この世界で、ともに生きられない。だから、あなたとここで死にたい。
『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ
『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ 文庫巻末解説
解説
吉田 大助
思えば「幕開け」から強烈だった。慶応四年(一八六八年)八月、政府軍が迫る会津の武家の屋敷で、白装束を着た母が娘の前に現れる。共に自害するためだ。ところが、母のもとに突然一通の文が届けられ、文を開いた途端その顔色が変わる。いったい何が書かれていたのか。少女の運命は? いつか再来する「幕開け」の場面を待ちながら、ページをめくり続けることとなる。
本作『荒城に
本作と直接的な影響関係にある一作は、関東大震災から第二次世界大戦の敗戦までの日本を舞台にした『
過去の戦争の記憶や教訓が、現在の新たな惨劇を救う。ここにこそ歴史を学ぶ確かな意義がある、と著者は『紺碧の果てを見よ』において力強く
本作は、幕末期を生きた二人の男女の、運命の出会いと別れの物語である。
まず現れるのは会津藩士の娘、
次いで現れるのは、薩摩藩士の
そんな二人の奇縁が交わり、安政二年(一八五五年)の大地震をきっかけに江戸の路上で
会津藩と薩摩藩。のちの歴史が明らかにしているように、両者の関係は旧幕府軍と討幕派であり、敗者と勝者だ。シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』、その原典とされる中世の伝説『トリスタンとイゾルデ』のように、絶対に結ばれるはずのない立場を生きる男女である……という構図は当初、確定的なものではなかった。なぜなら二つの藩は当初、幕府との距離感の違いが大きくなかったからだ。それゆえに伊織は大地震の際に鏡子を救った命の恩人として、
本作の魅力であり著者の歴史ものに共通して存在するフェアネスは、歴史的事象を、現在進行形の出来事として、当時を生きる人々の地べたの目線から書く点にある。歴史を知る後世の人間からすれば、歴史の
そのようなフェアネスが貫かれた文章を追いかけていく結果、読み手の内側に何が起こるのか。自分自身が持っている「箱」の存在や、現代人もまた幕末とは別の「流れ」に身を置いていると思いを
「歴史ものって、登場人物たちが時代だとか周囲の環境によって流されていく姿を書いているのかもしれない、と思うことがあります。自分の人生は常に自分の意思で選択してきたと言う人でも、一歩引いた視点から見てみると、流されているんですよね。決してそれは悪いことではないんですよ。ただ、〝流されているんじゃないか?〟と感じられるようになることは、現代を生きる私たちにとっても大事なんじゃないかなと思うんです」(「CREA」二〇二〇年二・三月合併号掲載、単行本刊行時の著者インタビューより)
自分は、自分の人生を選べているか? 自分という存在を、どれほど理解できているのか。人生のフィナーレを自らの意思で飾った、凄まじい切れ味の「幕切れ」の先で、思考がずっと止まらなかった。
作品紹介・あらすじ
荒城に白百合ありて
著者 須賀 しのぶ
定価: 924円(本体840円+税)
発売日:2022年11月22日
この世界で、ともに生きられない。だから、あなたとここで死にたい。
森名幸子から見て、母の鏡子は完璧な会津婦人だった。江戸で生まれ育った母は教養高く、武芸にも秀でており、幸子の誇りで憧れだった。
薩長軍が城下に迫り、白装束を差し出して幸子に自害を迫った時も、母の仮面が崩れる事はなかった。
しかし、自害の直前に老僕が差し出した一通の手紙が、母の、そして幸子の運命を大きく変えた。
手紙から視線を外し、再び幸子を見た母は、いつもの母とは違うものに変わってしまっていた。その視線を見て、幸子は悟った。
――母は、この美しい人は、いまこの瞬間、はじめて私を「見た」のだ、と。
薩摩藩士の青年・岡元伊織は昌平坂学問所で学ぶ俊才であったが、攘夷に沸く学友のように新たな世への期待を抱ききれずにいた。
そんな中、伊織は安政の大地震の際に燃え盛る江戸の町でひとりさ迷い歩く、美しい少女と出会う。あやかしのような彼女は聞いた。
「このくには、終わるの?」と。伊織は悟った。「彼女は自分と同じこの世に馴染めぬいきものである」と。
それが、伊織の運命を揺るがす青垣鏡子という女との出会いであった。魂から惹かれあう二人だが、幕末という「世界の終わり」は着実に近づいていて――。
この世界で、ともに生きられない。だから、あなたとここで死にたい。
稀代のストーリーテラーが放つ、幕末悲劇、いま開幕。
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