【カドブンレビュー】
2023年。東京はオリンピック後3年で300万人もの外国人労働者が流入し、様相を変えた。懸念されていた賃金の低下は起こらず、働き方のバリエーションも増えたが、正規雇用と非正規雇用の格差は拡大した。日本は、すでに経済成長を諦めている。
物語の主人公・舟津怜は、かつてYouTubeでパルクールのパフォーマンス動画を配信して人気を博した。しかし15歳の誕生日を境にネット上から姿を消して、現在は他人の戸籍を買って別人になりすまし、失踪した外国人労働者を捜索する日々だ。その怜のもとに、無断欠勤が続くベトナム国籍の女性ファムを連れもどすよう依頼が入る。彼女が働く店は、有明のオリンピック会場跡地に創設された「東京デュアル」内にあった。東京デュアル、正式名称は東京人材開発大学校。学生として学びながら、同じ敷地内にオフィスを構える提携企業で社会人として働くことができ、無利子の奨学金制度も用意されている。画期的な二元的教育制度。しかしこのよくできた制度には、重大な瑕疵があった。東京デュアルに足を踏みいれた怜は、この瑕疵を告発しようとしていたファムとともに、さまざまな思惑が入り乱れる大規模なゼネラル・ストライキに巻き込まれてゆく――。
経済紙やアナリストによる予測では、オリンピック後は特別需要がなくなり不況に陥るというが、『東京の子』で描写される2023年は意外に好景気。その裏で、労働者たちは疲弊し、搾取されようとしている。学生たちが自分のおかれた状況を認識し動きだすその幕間に、名前を偽って生きる怜の事情が明らかになり、やがて彼が本当の自分の人生へ戻ってゆく過程が描かれる。
どんなに理想を追ってみても、完璧な社会など存在しない。学生や労働者たちの立場と迷走ぶりをみれば、これは至近未来ディストピア小説かな、と思う。その閉塞感を破る存在が怜であり、彼の鍛えられた肉体が躍動するパルクールの爽快感だ。怜は自分の体が何歩でどこにたどりつくのかを知っている。そのあいだにある障害物を、なにごともなかったかのように飛んで越える。しかも、怜がパルクールの技を巧みに使い、逃亡した外国人労働者や学生を追うのは、彼らを捕まえるためではない。対話のため、より悪い状況へと向かってゆくことを防ぐためなのだ。ラストシーンに向けた怜の圧巻のランニングからは、目を離せなくなる。
読み終えて、これはディストピアとはほど遠い、しかも青春小説ではないかと思い直す。
誰でも、自分が望む名前をもらえるわけじゃない。誰もが、自分が望んだ場所にいられるわけじゃない。人間は間違い、対立するけれど、修正ができるし対話もできる。きっと良い方向へ向かうことはできる。ほんの少し先の未来が、明るい光を帯びてみえる。そんな気持にしてくれる、まっすぐで前向きな、これは王道の青春小説だ。
書誌情報はこちら≫藤井太洋『東京の子』