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横溝作品には珍しい、スパイ・ミステリー――『夜光怪人』横溝正史 文庫巻末解説【解説:山村正夫】

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
『夜光怪人』横溝正史

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。
※この解説は昭和53年の文庫刊行時に執筆されたものです。

夜光怪人』横溝正史



『夜光怪人』横溝正史 文庫巻末解説

解説
山村正夫

 シャーロック・ホームズが活躍するコナン・ドイルの長編に「バスカーヴィル家の犬」というのがある。
 世界的に有名な名作だが、その中に伝説にもとづく呪いの妖犬が出てくるのだ。それが全身からボーッと青白い光をはなち、ひらいた口からは火をはき、目も炭火のように燃えた、地獄の犬なのである。
 そんなぶきみな犬が、もしも東京にあらわれたとしたらどうだろう。いや犬よりも、青白い光につつまれた人間が夜の世界に出現したとしたら、どんなにか気味が悪いことだろうか。
 横溝正史先生が書かれた「夜光怪人」には、そうしたまがまがしい怪人が、悪の主役として登場する。つばの広い帽子をかぶり、ダブダブのマントを着ているのだが、その帽子やマントがホタル火のようなぼんやりとした光を放っているのだ。しかも帽子の下からは、能面のようにつめたくすんだ無表情な顔がのぞいているというのだから、その姿を想像しただけでゾッと寒けをおぼえずにはいられないのに違いない。
 この夜光怪人は犬を一匹連れているのだが、その犬がやはり全身から怪しい光を放ち、クワッとひらいた狼のような口からは、うずまくようなほのおを吐き、恐ろしい二つの目は、まるでリンのようにかがやいているのである。まさしくバスカーヴィル家の妖犬と同じといっていい。
 夜光怪人が本書の物語の中で、最初に世間をさわがせたのは、春まだ寒い二月ごろのことだった。隅田川をこぎのぼるだるま船の船頭が目撃したのがはじまりで、それ以来、あちらでもこちらでも、その姿を見たというものが出てくるようになったのだ。
 そうしたおどろおどろしい前置きがあったあと、いよいよ本書の主人公であるしばすすむ少年が登場する。上野公園で妖犬に追われる少女を救ったのがきっかけで夜光怪人に出会い、事件の幕がひらくのである。
 横溝先生のジュニア物には、この御子柴進少年と新日報社の敏腕記者三津木俊助のコンビをあつかったものが多い。本書もそうだが、ここでは年が十五歳。中学三年生で柔道三段、陸上競技では棒高とびの選手という風に紹介されている。
 だが、読者のため進についていま少しPRをすると、進はいくつかの怪事件に少年とは思われぬ大手柄をたてたのが縁で、中学を卒業後、新日報社へ入社し、給仕として働くようになるのだ。そして社内で〝探偵小僧〟のニックネームをつけられ、三津木俊助の助手としてますます腕をふるうようになるのである。
 おそらく、入社のきっかけとなった手柄の一つに、この夜光怪人の事件もあったのではないだろうか。
 それはさておき、進と三津木俊助は最初から一方的に、夜光怪人に対して勝利をおさめたわけではなかった。真珠王小田切準造が銀座デパートの貿易促進展覧会に出品した、「人魚の涙」と呼ばれる首かざりはまんまとぬすまれてしまうし、新日報社主催の防犯展覧会の会場では、殺人までされてしまった。
 そればかりではない。ふるみや元伯爵のお城御殿でもよおされた仮装舞踏会では、一人娘のたまをさらわれてしまったのだから、かえすがえすもの黒星つづきだった。小田切準造のやとった私立探偵黒木と三人で厳重な警戒にあたっていながら、銀座デパートのときと同様、まんまとしてやられてしまったのである。
 それにしても、身がわりを何人も用意して、かれら三人にいっぱい食わせた夜光怪人の悪知恵にたけたトリックには、読者も舌を巻かずにはいられなかったことだろう。物語の前半は、夜光怪人に立ち向う、そのような三津木俊助たちの悪戦苦闘ぶりがスリルに富んでいて、読者をやきもきさせずにはおかない。
 では夜光怪人の悪事の目的は、「人魚の涙」をぬすんだり、珠子をさらうことだけにあったのだろうか。
 三津木俊助と進は、古宮元伯爵から意外な秘密を打ち明けられる。それによると、夜光怪人の正体は大江蘭堂という悪者で、かれがねらっているのは、八幡船の大頭目龍神長太夫がひそかに隠した、ばく大な財宝にあるというのだ。
 その財宝については、考古学者の一柳博士がひそかに研究をしたあげく、ついに大宝庫を発見したが、夜光怪人は博士を拷問にあわせて記憶喪失にさせた上、息子の龍夫までどこかに監禁してしまったのである。
 進が上野公園で妖犬の危機から救ったのが龍夫の姉の藤子で、彼女は珠子の付人として古宮家に厄介になっていたのだった。だが、その藤子は夜光怪人と戦うという書き置きを残して、古宮家を飛び出したまま行方が知れない。
 こうして、物語の後半は海賊龍神長太夫の財宝探しが興味の焦点となる。
 そして登場するのが、名探偵金田一耕助だった。
 横溝先生の作品には、三津木俊助をバック・アップする名探偵として、由利(りんろう)先生の出てくるものがかなりあるが、本書では金田一耕助が三津木の後だてとして力を貸し、財宝探しに乗り出すのである。
 その財宝のありかを示す地図を、一柳博士は龍夫の背中にいれずみのかくし彫りにしておいた。そのかくし彫りは、特殊な薬を注射しなければあらわれない。藤子は弟を救いたい一心で、その薬を上野公園の地下にある夜光怪人のアジトへ持参する。夜光怪人の方が金田一耕助や三津木俊助に先んじて、財宝の隠し場所の地図をカメラにおさめてしまったのだった。
 だが、用心深い一柳博士は、財宝を隠した島の位置は別な地図に書いて、吉祥天女の像の中に隠しておいた。それを見つけた金田一耕助らは、瀬戸内海の龍神島へ向うのである。
 ここで読者は、面白いことに気づいたに違いない。それは、龍神島へ渡るのに、獄門島を経由しなければ行けないという事実だ。
獄門島」といえば横溝先生の戦後の代表的な名作だから、すでに読まれた方もおおぜいいると思うが、そこに出てきたなつかしい人名が、本書にも使われているのである。網元の鬼頭儀兵衛や駐在所の清水巡査の名前を見て、読者はおやっと目を見はったのではないだろうか。そうした点も、本書の楽しさの一つといっていい。
 夜光怪人と金田一耕助たちの対決は、このようにしてはなばなしい大づめを迎える。龍神島を占領した海賊一味と夜光怪人のグループの、激しい銃撃戦がクライマックスの見せ場だが、洞穴内のおびただしい財宝を前にして、海賊の首領との相撃ちで死んだ夜光怪人の正体には、誰しも声をのまずにはいられなかったことだろう。大江蘭堂もまた、夜光怪人の変装の一つに過ぎなかった。
 そのあっという意外性が、本書の結末のハイライトなのである。

