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レビュー

凄まじい切れ味の「幕切れ」の先――『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ 文庫巻末解説【解説:吉田大助】

この世界で、ともに生きられない。だから、あなたとここで死にたい。
『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

荒城に白百合ありて』須賀しのぶ



『荒城に白百合ありて』須賀しのぶ  文庫巻末解説

解説
吉田 大助  

 すさまじい切れ味の「幕切れ」小説だ。これ以外、これ以上にこの物語にふさわしい結末はなかった。ラスト六ページ、いや、ラスト一行に辿たどいた人ならば必ずそう思うはずだ。
 思えば「幕開け」から強烈だった。慶応四年(一八六八年)八月、政府軍が迫る会津の武家の屋敷で、白装束を着た母が娘の前に現れる。共に自害するためだ。ところが、母のもとに突然一通の文が届けられ、文を開いた途端その顔色が変わる。いったい何が書かれていたのか。少女の運命は? いつか再来する「幕開け」の場面を待ちながら、ページをめくり続けることとなる。
 本作『荒城にしら百合ゆりありて』は、しのぶが初めて手掛けた幕末ものである。著者は少女小説のジャンルからキャリアをスタートさせ、近現代が舞台の野球小説や音楽小説も数多く発表しているが、歴史もの、特に第二次大戦期のそれを主戦場としてきた。例えば、『神のとげ』(二〇一〇年)では第二次大戦下のドイツ、第一五六回直木賞候補&第四回高校生直木賞受賞作『また、桜の国で』(二〇一六年)では同時期のポーランド。
 本作と直接的な影響関係にある一作は、関東大震災から第二次世界大戦の敗戦までの日本を舞台にした『こんぺきの果てを見よ』(二〇一四年)だ。海軍士官となりやがて海防艦の艦長にまで上り詰めていく主人公・たかは、盟友たちの命が次々に散っていくなかで、戦争の大義を信じ切れなくなっていく。戦火のさなかで脳裏をよぎるのは、会津出身の父に伝えられかつての自分は反発した「けんは逃げるが、最上の勝ち」という教えだ。幕末のしんせんそう(会津戦争)で旧幕府側に付いた会津藩は、さつ藩・土佐藩を中心とする明治新政府軍を前にして、逃げずに戦って完膚なきまでに負けた。会津藩士の家に生まれた父は、郷里の歴史への反省から学びを得たのだ。
 過去の戦争の記憶や教訓が、現在の新たな惨劇を救う。ここにこそ歴史を学ぶ確かな意義がある、と著者は『紺碧の果てを見よ』において力強くつづっていった。ならばこそ、その過去を作った人々、幕末の悲惨な現実を生きた会津の人々を、慈しむ気持ちが噴出していったのではないか。著者は埼玉県出身であるが、両親は福島県出身であり、会津藩の歴史には幼少期からみがあったという。その経験が、ここで生きた。
 本作は、幕末期を生きた二人の男女の、運命の出会いと別れの物語である。
 まず現れるのは会津藩士の娘、きようだ。ペリー率いる黒船が浦賀に再来航したえい七年(一八五四年)、世間のけんそうとは裏腹の、鏡子の穏やかな日常を描くことから物語は始まる。二十年前に郷里を出て江戸で役人として働く父、母、六つ上の兄とともに暮らす江戸城内の会津屋敷が、美しき少女の人生の全てだった。屋敷の「外」へ出ることもままならず、文武両面で才を持つ娘に対して母はこう告げる。「私たちは、考えてはならないのです。私たちが考えるべきは親のこと、長じては夫のこと、そして我が子のこと。それだけです」。この考えは当時、決して特殊なものではなかった。江戸時代は男権優位社会化が進み、女性の地位が劇的に低下したことで知られている。そのうえ、会津藩初代藩主・しなまさゆきが定めた会津御家訓十五箇条のひとつは〈婦人女子の言、一切聞くべからず〉。叫んでも聞く耳を持たれないならば、思いを飲み込むしかない。「箱入り娘」とは江戸時代にできた言葉だが、江戸城内において会津の娘であることは、二重三重の分厚い「箱」──作中の表現を使うならば「箱庭」あるいは「匣」──の中で生きることである。だから彼女は、目をつぶると江戸が燃える夢を見てしまうのだ。〈世界が壊れ〉ることは、〈自分が壊れ〉ることと同義である。鏡子の内側にある欲望を、まかり間違っても自死願望ととらえてはならない。彼女が壊したいもの、壊れて欲しいと願っているものは、「箱」だ。
 次いで現れるのは、薩摩藩士のおかもとおりだ。将来有望で誰からも好かれるたちである美青年は、江戸にある幕府唯一の官学教育機関『しようへい坂学問所』へと留学してきた。頭では「さつはや」として藩のために奉公せんとする武家思想が詰まっているが、そこに漂う偽りの匂いを本人も感じている。彼が〈この命を燃やすに値するものを、切望していた〉理由は、周囲に合わせた仮初めの自分を生きているからだ。伊織は鏡子とは別様な「箱」を持つものであるとともに、鏡子と同様のからっぽな自己を抱える人物である。
 そんな二人の奇縁が交わり、安政二年(一八五五年)の大地震をきっかけに江戸の路上でかいこうする。きようかんの地獄絵図の中で、一一歳の少女と二〇歳の青年は運命的なつながりを得る。二人にとって他者とは常に、自分は彼らとは種類が違う「いきもの」である、と知らしめる存在であった。しかし、目の前の存在は「同じいきもの」だった──お互いが運命の相手であることを表現するうえで、最もシンプルで最も説得力のある言葉だ。しかし、果たしてその出会いは幸福か。それとも、己の孤独に改めて気付かされる呪いとなるか。
 会津藩と薩摩藩。のちの歴史が明らかにしているように、両者の関係は旧幕府軍と討幕派であり、敗者と勝者だ。シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』、その原典とされる中世の伝説『トリスタンとイゾルデ』のように、絶対に結ばれるはずのない立場を生きる男女である……という構図は当初、確定的なものではなかった。なぜなら二つの藩は当初、幕府との距離感の違いが大きくなかったからだ。それゆえに伊織は大地震の際に鏡子を救った命の恩人として、あおがき家の屋敷に歓待される月日を過ごし、嫁入りの一語が口に出されることもあった。ところが、二人の運命の歯車に、歴史という歯車が絡み始める。やがて会津藩と薩摩藩は、絶対的な敵対関係を結ぶことになってしまう。その歴史的推移を、どうしてこんなことになってしまったのか……という登場人物たちの心情とともに、つまびらかに記録していく。史実を追いつつ、小説家ならではの想像力をふんだんに盛り込みながら。
 本作の魅力であり著者の歴史ものに共通して存在するフェアネスは、歴史的事象を、現在進行形の出来事として、当時を生きる人々の地べたの目線から書く点にある。歴史を知る後世の人間からすれば、歴史のただなかにいる人間には、見えていない現実がたくさんある。もどかしい。視野きようさくだ。そんなふうに思う場面もあるかもしれない。しかし、著者は当時の人々を、現代の価値観をもって断罪するようなことはしない。その当時はそう考えそう生きるしかなかった、いわば幕末という時代の「箱」の中にいたという現実を、実直に書いていく。個人の思惑をやすやすとねじ伏せる、時代の「流れ」というものの存在が記録されている。
 そのようなフェアネスが貫かれた文章を追いかけていく結果、読み手の内側に何が起こるのか。自分自身が持っている「箱」の存在や、現代人もまた幕末とは別の「流れ」に身を置いていると思いをせることになる。普段の日常では意識しづらい「箱」や「流れ」の存在を、歴史ものの小説を読むことで人は学ぶ。体感する。

