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レビュー

宿命を書き換える対話空間 『あやかし草紙』

 本作は宮部みゆきの怪談シリーズ「三島屋変調百物語(みしまやへんちょうひゃくものがたり)」五作目である。
 このシリーズを手に取るのはこれが初めてだったが、分厚さにひるみながらも一気に読了してしまった。希代のストーリーテラーが自らも楽しみながら書いていることが伝わるような、何とも贅沢な物語である。
 川崎(かわさき)宿の旅籠(はたご)の娘・おちかは、とある事情から江戸は神田の筋違(すじかい)御門先で袋物屋「三島屋」を営む叔父夫妻の(もと)へ行儀見習いとして身を寄せている。彼女はふとしたことから、自分と同様に心に傷を負った人たちの語りに耳を傾ける「変わり百物語」の聞き手をつとめるようになる。
 本書の書評が精神科医である評者に依頼されたのは、「語ること」と「癒やすこと」のつながりについての解説を期待されてのことであろう。精神科の治療のうち「精神療法(心理療法)」が、対話の力を活用するものである。
 語ることが治療になる。この事実は古くから知られていたが、公式にこれを発見し体系化したのがフロイトである。彼は同僚のブロイアーが担当していたヒステリー患者、アンナ・Oが自ら「トーキング・キュア(お話療法)」を見出した、「語られてこなかったことを語らしめる」ことが治療になると発見した。精神分析の歴史はここからはじまった。
 本作における怪異現象は、巧まずしてトラウマのありように良く似ている。第一話「開けずの間」などはその典型で、語り手の「どんぶり屋」の平吉(へいきち)は「塩断ち」のせいで生家が絶えてしまうという壮絶な経験をしており、娘の快癒を願って塩断ちをすると言い出した女房をひどく殴ってしまう。トラウマのフラッシュバックが暴力につながることはままあるが、平吉は暴走してしまったことの反省から、女房にも言えない過去の経験を、おちかに話そうとするのだ。
 第二話「だんまり姫」の語り手は、紙問屋美濃屋(みのや)の婿の母、おせいだ。彼女は死者を呼び寄せてしまう「もんも声」の持ち主で、ひょんなことからお城勤めをするようになり、生まれてから一言も言葉を発しない殿様の娘「お(すず)の方」のおまる係をおおせつかる。彼女の緘黙(かんもく)の背景には、さまざまな事情から非業の死を遂げざるを得なかった十歳の少年「一国様(いっこくさま)」の無念があった。やや強引だが、この話を精神医学的に翻案すると、以下のようになる。トラウマゆえに解離性同一性障害(いわゆる多重人格)となり失声症状を呈している「お鈴の方」の交代人格「一国様」におせいが働きかける。一国様の思いが晴れるや人格は統合され、お鈴の方は声を取り戻す。
 作者がどこまで意識したかは定かではないが、「変わり百物語」は、驚くほど現代の治療空間と良く似ている。そもそも「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」とは、守秘義務そのものではないか。語る内容の真偽を問題にしないところも、同様である。語り手は客観的事実を述べに来るのではない。彼ら彼女らにとっての「主観的現実(=トラウマ)」だけが語られる。トラウマは「有毒の記憶」だが、語ることはそれだけで、しばしばその「毒抜き」になるのだ。
 第三話「面の家」を読むと、「聞き捨て」には単なる守秘義務を超えた意義があることが判ってくる。これまで聞いた話を聞き捨てにできず、悪いものを呼び込んでしまったのではないかと不安がる富次郎(とみじろう)に、彼が描いた(くし)の絵を見て、ちゃんと聞き捨てができているから大丈夫、とおちかは請け合うのだ。トラウマの語りに耳を傾けることは、時に聞き手にもダメージを与えかねない。いわゆるセカンド・トラウマだ。それゆえ聞き手もまた支援を必要とする。本作では富次郎の描く「絵」がその役割を担っているように思う。ある名医は、いじめっ子の似顔絵を一緒に描くことで、いじめられた子の治療を行っていた。聞いた語りを絵に描くこともまた、有力な毒抜きの手法なのだ。
 第四話「あやかし草紙」に至っては、トラウマよりも人の運命がテーマになっている。過去が舞台となりやすいそれまでの物語とはことなり、この話では未来がテーマだ。だからといってトラウマとは無関係、とはならない。心に大きな傷を負ってしまった人は、自分の未来までもがその傷によって決定づけられたと錯覚する。その意味で宿命論は、しばしばトラウマの産物だ。語ることでトラウマを癒やすことは、そうした宿命論を新しいナラティブで上書きすることで、宿命から解放する試みをも意味するだろう。この話の最後におちかが下す重大な決断は、大切な人の宿命に寄り添うことで、それを一緒に書き換えたいという治療者の願いに良く似ている。
 その願いのゆくえがどうなるかについては、第五話「金目の猫」にきわめて両義的な形で示されている。果たして、おちか達の命運やいかに。早くも次のシリーズが待ち遠しいのは、評者ばかりではないはずだ。


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