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レビュー

愛されなかった記憶を救う家族小説 『不在』

 ヒット作もある人気マンガ家の斑木(まだらぎ)アスカこと錦野明日香(にしきのあすか)は、五歳下の俳優の卵、冬馬(とうま)と同棲している。明日香は、長らく疎遠だった父親が死に、終の棲家だった洋館と土地を相続することになった。明日香の生家は祖父の代から続く開業医。葬儀の後、〈私の死後、明日香を除く親族は屋敷に立ち入らないこと〉という父の奇妙な遺言とともに家を引き受けた明日香は、父と別れた母や、兄の鷹光(たかみつ)、叔父の(さとし)ではなく、恋人の冬馬と家財道具の処分を始める。
 二十四年ぶりに屋敷に足を踏み入れ、雑然と置かれた遺品を、売るもの、捨てるもの、あげるもの、残すものなどと仕分けていくうちに、明日香の脳裏には、父や家族との記憶の断片がいくつも蘇る。たとえば、祖父に厳しくピアノの音を聴く訓練をさせられ、泣いていたこと。〈若先生〉と呼ばれていた父は、近所で名医と謳われた祖父といつも比較されていたこと。ふらりと屋敷を出ていく父の後を追っていったのは、ソフトクリームや大判焼きを買ってもらうためではなく、本当は父の味方をしてあげたいと思っていたからだということ。言い争う両親を止めようとドアノブに手を掛けた瞬間、父の〈鷹光だけは置いていけ〉という言葉にショックを受けたこと。
 これまで気づかなかった、祖父と父や叔父との関係、父と自分たちきょうだいとの関係、あるいは、父と母や妃美子(きみこ)という後添えのように父の世話をしていた女との関係。どこを見ても、錦野家の血は愛に不器用だ。明日香はまるで記憶に感化されるように、冬馬に対して、また、信頼して新しい企画を進めていた若い女性編集者の緑原(みどりはら)に対して、支配的になっていく。いまのままの自分を認めてもらいたいと強く願えば願うほど、彼らとの関係はぎくしゃくしていく。
 人が愛を間違うのは、自分が望んだ通りに愛してほしいと思うからだ。愛し方は人それぞれだと頭ではわかっていても、こうだったらいいと期待する。そして、自分の思う形と違っていると、自分は愛されていない、それは愛ではないと、決めつける。しかも、明日香の愛し方は、父のそれとあまりに似ていた。
 そんなふうに、物語のある地点までは、愛されなかったことの飢餓感が愛を歪めてしまうさまが描かれ、明日香の痛みがそのまま読者に突き刺さる。
 そんな物語の空気を変えるのが、屋敷に現れた幼い少年だ。片付けに屋敷を訪れていた明日香と冬馬は、最初、誰もいないはずの二階で物音を聞く。ねずみかと思っていた音の正体は、二階に潜り込んでいたどこの誰ともわからない少年で、幽霊をやっつけに来たのだと言った。探しものもしているらしい。少しずつ明日香とも打ち解けるようになるが、たびたび屋敷に忍び込んでいる理由が、実は明日香とも深く関わりのあることで……。
 この少年の素性が見えてきて、そしてどうやら探しものが出てきたらしいそのときに訪れる変化。それこそが、がんじがらめになっていた愛が解かれる瞬間だ。
 ちなみに、本書には〈不在〉というごく短いタイトルがつけられている。実はこの言葉も、彩瀬さんが追いかけているテーマかも知れないと感じた。「喪失」や「後悔」をテーマにしたオムニバス短篇集『骨を彩る』や震災後に連絡がつかなくなった親友への揺れる思いを描いた『やがて海へと届く』も、大切な人がいなくなり、その存在に思いを馳せることによって、主人公たちが気づきを得る物語だったが、それは本書にも通じるところがある。
 けれど、そばにいないことは「(くう)」ではない。不在の者を思うとき、その存在はより身近なものとなって、美しい奇跡を起こす。
 作風で言えば、もうひとつ、冒頭の斑木アスカのサイン会の場面にこんな言葉が出てくる。〈あなたの漫画にはこんがらがったものを根気よくほぐして、別のものに変えようとする力が働いているね〉。斑木アスカの作風を評したものだが、彩瀬まるさんが描く小説世界にも通じる評論という気がしている。


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