文庫解説 『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』より
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61歳の家政婦さん、子どもを救うためにニューヨークへ密航?感動作第2弾――『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』ポール・ギャリコ 文庫巻末解説【解説:矢崎存美】
いくつになっても夢をあきらめない大人たちの物語、第2弾。
『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』ポール・ギャリコ
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』著者:ポール・ギャリコ
『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』文庫巻末解説
解説
『ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く』は、二〇二二年に映画にもなった『ミセス・ハリス、パリへ行く』の続編です。ディオールのドレスに恋をしてパリを目指すハリスおばさんの楽しい物語を私が初めて読んだのは、高校生の時でした。
約四十年ぶりに前作、そして今作を読み直し、一番驚いたのは、今の私がハリスおばさんと同年代と知ったことです。つまり、還暦前後の年齢ということですね。ええー、ちょっと信じられない。月日がたつのは早い……。
しかも疲れ切った私に比べて、ハリスおばさんのはつらつさは今作でも健在です。舞台は華やかな大都会ニューヨーク。ロンドンで通いの家政婦をしているハリスおばさんは、お得意さまであるシュライバー夫人から「二、三ヵ月でいいから、ニューヨークへ一緒に行ってほしい」と頼まれ、快諾します。それは実はハリスおばさんのある「企み」を実行に移す絶好の機会でした。里親から虐待されているヘンリー少年の実の父親を探しにアメリカへ行けたら、と考えていたのです。ハリスおばさんは、料理上手な親友バターフィルドおばさんも同行するよう説得し、ヘンリーを連れてニューヨーク行きの船に乗り込みます。
とにかくハリスおばさんの冒険心とポジティブシンキングがすごい。少々おせっかい気味ではありますが善意の塊だし、誰とでも友だちになってしまう。彼女のおしゃべりは、人を明るくする力があるのです。そして、身体を使う仕事を長くこなせる人らしく相当な体力の持ち主。あこがれる……。私の方がよっぽど彼女よりも年老いているわー。どちらかというと、バターフィルドおばさんの方に近いかもしれない。あんなに悲観的ではないけれど。
しかし、バターフィルドおばさんじゃなくても、ニューヨークへの旅は最初から波乱含みとわかります。ハリスおばさん、なかなかの無茶をする。でも彼女のよいところは、自分の手に負えないとわかると、適切な人に頼るところです。変なプライドがない。素直で大変に正直。
ハリスおばさんのキャラクターは今でも魅力的です。魅力的っていうか、強い。最強でしょ、こういう人って! 行動力、コミュ力、体力と気力にあふれ、そして底抜けな楽天家で世話好きで、お金や権力や名声にもぶれない。誰に対しても自分を貫く。
全部ほしいわー……ていうか、全部私にないわー。けど、こんな私でもきっと、ハリスおばさんは友だちになってくれるはず。同年代だし! 彼女は「演劇や映画やテレビの世界の人々が大好き」ということですが、私のように小説書いているっていうのはどうなんでしょうかね?
作者のポール・ギャリコは一八九七年にニューヨークで生まれました。スポーツ記者から小説家に転向し、今も読みつがれている数々の作品を発表。猫好きとしても有名です。没年は一九七六年。私が初めてギャリコ作品『ジェニィ』を読んだ時には、もう亡くなっていたのね……。
『ミセス・ハリス、パリへ行く』の巻末にあった年譜を見ると、そこに載っている作品で翻訳されているものは当時ほぼ読んでいました。今は大半どこかへ行ってしまいましたが、『ジェニィ』『スノーグース』『トマシーナ』などの代表作、他にも『猫語の教科書』『「きよしこの夜」が生まれた日』などが本棚にあります。十代の頃から大好きな、私がもっとも影響を受けた作家です。
今でもたまに読み返し、そのたびに発見があります。高校生の時に感じた感想そっくりそのままの作品もあれば、年を重ねるごとに違う感想になる作品もあり、そのギャップに驚かされる。
ハリスおばさんシリーズは、昔と今とでは感じ方がかなり違うタイプです。何しろ、私とおばさん、同年代ですから。何も知らなかった高校生の私は、勇気と冒険心あふれる彼女の活躍に、痛快さのみを感じながら読んでいました。でも今は、前出した彼女の子供のような屈託のなさをうらやましいと思う反面、危うい行動にハラハラしたり、よい結果しか考えず突っ走る彼女に時にあきれたりもしました。
別におばさんより賢いわけでもないのに、「もっとやりようがあるのでは」とついツッコんでしまうのが私の悪いクセ。でも彼女の暴走は、強い信念に基づいている。ギャリコ作品に共通するテーマとも言えるものです。
それは、「人を信じる」という力。
ギャリコはよく、「誰も信じられない」という人を主人公や主要人物に据えます。信じるのを拒む人や、信じるのが怖い人。信じた人に裏切られ、傷ついた人もいる。裏を返せば、人を信じることを渇望しているとも言えます。信じられる人を求めている。
一方ハリスおばさんは、好きになった人をとことん信じてあげる、誰も裏切らない人として描かれています。それどころか、他の登場人物も基本よい人だし、言ってしまえば、おばさんとも変わらず「普通の人」なのです。本当の悪役も、ひどく壊れた人も登場しません。もちろんうまくいかないこともありますが、みんなで助け合って乗り越えていく。おとぎ話のようにほのぼのしているのです。
そんなハリスおばさんシリーズは、ギャリコ作品によく見られる持ち味が薄いように感じられます。その持ち味とは、人間や物事に必ずある「見えるもの」と「隠されたもの」を鋭く、極限まで切り取ること。シリアスな作品だとひときわ読み応えのある部分です。
この作品はコメディだから薄いのかな、とも考えたのですが、読み終わって気づきました。それっておばさん自身の存在そのものではないか、と。
人々は流れる忙しい日々の中で、「人を信じる」ことを少しずつ忘れていきます。ハリスおばさんのように自分の人生を明るく照らしてくれる人なんて「いるはずがない」と思い込んでしまうこともしばしばあります。
でも、人はきっと、彼女のような人が「いる」と信じたい。忘れても、隠れていても、「人を信じる」力すべてがなくなるわけではないから。「人を信じる」力があれば、自分を信じることだってできるから。
──そんな思いを込めて、ギャリコはハリスおばさんの物語を書いたのかもしれません。
そして何より、「いない」かもしれない人を「いる」と信じられるのが物語の力です。
ギャリコ自身もそれをずっと信じていたと思っていますし、私だってそうやって小説を書いていること、妄想好きなハリスおばさんなら、わかってくれるはず。
「こりゃ、ちょっくらおもしろいことになりますですよ」
きっとそんなことを言いながら。
作品紹介・あらすじ
ミセス・ハリス、ニューヨークへ行く
著 ポール・ギャリコ
訳 亀山 龍樹
定価: 1,188円 (本体1,080円+税)
発売日:2023年04月24日
61歳の家政婦さん、子どもを救うためにニューヨークへ密航?感動作第2弾
61歳のハリスおばさんと親友バターフィルドおばさんは夫を亡くしロンドンで家政婦をしている。お隣のヘンリー少年が里親に殴られていると知り、彼を実の父がいる米国へつれていきたいと願うが、貧しい2人には無理だった。ところが得意先の社長夫妻のニューヨーク転勤に同行することになりチャンス到来。無謀にも少年を密航させようとするが…。いくつになっても夢をあきらめない大人たちの物語、第2弾。今度は恋も? 解説・矢崎存美
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