ベールに隠された禁中で、したたかに、そして華やかに生きた女がいた。
『ミカドの淑女』林真理子
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『ミカドの淑女』林真理子
『ミカドの淑女』林真理子
解説
武家の娘でありながら歌才によって皇后・
ところが、もしくはそういう女であるがゆえに新聞記事の恰好の餌食となって醜聞にまみれた。かの社会主義者・
才色絶倫の女。
本作の舞台は明治四十年、一九〇七年だ。
幕末維新を経て時は二十世紀。西欧に比肩すべく近代化と西欧化に涙ぐましいほど傾注してきた成果の一つとして、明治三十八年の日露戦争勝利がある。清国のみならず大国ロシアを打ち破ったことで日本は世界を驚嘆、震撼せしめた。明治三十九年には
帝国日本。
物語はそんな明治四十年、内裏の冬の朝から始まる。まるで
記事を読む、あるいは
本作は歌子にまつわる人々の人生を馬車に乗せ、『平民新聞』の記事を御者にして刻々と進められていく。ただし馬車に乗せられた登場人物たちはあまり動かない。ロシアの怪僧にちなんで「日本のラスプーチン」と呼ばれた宗教家・
彼女はいったい何者なのか。妖婦か貞女か、男も女もその魅力でたらし込む
作者は伊藤博文の内心描写で、歌子をこう評させている。
──ともかくずばぬけて頭がよい。(中略)それよりも公を魅 きつけたのは歌子の人間を読む深さである。瞬時のうちに相手が望むことを読みとり、それにかなうようにふるまうことができる。これこそ「周旋屋」と陰口を叩かれながらも、政治の第一線に躍り出た藤公が最も大切にしている才能であった。(中略)人間を読む力だけではない。志の高さ、言い替えれば本人も自覚していない野心というものも歌子は身につけていて(後略)。
ここで語られているのは伊藤自身のことでもある。歌子の像が乱反射して、登場人物それぞれの横顔、心の深奥を照らし出すのだ。嫌悪や嫉妬や未練、保身と傲慢、高貴の冷酷をも。
タイトルが『帝の淑女』ではなく『ミカドの
けれども小説の終盤、歌子の真の〝野心〟に気づかされて、読者は身ゆるぎすることになる。未読のかたのために具体的な記述は控えるけれども、本作の真髄と魅力の源泉はこの真の〝野心〟にこそある。ゆえに令和の世になった今も乱反射して、読者は気づかされるのだ。
これを野心と呼ぶのであれば、わたしの胸の中にも潜んでいるものだ、と。
権謀術数では決してかなわぬ、切ない野心。単なる上昇志向とは全く別の、狂おしいほどの純粋なる野心。
そしてふと、歌子を抱きしめたいような思いに駆られる。
ここまで人間の情念に迫ったからこそ、『ミカドの淑女』は普遍性を持った。
一九八一年、林さんがTCC(東京コピーライターズクラブ)で新人賞を受賞された時の作品は今もそらで言える。
──つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。
既製の品をただ買うのではなく、自分でベンチを作ってみようよ、ペンキで修繕してみようよというDIYの提案だ。ビジュアルも憶えている。たしか、白く明るい空間に大きな一つのバスタブが置かれていて、そこに巨大な工具がシンボリックに入れられていた(記憶違いだったらごめんなさい)。当時は商品を直截的にアピールせず、生活や感性や生き方の提案によって購買意欲を刺激した時代であった。ビールを単に「うまい!」と声高に表現したら野暮だと鼻であしらわれる。日本の広告に最も活気があり、クリエイターが時代の空気を創っていたと言ってもいい。
私はといえば大阪でコピーライターの修業を始めたばかり、丁稚奉公にも等しいほやほやで、ただし夜は強かったので嬉々として徹夜していた(この癖は今も変わらない)。けれどろくなものは書けず、先輩にもクライアントにもどやされ続ける毎日。だからあのコピーに射抜かれた。林真理子という名前が強く刻み込まれた。
その後、林さんは瞬く間に大人気のエッセイストになり、小説を書けば文壇の寵児だ。エッセイにも小説にも噓やごまかしがない。綺麗事は書かないと敢然と顔を上げ、ユーモアと愛嬌に溢れる作品でも
正直に申せば、私は
そのバブルが弾ける寸前のある日のこと。本屋さんで赤い函入りの、それは美しい佇まいの本に出逢った。『ミカドの淑女』である。函から抜くと半透明のハトロン紙がかけられていて、表紙は薄桃色の地にそれはたおやかな貴婦人たちが描かれている。装丁・挿画は
──迷信残る
私がこうして得意げに装丁や帯文を紹介するのは、初版本を持っているからである。いくど転居してもこの本は詰めて運んで書棚におさめてきた。この小説が好きだったことは言うまでもない。ただ、それだけではなかった。
書くものが変わった。
市井の一読者であった私にもそれがわかったのだ。いや、「変わった」は乱暴な言い方だ。
新しい
そう、そんな気がした。ゆえに私の読書体験において大切な作品となった。
今から思えば、林文学における〈歴史小説〉という大きな脈の始まりであったのだ。本作ののち、『白蓮れんれん』『女文士』『正妻 慶喜と美賀子』『
歴史が重奏となって響いてくる。それは、作家・林真理子の放つ響きでもある。野心の自覚の有無はさまざまなれど、世で大きく呼吸したいと願う女たちにつきまとう苦難は現代もさして変わらぬのではないかと思われる。だから私たちは林さんの言葉、小説に勇気づけられる。
女たちよ。
林さんの声はやわらかだ。ふっくらとしている。
女たちよ。自分より力のある者から与えられたものは取り上げられる。相手の気儘な変心に翻弄されるばかりだ。女たちよ。だから己で摑み取らねばならない。おもねらず、真っ向から対立するばかりでもなく、時に軽妙に捌いて笑い飛ばして、たとえ血塗れになろうとも、その山を登り切れ。
本作『ミカドの淑女』の後の歌子について、少しだけ触れておこう。まるで歴史の自浄作用のごとく上流社会から退場させられた彼女は、ほどなく復活を果たした。日本の女子教育に歴たる功績を残し、昭和十一年まで生き抜いている。
作品紹介・あらすじ
『ミカドの淑女』林真理子
ミカドの淑女
著者 林 真理子
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2022年06月10日
ベールに隠された禁中で、したたかに、そして華やかに生きた女がいた。
その歌の才により皇后の寵愛を受け、「歌子」と名付けられた女官がいた。しかし、その後女は“妖婦”と新聞で取り上げられる。明治の宮廷を襲った一大スキャンダルの真相を暴く、林真理子最初の歴史小説。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322112000472/
amazonページはこちら