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レビュー

金田一探偵譚のなかでも、ユニークな一篇で忘れ難い味わいがある作品――横溝正史『死神の矢』文庫巻末解説【解説:中島河太郎】

生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
横溝正史『死神の矢』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

横溝正史『死神の矢



解説
中島河太郎

 作家にはそれぞれ題名に好みがある。抽象的な硬い漢字を並べたがるひともあれば、長々とした活用形を付けなければ収まらぬひともある。だから文字にも好みが現われるのは当然であろう。
 著者が長篇「悪魔が来りて笛を吹く」を書かれてから、「悪魔」をしきりに用いられたことに気付いた読者は多いにちがいない。「悪魔の画像」、「花園の悪魔」、「悪魔の手毬唄」、「悪魔の降誕祭」、「悪魔の寵児」が続いているのだが、著者はまた「蠟」のづらが好みのようである。
「蠟人」をはじめとして、「白蠟変化」(別題「白蠟怪」)、「猫と蠟人形」、「白蠟少年」、「蠟の首」、「白蠟仮面」、「蠟面博士」、「蠟美人」などがあるからだ。
 こんな閑談を試みたのは、本書の題名に似た「神の矢」を思い出したからである。著者が「本陣殺人事件」と「蝶々殺人事件」を並行して執筆し、もっともこうようしておられた昭和二十一年に、この作品を書かれた。たしか探偵作家クラブの会報で知り、私のこしらえた目録には九月から連載で、完結月は不明になっている。発表誌の「むつび」という雑誌は不案内だが、昨年発表された「桜日記」の九月二十四日の項に、「神の矢 四十三枚(半ペラ)むつび。」とあるだけだから、短篇かもしれない。
 それと同じ題で、探偵雑誌「ロック」に連載が始まったので、「むつび」のが未完に終わったのを改めて完結させようという意気込みかと思った。ところがこの雑誌も末期症状を呈していて、二回だけで廃刊となり読者を失望させた。そのモチーフは後の作品に生かされたはずだが、著者は自分の発想を大事にして、気に入るまで書き改めずにおれぬ性分である。
 題名だけの話に限れば、矢の使われたのに「毒の矢」、「死神の矢」、捕物に「三本の矢」、「白羽の矢」、「恋の通し矢」、「当り矢」などがあるが、「死神の矢」は中絶長篇「神の矢」とは係わりがない。かえって著者がしばしば試みている長篇化の一つであった。
 昭和三十一年三月の「おもしろ」に発表され、三十六年四月に書き下し長篇として改稿されたもので、動機や犯行方法が風変わりで、さすがの金田一耕助もはじめは快刀乱麻を断つわけにはいかぬ奇妙な事件が扱われている。
 この物語は冒頭から、奇抜な婿選びの方法が提示される。なに一つ不足のない博士令嬢に、熱烈な三人の求婚者があるので、ゆんぜいくらべをさせて、見事まとに命中させたものと結婚させようというのだ。
 こんなアナクロニズムをまかり通らせているのは、父親の博士自身が「専制君主、絶対的独裁者、断じて他のようかいをゆるさざる古館一家のボス」だからで、令嬢も「パパったら、いい出したらあとへひかないひとなんですもの」と、さじを投げてしまっているからである。
 博士はずいぶん体が大きく、五尺八寸を越える身長、二十貫に近い体重の持主で、かつてラグビーの選手だったという引きまった頑健な体軀、それに野性があふれていた。
 それに古今東西の珍しい弓のしゆうしゆうというので、戦時下の著者をよろこばせたカーの作中人物を連想させるものがある。カーの探偵役にフェル博士やH・メリヴェル卿があるが、どちらも容貌かい、もてあますほどの肥満体で、きような言動で知られているが、その点でも古館博士に相通ずるものがある。
 金田一耕助はこの一風変わったせきがくと、ある事件の解決に協力して以来、親交を結び、家庭に親しく出入りするほどの仲であったが、といってなかなか博士の真意はつかめるものではない。博士は令嬢の母親である夫人を深く愛して、令嬢の七歳のとき、夫人が亡くなってから再びめとらなかったほどである。むろん、その忘れがたみの令嬢をいつくしんでいるのだが、それにしても三人とも、そろいも揃って道楽息子で、品性もそなわっていそうもない人物を、花婿候補者として認めたのだから、博士の心情は不可解であった。しかもまな弟子が令嬢に思慕の念を抱き、愛嬢もそれにこたえる気持のあることを察しているはずである。
