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レビュー

作者の豊かな教養に裏打ちされた世界――『天穹の船』篠 綾子 文庫巻末解説【解説:縄田一男】

異人の船を造る男と攘夷の志士。対立する二人の運命を描く、傑作時代小説。
『天穹の船』篠 綾子

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

天穹の船』篠 綾子



『天穹の船』文庫巻末解説

解説
なわ かず

 本書『天穹の船』の解説を書くにあたり、私はしのあやが第一回日本歴史時代作家協会賞(旧・歴史時代作家クラブ賞)・作品賞を受賞した『青山に在り』を一読、勇躍、「本年度(二〇一八年)のちようを飾る幕末青春歴史小説の傑作、ここに登場」と書評の筆をとった事を思い出す。
 かわごえ藩家老の息子・わらきようを軸とし美しい川越の風土を舞台に幕末の人々と時代相を描き出したこの作品は、作者の初期の作品にもかかわらず当時から完成されたスタイルを持ち、その後の大成ぶりが期待された。
『青山に在り』は角川文庫に収録されているので是非とも一読していただきたいのだが、前述の期待にこたえる如く、〈更紗屋おりん雛形帖〉〈代筆屋おいち〉等の文庫書き下しシリーズや『酔芙蓉』『星月夜の鬼子母神』等の単発作品の質の高さが、作者のかいにおける地歩を確かなものにしたと言っていい。
 篠綾子作品を読むよろこびは、起伏に富んだストーリーを楽しむとともに、作者の豊かな教養に裏打ちされた世界を楽しむ事でもあるのだ。
 例えば角川文庫の文庫書き下しシリーズ〈藤原定家・謎合秘帖〉等はその好例と言えるだろう。主人公はそのシリーズ名からもわかるようにかまくら前期の高名な歌人・ふじわらのてい。第一作『幻の神器』の、物語の発端は、定家が父・しゆんぜいから三種の御題を解けば「古今伝授」を授けると言われた事による。しかし、俊成は何者かに誘拐されてしまう。かぎを握るのは御題の暗号解読。作品を貫くのは伝統的な和歌の修辞法と謎合わせであり、これを解くにつれ社会の権力の闇がわかってくるという抜群の読みごたえなのである。続く第二作『華やかなる弔歌』で定家は上皇からちよくせん和歌集の六人の選者の一人に任命されている。そこに歌神と名乗る者からただちに和歌所を閉じよ、さもなくば、当代の六歌仙を一人ずつ死に至らしめると脅迫状がまいこむ。次々と届けられる弔歌と相次ぐ歌人の死。作者の筆は、鎌倉将軍で巧みな歌も残しているみなもとのよりともの怪死にまで及んでおり、興味は尽きない。
 こう話していくと前述の『青山に在り』からしてそもそも、みん代の詩人、そんいちげんのつくった詩の「生きて盛世に逢ふに何事をか憂ふる/家青山に在り道おのづから尊し」、すなわち今、自分が居る場所を死にどころと定めて生きるならば、その道は正しく尊いものになる。そこを死に拠と定めて生きなさい、憂うる暇は無い、が全篇を貫くモチーフとなっていたではないか。
 それでは本書ではいかなる和歌が出てくるのか。気になる読者も多かろうと思うがここではまずストーリーの流れに沿ってこの作品を読み解いていきたいと思う。
 したがって今後、作品の核心にふれる箇所もあるので是非とも本文の方から先に読んでいただきたい。私がこう書くと、何たいした事はあるまいと思う方がいるかもしれないが、幾重にも伏線が張り巡らされた本作においては、それが命取りとなりかねないのでゆめゆめご油断召さるなと記しておきたい。
 ゆえにこれから記す解説は、本書を読了した方のみに向けられたものであるとご承知願いたい。
 この作品の冒頭を読んでまず驚かされるのは、作者の書きっぷりの巧みさであろう。物語はえい七年十一月四日、ずのくにむらの何気ない朝から始まる。作者は、短い枚数の中で軸となる船大工のへいぞうを始め、どこか孤独を好む風の、やはり船大工の若者、とうすけ、ややごうまんまんさく、小心者のきちら大工仲間を紹介していく。と、そこを襲ったのが大地震である。皆がほうほうの体で建物の中から逃げ出した時、親方が居ないのに気が付いたのが平蔵である。親方を倒れた木材の中から助け出すと、家に一人でいる女房を見てきてくれと頼まれる。親方の家へ急ぐ道中、身内の誰かが下敷きになったらしい女の「どうか、お力を貸してください」という叫びを耳にする。平蔵にはそれがと重なり身を引き裂かれる思いにかられるのだが、なんと大胆な伏線であろうか。これだから篠綾子の小説は、一行たりとも読み飛ばす事は出来ないのだ。そして、その女が漁師の夫を亡くしたばかりで今度はあろうことか幼な子を地震で亡くし、とうとう首をってしまった事を平蔵は知る。彼は自分が見捨てたせいであの女も子供も死んだのではないかと激しく己れ自身を責める。
 そう思っていた矢先、
じんどものせいだ!」
 という声が平蔵の耳を打つ。これを言ったのは前述の万作である。すると万作の取り巻きが口を揃えてそうだそうだと言うではないか。いかにもこの短絡的な考えは、万作と彼に影響された船大工たちの言いそうな事で、ここにも作者の細かい伏線が十分に生かされていると言えるだろう。そして改元が行なわれ、あんせい元年となり、暦が十二月に変わって間もない五日、平蔵たちは親方から地震で壊れたおろしあの船の建造を命ぜられる。建造取締役はにらやま代官のがわろうもんである。
 この建造を進めていくうちに仕事のまとめ役となり通訳を通して、異人のアレクサンドルやヨシフと交流をはかっていく平蔵と、あくまでも彼らに反感を抱きつつも、やむなく仕事をする万作らとの対立関係が出来上がっていく。
 そんな中、「異人のための船を造るは、わが国の恥なり。天罰下るを待たず、われらが成敗す」という投げ文が放り込まれる。その堂々たる筆跡から平蔵は侍の手によるものだと親方に言う。
 複雑な過去を持つ平蔵は、江川太郎左衛門の元を訪ねるが、彼はあろうことか死の床にしていた。しかし太郎左衛門は平蔵に人生の指針を示す。それは「人の非難を恐れるな。人に恨まれることを恐れるな」というもので、己に確かな信念があればそれでいいと、太郎左衛門は言う。そしてこの章で太郎左衛門の妹みきが一首の歌を口にする事になる。
 それが

