森晶麿の書き下ろし長編『毒よりもなお』は、第1回アガサ・クリスティー賞受賞のデビュー作『黒猫の遊歩あるいは美学講義』以来、本格ミステリーを書き継いできた著者が世に問う社会派ミステリーだ。ここで言う社会派ミステリーとは、現実に起きた事件や出来事を題材にしながら、作家としての想像力で人間心理を追究し、その成果を、ミステリーの技芸を駆使して突き刺すように読者の胸に届けることである。
物語は2018年の現在パートと2010年から始まる過去パートが、交互に現れる構成で進んでいく。2018年の私————美谷千尋は、都内のクリニックに勤めながら、公立図書館で無料の心理カウンセリングを行っている。7月のある日、自殺願望のある高校生・今道奈央と面会し、〈首絞めヒロの芝居小屋〉という自殺サイトの存在を知らされる。管理人は〈首絞めヒロ〉というアカウント名でツイッターも開設しており、苦しまずに死ねる方法を教えてくれるのだという。サイトにアップされていた自作小説「青天井の遊歩者」を読むと、千尋の記憶がうずいた。〈ヒロ〉とは、間宮ヒロアキのことではないか?
2010年の千尋は、山口県小和田市の実家に暮らす高校3年生だ。夏休みのある日、彼女は路上で突然、見知らぬ男から首を絞められた。男の手を逃れ「警察に通報するけぇ」と言うと、「いいよ」とへらりとした返答が。本人が語るところによれば、男は二十歳の大学生、間宮ヒロアキ。通報はせず男をそのまま帰したが、腹は決まっていた。千尋はトマス・ハリスの小説『羊たちの沈黙』が好きで、映画版でFBI訓練生のヒロインを演じるジョディ・フォスターに憧れていた。将来は心理学の道に進もうとしていた自分にとって、またとないチャンスだ。〈ヒロアキを————自分の中の患者第ゼロ号にしよう〉。
ストーキングすれすれの行動で身辺調査を始めた千尋は、過去にも起こっていた事件を知り、ヒロアキ本人に「異常快楽犯罪者」という言葉を投げかける。その言葉に対する、彼の返答はこうだ。「君は、苦しみを快楽と定義するんだろ? ならば、僕は快楽主義者だ」。ヒロアキの犯罪心理の裏には、どうやら、苦しみがある。千尋は〈一人の異常とも言える人間の内面を想像することが、なぜかくも切ないのか分からなかった〉というが、本当は分かっている。ヒロアキの苦しみを、自分自身も知っているからだ。彼の中にあるものが、自分の中にもある。だから、切ない。それが暴発してしまっていることが。止めてあげられずにいることが。
ヒロアキは読書が好きで、自ら小説も書くというエピソードは重要だ。彼は、想像力がない人間ではない。他者の視点からものを見ることができるし、他者を害したらどうなるか、脳内でのシミュレートもできている。にもかかわらず、罪を犯してしまう。それは、何故か。何が彼を、駆り立てるのか。
過去パートの千尋が手にした情報や実感は、現在パートで〈首絞めヒロ〉が巻き起こす事件の謎を解く手がかりとなる。しかし、物語は単線的な快感を提供しない。過去と現在が有機的に絡み合っていった先で、図地反転のサプライズが発動する。本作は著者初の社会派ミステリーだと冒頭で記したが、「本格」と「社会派」は相容れないものではない。工夫次第で、融合させることができる。
あとがきにも記されているが、本作が題材にしている事件は2005年に起きた(発覚した)、いわゆる「自殺サイト殺人事件」だ。2009年に異例の早さで死刑執行された犯人は、自殺サイトを通じて自殺志願者と知り合い、「一緒に死のう」などと誘い込み3名を殺害した。実は、本作にはもうひとつ、作中に取り入れられている「現実」がある。ロックバンド、フジファブリックの往年の名曲「若者のすべて」だ。
歌詞の直接的な引用は行われていないが、作詞作曲したギターボーカル・志村正彦の存在感を含む、この曲独特のムードが作中で何度も描写される。夏の終わりの一場面を切り取るこの曲は、無粋を承知で端的に言えば、「青春の終わり」を歌っている。その曲をまるでテーマソングのように作中で鳴らす本作が、「青春の終わり」————青春時代との決着と決別をテーマにしていないはずがない。
タイトルの意味が明かされるエピローグで、切なさが爆ぜる。折原一ファンも、マストリードだと思います。
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