 さて婿選びの方法だが、海上に浮べた浮標ブイの中心に、トランプのハートのクイーンがりつけてあって、それを五十メートルほど離れたヨットから、弓を引いて矢を命中させなければならない。
 命中者はいないだろうという予想を裏切って、見事的をしとめたものがいた。それだけでも驚くべきことだったのに、婿候補の一人で失格した者が、その日、用いた矢に突き殺された死体となって発見されたのだ。栄冠獲得者がねたまれて殺害されたというならじようとうだが、敗残者がほふられた上に、金田一もその建物にいる目先で起こった事件なのである。
 関係者のアリバイ調べ、証言から、被害者を脅迫した人物の存在が分ったが、その消息はつかめず、いたずらに金田一を焦燥に追いこんだまま、ひと月たってしまった。
 第二の事件でも、候補者でもう一人の失格者が、やはり自分の用いた矢で刺し殺されている。容易に犯人があがらないので、的中させて花婿の資格を得た青年は、間もなく義父になる博士に向かって、金田一をそしっている。ほんとにえらい名探偵なら、なんとか片付けそうなものなのに、ふらふらとそこらじゅうをほっついているばかりではないかという。
 それに答えて、金田一はすでに事件の真相に気づいているのではないか、犯人を知っていても、あらゆる証拠がそろわない限り手をくださないのが、彼のやりかただと、さすがに博士はの言をはいている。
 第三の事件がぼつぱつして、一しや千里に片づくのだが、真相の裏にもう一つの真相が控えているのはおもしろい。金田一がなまじ、博士一家と親しく、それぞれが胸中深く秘めているものがあるので、「くつをへだててかゆきをくような、妙ないらだたしさ」を感ぜずにはおれないのである。
 それぞれのおもわくが働いているために、さくそうした謎の様相を呈することとなったが、ともかく綿々たる愛情としやくのない復讐の物語であった。新ユリシーズを気取った時代離れのした婿選びにぜんとしていると、えんな学者の遊戯と思われたものが、ぜん一変して連続した惨劇へと展開する。登場人物がめいめいの役割を演じているだけに、やはり金田一は第三者であり、局外者であって、「孤独」をみしめなければならぬのかもしれない。
蝙蝠こうもり蛞蝓なめくじ」は一風変わったスタイルである。一人称で書かれていて、筆者はアパートに住む学生で、他人のことを気にみすぎる性癖だ。この主人公のもっとも憎んでいるのは、同じアパートの住人で、小柄で貧相、昼は寝そべっていて、夜になるとふらふら出かけていく蝙蝠男と、それに隣家の髪もわずに、のろのろしている蛞蝓女史である。
 彼はうつぷんをはらすために、小説の執筆を思いついた。自分が蛞蝓女を殺して、蝙蝠男に罪をきせる話で、この一石二鳥が成功したら、さぞりゆういんがさがるにちがいない。
 ところが現実に蛞蝓女が殺され、主人公にまつこうから嫌疑がふりかかった。証拠の品もあれば、おまけに殺人動機を書いた小説の草稿まで、当局におさえられている。
 主人公にみ嫌われた蝙蝠男というのが、金田一耕助なのだから、読者にとっては愉快な発見であった。金田一を第三者に仕立てて、いわば裏側から謎を解いてみせる手法が効果的である。数多い金田一探偵譚のなかでも、ユニークな一篇で忘れ難い味わいがある。

作品紹介・あらすじ
横溝正史『死神の矢』



死神の矢
著者 横溝 正史
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年02月22日

横溝正史生誕120年記念復刊! 横溝正史の異色傑作!
弓の収集家として名高い考古学者の古館博士が、三人の若者を招き弓遊びに興じていた。見事的を射た者を、愛娘早苗の婿とするというのだ。
だが、その直後、競技に参加した若者の死体が発見される。浴室の中でシャワーを浴び続ける男の胸部には、白塗りの矢が射ちこまれていた……。
解決不能と思われた密室トリックを名探偵・金田一耕助が解き明かす。
一風変わった隣人の嫌疑に挑む「蝙蝠と蛞蝓」を併録したファン必読の小説集。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322111000521/
amazonページはこちら


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