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レビュー

タラレバ殺人犯は無罪放免の夢を見るか?

 反省するより後悔するほうが楽だ。〈過去〉の失敗を反省し、〈現在〉から選択可能な〈未来〉を切り拓かなくちゃとわかっていても、「もし、あのとき、ああではなく、こうしていたら」なんて考えてしまう。そんなタラレバな夢想と無縁に生きてこられた人には、そもそも小説という娯楽は必要ないはずである。小説とは、たったひとつの人生しか生きられない人間が、別の人生をわがことのように体験できるものなのだから。
 本来、小説とはタラレバを描くもので、それを公然と形式化したのがSFジャンルだ。並行世界なる概念は、いまやSF小説に親しみのない向きもきっとご存じだろう。われわれの宇宙と隣り合わせに別宇宙が存在する可能性を追究するものだが、決して絵空事ではなく、近年、量子力学や宇宙論の分野で科学者たちはビッグバン由来のパラレルワールドの実在を真剣に議論し始めている。

 浦賀和宏の新刊『ifの悲劇』も、分岐した世界を並べ描いている点でパラレルワールド物と紹介すべきだろう。多重人格を扱ったサイコ・スリラー『彼女は存在しない』(二〇〇一年)が〝文庫ブレーク〟したことでファンの裾野を広げた浦賀だが、もともと第五回メフィスト賞受賞作『記憶の果て』(一九九八年)でデビューして以来、SF要素をふんだんに盛り込んだミステリの書き手として注目されてきた異才だ。
 本書『ifの悲劇』を手にとった読者は、まず目次のページを見てニヤリとするはずである。プロローグに続く本編は、「ifA 犯行直後に目撃者を殺した場合」と「ifB 犯行直後に目撃者を殺さなかった場合」とが交互に語られる構成だ。いかにも浦賀らしい、SF仕込みの謎解きがあることがうかがえて、これだけでもうワクワクしてくる。

 主人公は人気のライトノベル作家であり、パラレルワールドをテーマにした小説を書きたがっている「俺」こと花田欽也。その花田にとって最愛の妹が勤め先の屋上から飛び降り、自ら命を絶ったとおぼしい。自殺だとすれば、その原因は近親相姦の関係にあった花田自身にもあるが、妹の婚約者だった奥津行彦の裏切りにもある。妹のあとを追うか、それとも奥津を殺すか。ふたつの選択肢のうち、花田は敢然と後者を選びとるのだ。
 物語は、ここから分岐する。ifAの「俺」は奥津を殺害した直後、車で人を轢き殺してしまう。「俺」は続けざまに死体をもうひとつ処分しなくてはいけなくなるのだ。一方、ifBの「俺」は、奥津殺害の直後、あやうく人を轢き殺しかけたものの、どうにか無事にすむ。だが、フロントガラス越しに顔を見られてしまったその男は奥津と因縁浅からぬ人物で、間もなく「俺」は奥津殺しを彼に疑われて強請られるはめになる……。

 語り手の「俺」の世界をふたつに分ける浦賀の手つきは、SFというより不条理劇を重層的に仕立てているようだ。とりわけifBは、ifAと比べて事件関係者がぞろぞろ増えて、話がどうにも込み入りだす。ifBには、『彼女の血が溶けてゆく』(二〇一三年)を皮切りに活躍するシリーズ物の主人公、フリーライターの桑原銀次郎も姿を見せるが、本書はまったく独立した作品として楽しめるのでご安心を。
 とにかく、紋切り型の売り文句と難じられそうでも、「あなたはきっと騙される!」と声を大にして言っておきたい。ふたつに分岐した世界が最後に交わるとき、念入りに組み立てられていた仕掛けに思わず感嘆のため息がもれた。その仕掛けはSFファンよりもミステリファンをこそ興奮させるもので、文庫本で二百四十ページほどのコンパクトな長編にもかかわらず、ずっしり〝時の重み〟を感じて読みごたえがある。

 浦賀和宏は『ifの悲劇』で読者を一人残らず騙しきるつもりだ。もし、あなたがミステリファンを自任するなら、この大胆不敵な挑戦を受けない選択肢はない。


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