「謎の五十銭銀貨」は、いわゆる暗号ミステリーに属する短編だ。
 五十銭銀貨といっても、近ごろのヤングは、おそらく見たこともないのではないだろうか。ひと昔前に通用した古い貨へいだから、古銭をあつかっている古道具屋かコレクターのところへでも行かなければ見ることはできない。
 本編の主人公である小説家の駒井啓吉は、昭和十六、七年ごろ易者から釣銭としてもらったのを、マスコットとして大事に持っていたのである。それというのは、銀貨をねじると表と裏がはずれ、うつろになった中に暗号を書いた紙きれが入っていたからだった。
 その話を「私のマスコット」として雑誌にのせたところ、啓吉の家に賊が入って銀貨がねらわれるのだが、ねらわれた理由はほかでもなかった。紙きれの暗号が、紳士譲治という怪盗のぬすんだ宝石の、かくし場所を示していたせいなのだ。
 その謎解きとそれを逆に利用して、賊をワナにかける啓吉の機智に本編の面白さがある。読者も啓吉に負けずに暗号を解いてみると一興かもしれない。
「花びらの秘密」にも暗号が出てくる。
 美絵子の家には、幻燈のおどし文句でかの女を釘づけにした奇妙などろぼうが、二晩つづけて押し入ったが、そのどろぼうが落していったのが、キクの花びらのような形をしたしんちゆうの板で、それに数字を使った暗号が彫りつけてあった。
 その真鍮の花びらと同じものを持っていたのが、交通事故でなくなった美絵子のおじの藤倉博士だ。博士は優秀な性能のロケット機PX号の設計を完成していたが、死後設計図がどこからも発見されなかった。どろぼうはS国とT国のスパイだったのである。美絵子の祖父がたのんだ私立探偵が、かれらの一人の意外な正体を明らかにするが、そのきっかけをつくったのは美絵子のするどい観察力で、幻燈にうつし出された犯人の指紋が、手がかりとして巧みに使われている。
 本編は横溝先生の作品には珍しい、スパイ・ミステリーの短編といい得るだろう。

作品紹介・あらすじ



夜光怪人
著者 横溝 正史
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年10月24日

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
ホタル火のような妖しい光を放つ怪盗・夜光怪人は秘蔵のダイヤの首飾りに狙いをつけた。警備にあたった三津木俊助だったが、夜光怪人に裏をかかれて失敗。金田一耕助が事件の解決に乗り出すこととなる……。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322205000263/
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