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レビュー

人柄をこまやかに複雑な政情をやさしく 『西郷どん!』

 西郷隆盛が生まれて百九十年、没して百四十年、……だから生誕二百年、没後百五十年の節目も遠くはない。林真理子さんの『西郷(せご)どん!』は、このタイミングにまことにふさわしい力作である。明治維新このかた、日本の近代史を考えるうえで、この人物についての知識はとても大切だ。多くの人に知ってほしいと思う。
 しかし相当にややこしい。ややこしいけれど、すでにたくさん書かれている。この英雄についてのエピソードは稗史(はいし)伝説も含めてとても多い。幕末から明治にかけて激しく変化する時代の政治の中枢にあって重用されたり疎外されたり、評価のむつかしい大物なのだ。
 一読して、
 ——よくぞここまでやさしく、おもしろく書いたなあ——
 と感嘆した。
 小説はおもしろくなければいけない。歴史を入念に綴ることも大切だが、史実本位のドキュメントを越えて楽しく読めるものでなくてはなるまい。西郷のような人物は、周辺の歴史に関わり過ぎると読みにくくなるし、エピソードに傾くと歴史を伝えることから遠くなる。林さんの『西郷どん!』は、このあたりの按配(あんばい)が巧みで、快い。
 まず西郷の幼いころの薩摩での生活が……二才(にせ)組の日々、世界地図の見聞、家族とのやりとり、お由羅(ゆら)騒動のくさぐさ、少年から成年への記述が軽やかに、さながら今日このごろの市井の出来事のようにいきいきと描かれていて楽しい。西郷の実直な人柄、庶民的でありながら卓越した判断力、決断力、やがて困難に立ち向かう英知がどう培われたか、
 ——見てきたようだなあ——
 と思えるのはまさに小説の力だろう。
 林さんが女性の作家であるだけに、女性への目配りが際立ち、よくある西郷の物語より発見に富んでいるように感じられた。須賀(すが)との結婚のこと、母の満佐(まさ)のこと、たて続けに家族を失ったこと。吉之助(きちのすけ)(西郷の本名)は新妻の体に触れることもなくいくつもの夜を過ごしている。そして、

 背を向けて眠っているはずの須賀が泣いているのに気づいた。かすかにすすり泣く声。が、吉之助はそれに耐える。わけがわからぬ力によって耐える。  吉之助がこの世でいちばん愛する男は、まだまだ遠いところにいた

 とあって、最後の一行は鋭い。理想の男は少しずつ描かれていき、次第に林さんの願う西郷の魅力が行間に映されていく。島津斉彬に対する吉之助の敬慕がほのめかされ、江戸務めが語られ、薩摩の留守宅では貧しさのため須賀が実家に引き取られて去り、月照(げっしょう)上人との心中で一人生き残ったあと、次には奄美女、愛加那(あいかな)との結婚、このあたりのエピソードも(徳之島に流された西郷のもとに二人の子を連れて愛加那が訪ねてくることなども含めて)感動的だ。
 が、小説は西郷の復権とともにぐんぐんと政治の混乱へと主舞台を移し、本当にややこしい時代に入る。天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)や大久保利通との関係、薩長同盟、外交問題……歴史小説として、
 ——手際よくさばいているなあ——
 と、私は歴史書とは違う読みやすさに拍手を送った。西郷の人となりがうまくとらえられているからだろう。
 白眉はやはり西郷隆盛の最期だろう。要約はむつかしいが、同業の小説家として眼を見張ったのは、この作品は冒頭で隆盛の長男・菊次郎を登場させ、ところどころで菊次郎の口で父を語らせ、城山の激戦前後もこれで綴っていることだ。菊次郎は戦闘に加わり、片脚を失い、アメリカ留学までした改革期のインテリゲンチャである。肉親が語ることにより劇的で感情的なエピソードが俄然現実感を増し、味わいが深くなる。〝一掛け二掛け三掛けて……〟の数え歌も小説を親しみやすくしてくれるし、ここに花と線香を持って登場する〝十七、八の姉さん〟は菊次郎の妹らしい、とこれもほほえましい。汲むべきものの多い作品として読んだ。


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