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レビュー

全部、本当にあった怖くて摩訶不思議な話。――『ゆうれい談』山岸凉子 文庫巻末解説【解説:小野不由美】

著者が旅先や自宅で遭遇したほんとうにあった怖い話や魔訶不思議な話を満載。
『ゆうれい談』山岸凉子

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

ゆうれい談』著者:山岸凉子



『ゆうれい談』文庫巻末解説

解説
小野不由美(小説家)

 わたしが『ゆうれい談』に出会ったのは、雑誌『りぼん』の付録でのことで、昭和四十八年の発表ですから、中学生になったばかりのころだったはずです。当時のわたしは「とんでもないものに出会ってしまった」と衝撃を受け、以来、ホラー漫画の名作として記憶し、「やまぎし先生の作品で何が好き?」という話になるたび、必ずこの作品も挙げるほど偏愛してきたのですが、振り返ってみるに、当時のわたしは何にそこまでの衝撃を受けたのだろう、と不思議に思います。
 もちろん、いまのわたしは『ゆうれい談』の革新性を説明することができます。
 当時はいわゆる「オカルトブーム」のぼつこう期に当たります。漫画では、つのだじろうの『うしろの百太郎』や『恐怖新聞』の連載が始まり、テレビでは「あなたの知らない世界」などの心霊番組が放送され、『恐怖の心霊写真集』が刊行されて一世をふうしました。雑誌では有名人などの恐怖体験が特集として組まれ、恐怖体験談を集めた本も次々に刊行されていました。ちょうど周囲にホラーがあふれ始めた時期なのですが、それらの中にあって『ゆうれい談』は明らかに一線を画していました。
 このころによく目にした恐怖体験談は、他愛もない話が多かったように思います。「いるはずのない人がいた」「いた人が消えた」などの、芸能人などの著名人が語るから話として成立するような定番の話が多かった印象です。中には読者を恐怖させるような、よくできた体験談もありましたが、それらの話は実話の形を取った物語であることが多かった。体験者は日常から非日常に踏み込み、怪異に襲われ、そこから逃げ出す。怪異はおおむね、見るからに恐ろしく、しかも体験者に対して害意をあらわにする。そして後日、体験者は怪異の由来を噂から推し量る──という感じでしょうか。どんなにあいまいでも怪異の由来は語られることが多かった。それが怪異の説得力になるからです。そしてしばしば怪異は多段式でした。怪異は現れ、体験者は逃げる。怪異は追う。体験者は隠れる。怪異は体験者を探し出す──というように。これは「怖さ」の演出です。そんな物語を読んで、わたしのような読者は震え上がっていたわけですが、いまから考えると、これらの作法はホラー小説の文法に乗っています。体験談と言いながら、ホラー小説を読んでいたのかもしれない、といまでは思ったりするのです。
 それが当たり前の時代だったから、『ゆうれい談』は衝撃でした。
『ゆうれい談』に描かれる怪異には、由来などありません。それが体験者に害意を抱いているかどうか分からないし、体験者を追い詰めてくるわけでもない。ただそこに怪異だけが存在しているのです。
 このころちまたに溢れていたのは、怪異の体験を語る物語でした。ですが、『ゆうれい談』は、怪異そのものを語っていました。そこに物語はなく、ただ恐ろしい怪異だけがある。怪異を談ずる──つまりは「怪談」です。
 つまりわたしは、『ゆうれい談』で恐怖体験談ではなく、「怪談」に初めて出会ったのです。
 しかしながら、この「怪談」には、怪異に説得力を持たせるはずの由来はありません。怖さを盛り上げるための演出もありません。それなのになぜ「怖い」と思えるのか。
『ゆうれい談』に出てくる怪談は怖いです。深夜、あとをけてくる子供の絵も怖いし、水の中で子供が延々と投げてくる白い球の軌跡にもせいひつな怖さがあります。はくなのは山岸先生の体験談に出てくる手ぬぐいを着けた幽霊の絵です。手ぬぐいの被り方も気味が悪いし、その手ぬぐいが白のさらしでなく豆絞りなのも気持ち悪い。何かを示していそうで意味の分からない手の挙げ方、これがもう本当に怖い。──つまり、「怖い絵」は、それだけでおのずから説得力を持つのです。もっと言うなら、怪異は怖いことそのものが説得力を持ちます。読んだり聞いたりした者が「怖い」と感じれば、その怖さそのものが説得力になるのです。そして怪異そのものが怖ければ、演出も必要ない。