「歴史ものって、登場人物たちが時代だとか周囲の環境によって流されていく姿を書いているのかもしれない、と思うことがあります。自分の人生は常に自分の意思で選択してきたと言う人でも、一歩引いた視点から見てみると、流されているんですよね。決してそれは悪いことではないんですよ。ただ、〝流されているんじゃないか?〟と感じられるようになることは、現代を生きる私たちにとっても大事なんじゃないかなと思うんです」(「CREA」二〇二〇年二・三月合併号掲載、単行本刊行時の著者インタビューより)

 自分は、自分の人生を選べているか? 自分という存在を、どれほど理解できているのか。人生のフィナーレを自らの意思で飾った、凄まじい切れ味の「幕切れ」の先で、思考がずっと止まらなかった。

作品紹介・あらすじ



荒城に白百合ありて
著者 須賀 しのぶ
定価: 924円(本体840円+税)
発売日:2022年11月22日

この世界で、ともに生きられない。だから、あなたとここで死にたい。
森名幸子から見て、母の鏡子は完璧な会津婦人だった。江戸で生まれ育った母は教養高く、武芸にも秀でており、幸子の誇りで憧れだった。
薩長軍が城下に迫り、白装束を差し出して幸子に自害を迫った時も、母の仮面が崩れる事はなかった。
しかし、自害の直前に老僕が差し出した一通の手紙が、母の、そして幸子の運命を大きく変えた。
手紙から視線を外し、再び幸子を見た母は、いつもの母とは違うものに変わってしまっていた。その視線を見て、幸子は悟った。
――母は、この美しい人は、いまこの瞬間、はじめて私を「見た」のだ、と。

薩摩藩士の青年・岡元伊織は昌平坂学問所で学ぶ俊才であったが、攘夷に沸く学友のように新たな世への期待を抱ききれずにいた。
そんな中、伊織は安政の大地震の際に燃え盛る江戸の町でひとりさ迷い歩く、美しい少女と出会う。あやかしのような彼女は聞いた。
「このくには、終わるの?」と。伊織は悟った。「彼女は自分と同じこの世に馴染めぬいきものである」と。
それが、伊織の運命を揺るがす青垣鏡子という女との出会いであった。魂から惹かれあう二人だが、幕末という「世界の終わり」は着実に近づいていて――。

この世界で、ともに生きられない。だから、あなたとここで死にたい。
稀代のストーリーテラーが放つ、幕末悲劇、いま開幕。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322206000470/
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