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レビュー

お控えなすって! 男、音次郎、旅を始めやす——。――『草笛の音次郎』山本一力 文庫巻末解説【解説:縄田一男】

果たして、半端な渡世人は任務を完遂することができるのか。手に汗にぎる、任侠ロードノベル。
『草笛の音次郎』山本一力

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

草笛の音次郎』著者:山本一力



『草笛の音次郎』文庫巻末解説

解説
なわかず

 やまもといちりきは本書『草笛の音次郎』において、これまでにないまたたび小説を書き上げることに成功した。
 それがどんな股旅小説であるかは最後に述べるとして、この一巻を読み終えた人は、あるいは幸福な読書体験に浸り、あるいは知人にこの本を勧めているかもしれない。
 とまれ、股旅小説の歴史は古く、そのパイオニアといえば誰しも思いつくのががわしんであろう。私がこの極めて日本的な心情に支えられた一連の作品に思いをはせる時、いつも頭にこびりついて離れないのが、長谷川伸が死去した時、おさらぎろうが寄せた追悼文の一節である。
 その中で大佛次郎は、長谷川伸の股旅ものは「舞台でも映画でも、白塗りの多少きざな存在にされてしまった」と指摘し、その作品に登場する旅から旅へと渡り歩いていく主人公たちには「日本の無産者階級のほうこうの姿」がはっきりと刻印されているのだと話している。
 この引用の後半部分は、昭和初年に登場した股旅ものに寄せる庶民的心情と、長谷川伸の文学の根底にあるものを見事に言い当てていると言っていいだろう。
 だが、私がそれにも増して注意を促したいのは、前半部分の、股旅ものが「舞台でも映画でも、白塗りの多少きざな存在にされてしまった」というくだりである。
 そうなってしまった存在が、今、述べたような、類型化された股旅もののスタイルである。しかし、実際の渡世人は、このようなのんな存在ではない。
 主にてんぽうから幕末にかけて、かんはつしゆうと呼ばれるかんとう一円の土地に横行した博徒・きようかくたぐいは、既成の秩序の崩壊期に現れた時代の異端児とも言うべき存在だ。彼らはきびしい掟おきてによってかたぎの衆とは一線を画した枠内で生活をしなければならず、そうしたアウトローたちが寄り集まって、やくざの一家が生まれる事になる。
 そして、その一家にすら属さない、旅から旅へと渡り歩くいわば、二重のアウトローが渡世人なのである。その生活が過酷を極めたことは言うまでもない。
 長谷川伸は大正十二年に発表した「ばくち馬鹿」で初めて渡世人を主人公とし、昭和四年の戯曲「股旅草鞋」で〝股旅〞という言葉を使い、それ以後、渡世人を主人公とする小説や戯曲を股旅ものと呼ぶことが定着した。
 長谷川伸によれば、股旅とは、旅から旅を股にかけるという意味で、自分の知っている限りでは、股旅役者という言い方が明治の中期過ぎまであったと話している。
 長谷川伸の股旅ものの主人公が、アウトローの疎外感を基調として、陰影に富む人物に造型されているのは、そこに少年時代を仕出し屋のでつや、ドックの現場小僧、土方、石工等の職業に従事した作者の、社会の底辺に住む人々への共感が込められているからだろう。
 そしてまたそこから、自分の言っている股旅とは「男で、非生産的で、多くは無学で、孤独で、いばらを背負っていることを知っているものたちである」という、独自の認識も生まれてくるのだ。
 長谷川伸の生み出した数々の主人公たち——くつかけときろう、四歳の時実母と生別した作者自身の体験を元にして書かれた「瞼の母」のばんちゆうたろう、あるいはこまがたせきッぺといった男たちは、みな、そうした影を背負った人物として造型されていた。
 それゆえとうただが『長谷川伸論』で言うところの苦労人の立場による〝芸能と情操の階級闘争〞を可能たらしめたのである。
 今記したヒーローたちは、作者が実体験の中から手さぐりで生み出した庶民的感情の具現者なのである。従って、股旅ものと言うと封建的な義理人情のモラルを礼賛するものと捉とらえられがちだが、長谷川作品の主人公たちは、社会からドロップ・アウトした者だけがもつ捨て身の意地と反骨によって、義理人情の美名に隠れて人々を縛るかせへの反逆者となり、常にやくざ社会の掟と対決するはめになるのだ。
 そして、山本一力はその長谷川伸賞の受賞者である。
 では、『草笛の音次郎』のどこが画期的な股旅ものなのか、それを作品に沿って見ていこう。
 物語の発端は、てんめい八年一月、の貸元・よしさぶろうのもとに一通の手紙が届くところから始まる。芳三郎は、おおかわの西側、せんそうから北の一帯を束ねる貸元で、七十人からの子分がいる。その手紙とは、兄弟分のがわよしすけからの十二年に一度となるとり神宮の祭を見にこいというもの。好之助と芳三郎はともにはしぶんきちから盃さかずきを受けた兄弟分で、無下に断る訳にはいかない。