 いや、実は山岸先生の体験談にも演出はあります。深夜、肩をつかまれた気がして目覚めるとまくらもとに人影があって──という一連の流れは、怪異を語る演出であると言えます。しかしながら、これは当時あった恐怖体験談における演出とは少し違います。怪異が現れる、体験者が逃げる、怪異が追ってくる──のような段取りは、奇妙なことに怪異の側が恐怖を演出しています。つまり物語的な演出なのです。『ゆうれい談』における演出は、怪異の怖さを最大限に引き出すための語り口の演出です。
 怪談の怖さは物語にあるのではありません。怪異そのものにあります。怖いと感じる「何か」に出会ってしまったからこそ体験者は恐怖体験を語るのです。ならばその恐怖を共有するには、起因する「何か」を描くだけで必要にして充分だ、ということになります。そのうえで怖さを最大限に引き出すように語ることができれば、一級の怪談が誕生する、というわけです。
 単純明快な事実ですが、これが新しい怪談のスタイルとして定着するには、時代を一つ越え、平成年代、いわゆる「実話怪談」の登場を待たなければなりませんでした。実に十年以上の歳月が必要だったのです。逆に言うなら、『ゆうれい談』は十年以上、唯一無二の特異点であり続けました。
 十年以上時代に先んずる、ということがどれほどの偉業かお分かりいただけるでしょうか。──山岸先生の作風には、怪談に限らず、既成概念にとらわれない革新性があります。普通はこうだ、こういうものだ、というぼんやりした硬直を軽々と突き抜けてしまいます。これは、異常なまでの甘党一家の中で唯一甘いものがまったく駄目だった──という先生の生育環境と無関係ではないと思うのですが、それはさておき。
 中学生の自分が、こんなことを考えたとは思えませんし、そもそも未来の実話怪談の時代を知る由もない以上、考察すること自体、不可能です。ただ、当時のわたしは、これは他のものとは圧倒的に「違う」と感じていました。ぜんぜん違う何かだけど、突出して怖い、と。
 ちなみに、わたしは『ゆうれい談』のような怪談は心霊写真に通じるところがある、と思っています。心霊写真は印画紙に定着された風景が怖いかどうかがすべてを決します。怖い心霊写真に理屈は必要ありません。霊能者があれこれ評価することもありますが、これは本来、余計なものです。見た瞬間、怖いと思えるかどうか。単なるもやに目鼻のようなものが見えるだけの写真でも、怖いと感じることがあります。その表情、靄の動き、色合い、濃淡、そんなものが気味悪い、ということがあるのです。そんな写真なら由来も後日談も必要ありません。「怖い写真」そのものが怪異としての説得力を持つのですから。
 怪談においてもこれは同様です。恐ろしい怪異があれば、怪異そのものが説得力を持つ。これを鑑みるに、山岸先生は恐怖というものをよく分かっていらっしゃる、と思うのです。恐怖に対して鋭敏で、自分が何を怖いと感じたのか、それをよく分かっている。だからこそ、伝聞の話も怖い。体験談を聞いた自分が「怖い」と感じたのは何なのかを分かっておられるのです。そのことが怪異に説得力を持たせている。この図抜けた鋭敏さが、数多くの傑作ホラー作品という形で結実しているのだと思うのです。

作品紹介・あらすじ



ゆうれい談
著者 山岸凉子
発売日:2023年07月21日

全部、本当にあった怖くて摩訶不思議な話。
漫画家にとって最大の敵は睡魔。山岸プロでの眠気ざましの話題は“ゆうれい談”。萩尾望都、大島弓子など著名漫画家たちの不思議体験談を始め、アシスタントさんが経験した怪異譚、著者が旅先や自宅で遭遇したほんとうにあった怖い話や魔訶不思議な話を満載。怖いけれど怪異を蒐集せずにはいられない著者のゆうれい談。表題作ほか、「読者からのゆうれい談」「蓮の糸」「ゆうれいタクシー」「タイムスリップ」 の5作を収録。解説:小野不由美

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322302001011/
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