この本が刊行されるまでの苦労を知っていたので、感慨深く読んだ。書かれていることだけでなく、書かれていないことも推し量れる、亡き人への敬意と情愛に溢れた追悼記だと思った。
谷さんは、高倉健の脇に、少し距離を置いて坐っていた。高輪プリンスホテルの貴賓室でのこと。谷さんは一言も発せずに、話を聞いていて、終始おだやかに微笑んでいる。高倉健がこの女性を信頼していることは、すぐにわかった。いったい、どういう人なのか、気になったものの、それを問うこともないまま話は終わった。後日、もう一度あらためて話を聞きたいということをお願いしたのは、そのときに高倉健がもっぱら聞き役にまわって自分のことを語らなかったからだった。谷さんは、いやな顔をすることもなく快諾してくれた。面倒な役回りだと思うが、どうやら労を厭わない人のようだ。
初めて、高倉健に会ったのは、高輪プリンスホテルの迎賓館でだった。まだ、五十代だったか、それとも六十を超えたくらいだったか、精気に溢れていて俊敏な猟犬のようだった。麻のパンツに、ジョン・ロブのものらしいスエードの紐靴、薄手の淡い色のポロシャツ・・・・、イメージしていたよりもずっとお洒落で、ダンディだった。話してみて、こちらに舵を取らせるあたり、いかにも熟れていて、懐の深さを感じせた。巻き舌で喋るようなヤクザ映画での役柄を引きずったりしていなくて、話題も豊富で、聞き役に回ると物静かで知的だった。思い浮かべたのは、ジョージ・ラフトというギャングスターのことで、どことなくルドルフ・ヴェレンチノに似た甘いマスクで、ギャング役を演じると凄みがあった。暗黒街とのつながりも囁かれていて、そうした噂が絹のシャツのフリルにもなっていたのかもしれない。『暗黒街の顔役』では、主演のポール・ムニよりもジョージ・ラフトの方が強烈な印象を残した。コインを弄ぶしぐさや、空虚さを噛みしめているようなニヒルな表情には、日陰者の美しさがあった。高倉健が、いつか白髪を隠すこともなく、老いを衰えではなく威厳として身にまとったジョージ・ラフトのような俳優になってほしいと思った。そうはならないだろうと懸念があったが、コインを宙に投げてみたかったのだ。
次の場所は、六本木の中国飯店の二階の個室だった。高倉健はほぼ毎日のように、ここに来ているという。食べるところだけでなく、コーヒーを飲む店も、どこに坐るかも、掟のように決まっているらしい。服を買うところも、髪を切るところも、何もかもを間に合わせにしないで、信頼できるところにしか行かない。いわば個人的なRoyal Warrantというものが厳選されていたらしい。そんな私生活の一端からうかがえるのは、この俳優が計算外のことを避けるように慎重にルーティンをくり返しているらしいことだった。この人は、そうやすやすと素顔を晒さないだろうと思ったが、むしろ任侠映画の大スター高倉健を演じてくれている方が居心地がよかった。この日は、こちらの要望を聞き入れてくれてのことだろう、堰を切ったように冗舌だった。谷さんは、そうした様子を微笑ましそうに見ていて、口を挟むということがなかった。
谷さんとは、それから会う機会がふえて少しずつ距離が狭まっていくことになる。さっぱりとした気性でウソがない。姉御肌ではあるけれど、ベタベタしないで突き放すようなところがある。人一倍情が深いことを自制しようとしてのことだろうか。クルクル表情が変わっていたずらっ子のようだけれど、これだけは譲れないという芯があって、まっすぐに見据えてくる目は、突き刺すように一途だった。かと思うと、磊落なイタリア女のような包容力もあって、全身に生きるエネルギーが溢れている。健さんに惚れ込んでいるだけでなく、健さんに邪悪なものが近づかないように四方に神経をとがらせている。そこにあるのは、私利私欲というものがこれっぽちもない捨て身の愛だ。
一度、谷さんに言ったことがある―「谷さんって、人斬り以蔵、岡田以蔵みたいだ。」その辞世の句のことも思い浮かべていた―「君がため 尽す心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空」
高倉健というスーパースターを支えている心棒は、ひょっとするとこの女性かもしれないと直観した。そう思ってみると、市川崑の「おとうと」での、川口浩扮する弟に手を焼きながらも溺愛する姉の岸恵子の面影に重なってくる。まさか、高倉健が弟?
高倉健の没後、たくさんの本が刊行された。いくつか読んではみたが、どれも何かを欠いているような気がして不満だった。書き手に切迫したものがなくて芸能誌の記事を水増ししたような上滑りな評伝ばかりだった。いっときは山積みになっていたのに、もう高倉健のことを書いた本は何もなかったかのように消えてしまった。そんなときに、しんがりをつとめるように『高倉健の身終い』が上梓された。一人のスターを回想しながら、そのまま平成という時代を振り返っていて、2019年1月10日出版は絶妙のタイミングだったといえるだろう。企んでの商売っ気からではない、いつまでも死を終わりを回避しようとする不決断な世の中への一撃だ。
谷さんは、「フリーライター初っ端の仕事で健さんと出逢った。1984年から撮影現場を追い、ゆかりの人々を訪ね歩いた一期一会の機会は三十年余りに及んだ」と書いている。それでいて、この本に書かれているのは自分しか知らないだろうという誇らしげな逸話の羅列ではない。むしろ、そうしたものをできるだけ抑制しながら、高倉健という最後の映画スターを透して見えてくる映画界の現場での職人気質(カツドウ屋!)というもの、揺るぎない絆についてを描いている。有名無名を問わず登場して消えてゆく人たちの面影は、この本の陰影となっていて、読後もずっと心にのこっている。いや、むしろ、そうした人たち(チーム高倉と呼ばれるスタッフだけでなく)の存在が、高倉健その人に伍すように遇されている。
そのために、労を惜しまずにあちこちへ赴いて、その人たちが語る高倉健のかけらをジグソーパズルのようにつなぎ合わせているが、そのつなぎ目を隠そうとしない。だから、語り口は滑らかというよりは、ところどころで言いよどんだり口ごもったりしてむしろ訥々としている。そこに愛惜の深切さがあって、胸を打たれる。
谷さんのことを白洲正子が、この本の中でこんな風に評している―「あなたは、近江のお百姓の娘みたいだわ。肌はお日様でよく灼けているし、腰はしっかりしているしね」
もちろん、こんなことを言えるのは白洲正子だけだろうが、快活で朗らかな一人の女性が高倉健から託されたものの重さを、われわれは推し量ることしかできない。黙約や契りは、選ばれたものが死ぬまで胸にしまっておくしかないからだ。
>>谷 充代『高倉健の身終い』
☆カドブンでは、未収録エピソードも公開中!
>>【特別公開 第1回】「健さんが洩らした亡き元妻への想い」
>>【第2回】「愛する母親との永訣」
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