 あめうみに雲の波立ち月の船 星の林にぎ隠る見ゆ

 というもので、これは二十年程前、夜空から切り取ったような三日月を見上げながら船大工になると決めた平蔵に太郎左衛門がはなむけのように教えてくれた歌でもあった。
 この歌は、『万葉集』に収録されたかきのもとのひとのものでその意味するものは天の海に雲の波が立ち月の船が星の林に漕ぎ隠れていくのが見えるようだ、というもの。すなわち、天は海、雲は波、月は船、星は林に見立てているのである。そして平蔵は、あの月のような船を造りたいとロマンチックな夢を抱いたのであった。
 物語はひやくしよういつの頭目に祭り上げられ、生き別れとなった平蔵の父・は今どこにいるのか? 二十年前運命のだんがいで明暗を分けた平蔵の幼なじみ・ろうの胸中は? そして、士郎の命の恩人・の本当の顔は?
 本書はこのあたりから平蔵一人のそれではなく、平蔵と士郎の父親を巡る愛憎劇という側面をもちこれまでの伏線を次々とみ込んでスピーディーに展開していく。
 しかも、ますます険悪となる平蔵と万作らとの関係。はたして船の建造はなるのか。その中で、思わず作者が書き違えたのではないのかと思う記述が綿密な伏線と相まってすべて終盤へと回収されていく。
 一方で、前述の和歌がもたらす美しい結末は、篠綾子作品中類例を見ないもので、誰もが感涙を禁じ得ないであろう。
 日本の古典をひもきながら、篠綾子作品のページを繰ることは歴史・時代小説ファンの典雅なよろこびとして何物にも代え難い時間を私たちに提供してくれる事だろう。

作品紹介・あらすじ



天穹の船
著者 篠 綾子
定価: 858円(本体780円+税)
発売日:2022年10月24日

異人の船を造る男と攘夷の志士。対立する二人の運命を描く、傑作時代小説。
江戸末期、船大工の平蔵は難破したおろしあ人の船造りを請け負うことに。異人を憎む声が高まる中渋々ながら引き受けた平蔵だが、おろしあ人の温かい心に触れ徐々に考えを改めていく。一方、世間では攘夷派が暗躍し始めていた。その中にはかつて生き別れた幼なじみ・士郎の姿があった――。別々の道を歩んだ2人の人生が交差する時、思いもよらない真実が浮かび上がり……。激動の幕末を生きた人々の熱い姿を描いた、著者渾身の時代小説。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322204000314/
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