイのスピリット〟と名乗る人物と語り手の〝私〟が繰り広げる奇妙な会話で幕を開ける。読者を煙に巻くような場面が続いたところで、作者はあっと言わせるようなシチュエーションを用意しているのだ。いやはや、これには参った。
こうした珠玉の短編のラストを飾るのは「夕闇地蔵」。ここでは他人とは違う、第二の視覚の層を持つ少年が語り手を務める。その層では人はみな、生命そのもののような炎で燃えているが、彼以外にその事を知る者はいないのだ。
人には見えないものが見えて、それを他者には伝えられないもどかしさのなかに生きる孤独。それこそが恒川光太郎という作家の核にあるものではないだろうか。人とは異なる世界に佇むものを介して、恒川はいつだってこう語りかけてくる。「見えているものが全てじゃない」と。
書誌情報はこちら≫恒川光太郎『白昼夢の森の少女』
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