命の値段を考えたことがありますか? 警察医療ミステリ!
『カインの傲慢 刑事犬養隼人』中山七里
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『カインの傲慢 刑事犬養隼人』中山七里
『カインの傲慢 刑事犬養隼人』中山七里
解説
僕が
中山作品を読む度に感じるのは、社会問題を巧みに物語の中に織り込むその手腕の鮮やかさ。社会全体を冷静に
実際にお会いすると、柔和で小気味よく
そして中でも特に深く僕に響くのは、報道の一端を担う者として、テレビに対する厳しい中山さんの視点と言葉です。
中山さんの作品の中では、テレビは野次馬的な利己主義の塊として描かれることが多いように思います。
それを読む度に考えさせられます。
メディアは社会の公器であるという錦の御旗のもと、報道の自由、国民の知る権利などの大義を振り
ワイドショーという形の番組はアメリカにはないと聞いたことがあります。
視聴者が関心のあるものを流す。
これは一見正しいのですが、見方を変えれば視聴者におもねっているとも取れる。
視聴者の空気感とズレたものを流せば当然視聴率は下がります。
民間の放送局は視聴率の成績によってスポンサーから入る広告費が変わります。
結果的に営業行為が、報道の自主性と、方向性に影響を与える可能性もあるのです。
現場に携わる者として言わせていただきたいのは、さまざまな制約の中、スタッフは皆できる限りのことをしているということです。
伝えるべきこと、伝えるべきではないこと、どこまで踏み込むのか、表現の仕方、取材対象への配慮など、常にバランスをとり、自問自答しながら放送しています。
大事なことは報道する上で僕たちの芯がどこにあるのか常に考え、軸をぶらさないことだと思っています。
それがとても難しいのですが。
今シリーズの主人公
劇場型犯罪で社会を巻き込みながら臓器移植という社会問題と
事件を7つの色に例えて、犯罪の背景にある人間模様と因果応報をオムニバス形式で描いた『七色の毒』。
子宮
そして犬養自身が刑事として、親として、自らの倫理観と向き合うことになった『ドクター・デスの遺産』。
今作、『カインの傲慢』では、これまで彼が抱えていた娘への
娘の
根治させるためには臓器移植をするしかないのですが、家族の腎臓は適合せず、ドナーを待つしかありません。
『切り裂きジャックの告白』で犬養は、臓器の提供を受けた患者が連続して殺される事件を通して日本における臓器移植の置かれている立場と問題点に向き合い、娘の
『ドクター・デスの遺産』では、死の尊厳を深く考察します。もし沙耶香が人工透析の辛さから逃れたい、もうドナーは現れないと諦め、死を願ったとしたら自分はどうするのか。自殺
犬養は警察官として、父親として、法律と倫理観、愛情の狭間で苦しみ尊厳死と向き合いました。
それら答えの出ない問題に悩みながら、今作では貧困を通して命の重さの違いを見せつけられます。
ながらく世界第二位の経済大国であった日本が三位になってから十数年が経ちました。落ちたとは言え世界の中で第三位ですからまだまだ豊かと言えるはずですが、その実感はあるでしょうか。僕にはありません。
僕が高校生の頃は、バブル経済のピーク。連日ニュースが伝えていたのは、日本の企業がアメリカの有名なビルを買収した、ゴッホの名画を世界最高額で落札した、などの景気の良いニュースばかり。経常黒字は度々最高額を更新、日経平均株価は3万円超、普通預金の金利は3%を超え定期は6%以上でした。
それから三十年。日本は静かに停滞し、活力は失われていきました。
僕が幼かった頃も貧困がなかったわけではありません。
小学生の頃の忘れられない思い出があります。
明るくてクラスでも人気だったS君の家に、ある時誘われて遊びに行ったことがありました。
家は二階建てのアパート。階段は
三時を過ぎた頃、S君はおやつを食べようと言い、冷凍庫を開けました。
アイスキャンディかなと思ったら、出てきたのはコップ。
「今日は谷原君くるから、今朝入れておいたんだ。しゃりしゃりして
コップと思ったものは日本酒の器で、中身は水に砂糖を溶かして凍らせたものでした。
「僕たちいつもこれ食べてるんだ。美味しいでしょ!」
多分僕のためにちょうどいい固まり具合になるよう準備しておいてくれたのです。
僕は複雑な気持ちで、なぜかはわかりませんが言いようのない罪悪感を抱いていました。
今はその正体がわかります。
僕はその時、この家にはお金がないんだと思いました。絶対に喜ばなければいけない、美味しいねと言わなければいけないと。
その自分の気持ちを悟られないように必死だったのだと思います。
僕はS君のことを可哀想だと思った自分に対して罪悪感を抱いていたのです。
そんな僕の気持ちを、彼はわかっていたように思います。
僕たちは砂糖水のシャーベットをしゃくしゃくとスプーンで砕きながら食べました。
部屋は西日でオレンジ色でした。
正直、味はよくわかりませんでした。
「美味しいね!」
「美味しいでしょ!」
彼は妹思いの、とても優しい子でした。
彼が僕にくれた優しさ、気配りはかけがえのないものです。
けれど、その頃の貧しさは今と比べてどこか明るかったような気がします。
裕福でない子もいましたが、これからどんどん豊かになっていくんだという熱気が社会全体にありました。
翻って今の子供たちを見てみると、皆スマホを持ち、ユニクロを着ていて、見た目では貧困はわかりません。
けれど、貧困の度合いはより深刻かもしれない。
昔は貧しい人が多くとも、地域のつながりも深く互いに助け合う空気感が色濃くありました。
しかし今は見知った地元の人よりも新しく移ってきた人が多くなり、隣人の職種や素顔もわからなくなりました。
人と人の
犬養は今作で、『切り裂きジャックの告白』で対峙した臓器移植の在り方、『ドクター・デスの遺産』で向き合った死の尊厳の葛藤を抱えながら、命の重さの意味を突きつけられます。
よく言われる、命の重さは等しく地球よりも重いという言葉。けれど現実には政治形態や経済格差など置かれた環境により厳然とした違いがあります。
残念ながら命を救うために、他人の命を買ったり、奪ったりすることは現実に起こり得る。
命の価値や重さは国境を
犬養はその現実をどう受け止め、どのような答えを出すのか。
それは社会を主観、客観、俯瞰から見つめる中山七里さん自身の答えなのかもしれません。
これからの犬養、そして中山七里さんから目が離せません。
作品紹介・あらすじ
『カインの傲慢 刑事犬養隼人』中山七里
カインの傲慢 刑事犬養隼人
著者 中山 七里
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年06月10日
命の値段を考えたことがありますか? 警察医療ミステリ!
臓器を抜き取られ傷口を雑に縫合された死体が、都内で相次いで発見された。司法解剖と捜査の結果、被害者はみな貧しい環境で育った少年で、最初に見つかった一人は中国からやってきたばかりだと判明する。彼らの身にいったい何が起こったのか。
臓器売買、貧困家庭、非行少年……。いくつもの社会問題が複雑に絡み合う事件に、孤高の敏腕刑事・犬養隼人と相棒の高千穂明日香が挑む。社会派×どんでん返しの人気警察医療ミステリシリーズ第5弾!
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