物語は。
これから“来る”のはこんな作品。物語を愛するすべての読者へブレイク必至の要チェック作をご紹介する、熱烈応援レビュー!
額賀 澪『風に恋う』(文藝春秋)
評者:吉田大助
こんな読書体験をしたのは、いつ以来だろう? 勝敗が決まる一文をギリギリまで目に入れたくなくて、右手で本を持ち、左手で文章を隠して一行ずつスライドさせながら、息をこらし祈るように読み進めていったのは。青春小説の旗手として知られる額賀澪が、デビュー作以来となる吹奏楽(部)を題材にした『風に恋う』。何はさておき、主人公を試練に巻き込む、冒頭のエピソードが完璧に素晴らしい。
埼玉県にある千間学院高校吹奏楽部は、数年前まで強豪として知られていたが、今や県大会すら突破できない。同校に進学した茶園基は、中学時代の彼が奏でていたアルトサックスの音色を知るクラスメイトに、「千学があの頃のままだったら、吹奏楽を続けてたかな」とつぶやき、「中学で、燃え尽きちゃったんだ」と本音を吐露する。吹奏楽部の部長を務める二歳上の幼なじみ・玲於奈にも、その意思は伝えていた。しかし、千学黄金世代の部長・不破瑛太郎がこの春からコーチに就任する、挨拶の現場に偶然居合わせてしまう。吹奏楽を始めるきっかけとなった、憧れの存在からの「入部希望?」の問いかけに対し、思わず「はい」。それだけではない。一ヶ月後、瑛太郎はモチベーションが低下した部を「ぶっ壊す」と宣言する。「手始めに、部長を一年の茶園基に替える」。六四名の部員の前で憧れの人が基に言う、「一緒に全日本吹奏楽コンクールに行く部を作ろうか」。〈「はい」口が勝手に動いた〉。ほら、素晴らしい。
物語はその後、王道のステップアップ・ストーリーの軌道を描く。基は、リーダー体質ではない。だが、己の理想とする音楽を追い求める、意固地なほどのハングリー精神は、部員達の向上心に火を付ける。部員は六四名いるが、コンクールに出場できる人数は五五名。三年生部員は受験も控えており、練習だけに打ち込むわけにはいかない。「吹奏楽の甲子園」出場を目指す日々の描写は、熱く、それでいて切ない。
色、匂い、風景の三要素を駆使した演奏シーンは、できる限りコンパクトにまとめ、物語の続きを早く知りたい読者の期待に応えようとしている。ただし、普段は一人一人の集まりでありながら演奏中は一つの生き物になる、吹奏楽部員達の群像描写がしっかりしているから、変化の記述に深い意味が乗る。例えば〈『スケルツァンド』の最初の一音は、今まで感じたことがないくらい、深かった〉。この一文だけで、彼らが過去の演奏から飛躍的に成長していると、確信できる。
作家にとって最大のチャレンジは、青春真っ只中にいる基だけでなく、二五歳の瑛太郎も視点人物に採用したことだ。大人の視点から青春を振り返らせることによって、青春の先に流れる時間を提示し、子供と大人は地続きであることを宣言する。この構造があるからこそ、物語に込められた数々のメッセージが、効く。変化の風は、大人から少年に向かって吹くだけじゃない。少年から大人に向かっても吹いている。その風を、読者もまた真正面から浴びることになる。
青春小説は、青春をとうの昔に通り過ぎた、大人のためにあるのだ。大人が、変わるためにある。
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ゆとり世代の「売れない」作家が綴った、ノンフィクション。右肩下がりの出版業界の現状を取材し、カリスマ編集者や有名書店員、売れっ子デザイナーなどから「売れる」ためのレクチャーを受ける。その過程で己の作家性や弱点に気付き、新たな気持ちで手掛けた一作目が、『風に恋う』だった。