 ところが芳三郎は風邪が抜けきっていないため名代を立てることを考える。そこで代貸のげんしちに誰がいいかと尋ねると、おとろうを推薦される。芳三郎は「おまえの言い分にあやをつける気はないが、おれの見たところはやさおとこ過ぎる」と返してくる。源七は「親分のお言葉に逆らって申しわけありやせんが、あっしは音次郎が優男なだけだとは思いやせん」と答える。
 源七は、次期代貸は音次郎と踏んでおり、仁義も切れない音次郎にけてみる気になっている。作者は言う——「代貸にくらいついて行くときの目の強さに、音次郎の明日あしたが見えたと思った。/(中略)旅を重ねるなかで、この男なら化けるかもしれねえ。/(仁義を切る)声を出し続ける音次郎を見て、芳三郎は代貸の眼力の確かさをあらためて感じていた」と。
 しかしその一方で、音次郎のしつけの責めはすべて源七が負う。この場合、負うといったらそれは命であがなうということだ。そして初旅とはいえ音次郎の道中の厳しさは、路銀として百両を渡されていることからもわかる。づま橋のたもとまで見送ってくれた源七は、「おめえは恵比須の芳三郎の代紋を背負って、佐原行き帰りの旅をするんだ。カネでさもしいことをしねえで、一文残さず使ってこい」と言う。
 こうして初旅に出た音次郎は様々な災難に出会う。泊まった宿が盗賊・こませのじゆうろうに襲われたり、妙ないきがかりからあらぬ疑いをかけられたり。が、その一方で昔取ったきねづかで己が嫌疑を晴らしたり、役人・おかこうろうという頼もしい味方を得たりもする。この十郎との対決は本書を貫く一つの太い柱となる。
 音次郎は股旅修行もしなければならず、なりさんしんしようじに着くと早速土地の貸元を訪ねて「他人のかまの飯」=一宿一飯の厄介になる事にする。成田山には古くからあるおおたき組と新興勢力のよしかわ組があり、大滝組の貸元吉きちすけは、芳三郎と回り兄弟であり、音次郎はこちらに厄介になる。
 そして面白いのは、吉川組への殴り込みが中途から火事の後始末に転じてしまうことで、子供を救い出した音次郎に感激した二人の男——そうしゆうしましようきちえちたかの真太郎がとしかさながら舎弟になってしまうところだろう。
 この他にも本書には様々な工夫がみられる。まず挙げたいのは、全篇が向日性の明るいトーンに貫かれていること。そして作者はらしもんろう以来、ニヒルなヒーローが全盛となってしまった股旅ものの世界にちょっとした色気を注入しようとしたのではあるまいか。音次郎は草笛を奏でるが、主人公が音を奏でる股旅ものを私は昭和三十三年の大映映画「口笛を吹く渡り鳥」(監督さかかつひこ、主演がわかず)以外に知らない。それも色気のある股旅ものとして随分評判になったものだ。大の映画ファンの山本一力のこと、そんなことも頭の片隅にあったのかもしれない。そのでいけば、貸元ばくの駒札を買う額が足りないところをしようごろうが音次郎に助けられる場面など「天保水滸伝」のバリエーションだろう。
 さらに、音次郎をちょこまかとけるおきちとおみつの母娘おやこも面白い。
 そして後半は、いよいよこませの十郎の捕縛に向かって盛り上がっていく。
 だが作者はその一方で、音次郎の舎弟になった男たちのことを忘れてはいない。例えば道中足をくじいた老婆を頑かたくななまでに背負い続けた真太郎の様から、その痛ましい過去を見据える音次郎の眼力。このあたり、私は本書の隠れた名場面の一つだと思うのだがどうだろうか。
 そして最後に、この作品がこれまでの股旅ものと違う点を言えば、最終話の音次郎が、吟味方与力のてらたいする場面を見てもらいたい。
「音次郎は吟味方与力に呼び出されても、ものじすることなく座っていた。さりとて、向こう見ずという様子は見えない。/おのれに後ろめたさを抱えていない、真っ当な人物に共通した物静かさ。/渡世人稼業であることを分かっていながら、寺田は音次郎をこう判じた」と記されているではないか。
 封建時代を舞台とした時代小説でいちばん素晴しい事は何か、と問えば、それは士農工商という身分の垣根を超えた人間同士のきずなが描かれる事ではないだろうか。
 ラストの清涼感の中に漂う、何とも言えぬ一点の曇りも無い男たちの心の気高さはどうだ。山本一力はまたたびものの世界にささやかなユートピアを創り上げたのである。

作品紹介・あらすじ



草笛の音次郎
著者 山本 一力
定価: 880円 (本体800円+税)
発売日:2023年04月24日

お控えなすって! 男、音次郎、旅を始めやす——。
仁義すらまともに切れない優男の渡世人・音次郎は、貸元の名代として佐原まで旅をすることになった。
喧嘩に押し込み強盗……。
大金を抱えての初めての旅は、予想外の危機に溢れていた。
果たして、半端な渡世人は任務を完遂することができるのか。
手に汗にぎる、任侠ロードノベル。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322210000680/
amazonページはこちら


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