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レビュー

とびきり大きな世界観を採用し、膨大なプロットを擁する物語をわずか二七六ページで語るためには

そうそう、こういう小説が読みたかったんだよ、なかなか最近出合えなくて寂しかったんだよとページをめくりながら心が騒いで仕方なかった。二〇一二年にデビューした黒井卓司の、五年ぶりの新作となる長編『フェイスレス』。作風を一言でいうならば和製ハリウッドだ。ジャンルはB級SF。「B級」を否定語と捉える人がいるかもしれないが、まったく違う。それについては後ほど説明しよう。まずはあらすじから。
製薬会社で研究員として働く三〇歳の早川透は、同じ研究チームに所属している北岡直樹の婚約者・可奈恵に恋をしている。ある日、三人でドライブ中に事故が起き、北岡だけが亡くなった。九年後、米国ネバダ州のある施設で、新種のアリに効く殺虫剤の実験が行われていた。実はこの世界はある時点から二つに枝分かれしており、核実験場の地下数十メートルにある「チューブ」を通じて、アメリカは「もう一つのアメリカ合衆国」と秘密裏に交流していたのだ。その結果生まれたのが、二つの世界での交配により遺伝子進化を遂げた殺人アリ。実験は予定通り、被験者一五名全員の死亡で終了するはずだった。が、ありえないパニックが発生し、世界は滅亡の危機を迎えてしまう。
こちらの世界とあちらの世界は、分岐以前はまったく同じ歴史を共有しているが、今や微妙な誤差が発生している。例えば、九年後のこちらの世界では、透は事故の後、可奈恵と結ばれ一人娘をもうけて幸せに暮らしている。あちらの世界では、事故で亡くなったのは可奈恵だ。では、もう一人の透と北岡はどんな人生を送っているのか。二人がもしも「もう一つの世界」の自分達のことを知ったなら、何を願うのか?
世界滅亡という大風呂敷を広げながらも、メインとなるドラマは、二つの世界を股にかけた極めて異形の三角関係だ。そこへ「フェイスレス」というコードネームを持つ人物が介入し……と、個性的な登場人物が次々に出現し、展開が展開を呼ぶ。「もし」の想像力を巡る思弁的なメッセージも、要所要所で効いてくる。
何より素晴らしいのは、とびきり大きな世界観を採用し、膨大なプロットを擁するこの物語が、わずか二七六ページで語られていることだ。その理由が、「B級」に関わってくる。本作はSF設定の説明を、最小限に留めている。情報量で分厚くなってしまいがちな舞台設定を軽やかに語り、読者が解釈するためのローディング時間を極限まで減らして、エンターテインメントとしての快楽に特化している。実のところ、本作はSFであるという以上にラブロマンスであり、序盤に仕掛けられていたトリックが終盤で発動する、本格ミステリーだ。「A級」を求めるSFプロパーは、渋い顔をするのかもしれない。だが、もしもあなたが純粋に、とんでもなく面白い小説を読みたいというのであれば、是非手に取ってほしい。
本当はJ・J・エイブラムス監督のテレビドラマ『FRINGE(フリンジ)』、ジョン・ウー監督の映画『フェイス/オフ』との絡みも示したかったのだが紙面が尽きた。読み終えた後で熱く語りたくなる、それも本作の醍醐味だ。

あわせて読みたい
『さよならが君を二度殺す』
黒井卓司
(角川ホラー文庫)
神隠しにあった5人の村人。32年後、彼らに特殊な超能力が発現する。その一人である馬淵慎吾は、亡くなった妻の声が聞こえるようになった。何が起きたのか? 空白の半日の間に“何か”が入ったのだ。終盤で一気にSF的な跳躍を果たす、第18回日本ホラー小説大賞最終候補作を改稿・改題したデビュー作。


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