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レビュー

没後40年記念復刊! 横溝正史の傑作長編ミステリ!――横溝正史『迷路の花嫁』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

横溝正史『迷路の花嫁



横溝正史『迷路の花嫁』文庫巻末解説

解説
中島河太郎  

 横溝正史氏の著作が熱狂的に歓迎されて、出版界で空前の記録を樹立したことはジャーナリズムにけんでんされている。
 著者の旧作が競って読まれているばかりでなく、中絶作の「仮面舞踏会」と、中篇を長篇化した「迷路荘の惨劇」を完成し、さらに「病院坂の首縊りの家」を連載しておられる。しかもその後に長篇三作の構想がほぼ固まっているというのだから、そのはくたんげいすべからざるものがある。
 よわい八十を越えて創作欲の衰えなかったアガサ・クリスティー女史の先例があるとはいえ、わが国では七十をすぎて、首尾ととのった探偵に意欲を燃やす著者のような作家にめぐりあったのは、奇蹟的であった。
 この著者の目ざましい精進は、華々しい脚光を浴びたための出版社の意向にこたえたものではなかった。十九歳の処女作以降、編集者の業務のかたわらでも、小説、翻訳、読物を書き続けているし、絶対安静の療養時代を除けば、筆を執らぬときはなかった。
 戦後の本格長篇によって、日本の探偵小説界に画期的な新局面をもたらしてから、十数年間かいをリードした。その後も氏は旧作の長篇化を試みたり、捕物帳の改作につとめるなど、絶えず筆を執り続けていたのである。そういう不断の運筆があればこそ、また新作の構想もおのずと湧くのである。
 この「迷路の花嫁」もその長篇化の一つで、昭和三十年六月に単行本になった。金田一耕助はなるべく表立たぬようにして、サスペンス・ロマン仕立てになっている。
 作品の時代はその前の年だから、戦災の面影もほとんど見られなくなっている。寡作の小説家松原浩三が、閑静な町並を女性が逃げるように立ち去った地面から、血のついた手袋を拾いあげたのがきっかけで、全裸のむごたらしい死体を発見するのが発端であった。
 被害者は霊媒で、四十歳ほどの豊満な女性。おまけに犬も毒殺され、数日後には女中のやくさつ死体が発見されたが、これも霊媒と同時期に殺害されたものらしい。
 この被害者を仲介にして、いろいろの奇蹟を見せるのが、心霊術の大家と称する建部多門である。しつこくの総髪を肩に垂らして、長い顎ひげをたくわえた、ようぼうかいな人物で、あるいは心霊術より女性を御する術のほうにたけているとしか思えない漁色家だった。
 これが諸悪の根源だとすれば、それに対抗しながら物語の進展の中軸になっているのが松原浩三だ。「ちかごろちょっと売り出した小説家」として紹介されるが、事件ぼつぱつの現場近くに居あわせて、この殺人に異常な関心を寄せている。そのくせ現場で拾った血染めの手袋については、警察に告げようとはしない。
 松原自身も「ひとつ自分で探偵してやろうという気に」なったと語っているが、いったん隠しておいた手袋を、あとで警察の目につくようにほうりこんで、その正体を見破られている。
 捜査担当の等々力警部は、彼を目して「つまり猟奇の徒とでもいうんですか、好奇心の強い人物で、自分で探偵してみようなんて、助平根性を起こした人物」とふうしている。そのあとでは「あの男と話していると、影と光が交錯してるような気がするね。非常に高いえいと同時に、一方、救いようのない、崩れた、デカダンスを感ずるんだ。アプレともちがった、何かこう、口では云えない感じだな」とも、人物評を洩らしている。
 この猟奇的な殺人事件の容疑者として、結婚式場から日本橋の呉服店の令嬢が連行された。そこで始めて金田一の出馬が要請されるのだが、彼は他に急ぎの事件を抱えこんでいて、早急に進展の恐れのないこの事件のほうはあと廻しにされていた。ようやく手のすいた彼は、被害者の弟子の霊媒に惚れこんで、彼女を助けたばかりか、妻に迎える決心でいる松原を鶴巻温泉の宿に訪ねる。両人はここで初対面の挨拶を交わすのだが、松原はまだ金田一が有名な私立探偵だということを知らなかったのだ。
 よれよれのセルによれよれのはかま、雀の巣のような頭をしたこの貧相な男が私立探偵だという。こんな男に事件の調査ができるのかというのが、松原の内心のつぶやきであった。ところが人なつこい微笑を浮かべながら、温かい思いやりで話を進める金田一に好感をもったものの、さっぱり要領を得ないまま、彼はまたストーリーの表面の進行からは姿を消してしまうのである。
 だからこの「迷路の花嫁」は、これまでの金田一探偵譚とは趣を異にして、遠くから事件の推移を見守っている。その深謀遠慮があまりにも過ぎるようだが、そこにはまた作者の深謀遠慮が秘められているのだ。
 はじめは少々たいの知れぬ小説家と見られた松原が、被害者の霊媒の背後にいるばかりでなく、漁色ときようかつふたまたをかけて、悪虐をほしいままにする建部に、義憤の戦端を開く。それは人情の機微を穿うがった上での高等心理戦術で、さしもの心霊術師の先手先手をうって、だんを踏ませずにはおかなかった。
 ストーリーはこの松原の愛情ときようを中軸に進展して、霊媒殺人事件の謎は押しやられてしまった感さえある。三か月も経ったのに捜査はこうちやく状態で、等々力警部をはじめ関係者は、迷宮入りになることを恐れている。だが四か月目には事態が急転した。建部家の出火がこれまでの難題を解決する有力な動因になるのだが、お蔭で事件も一挙に大団円へと向かうのだ。
 金田一探偵が表立とうとしなかった理由もはじめて釈然とするし、非道なからくりもようやく明るみに出る。その代りこの風変わりな小説家の縦横の活躍ぶりを拝見させられるのだが、心霊術師のじゆばくにがんじがらめになっている女性たちを、それぞれ解放していく愛ときようのロマンをたっぷり味わうことになる。
 昭和三十年といえば、著者は「吸血蛾」と「三つ首塔」を連載中であった。考え抜いたトリックを中核にして、本格物の醍醐味を提示するというより、物語性のふくらみを見せることに興味をもたれた時期の作品である。
 そのために金田一をして、「一種の英雄」と評せしめた小説家が主役となって、不幸に苦しむものを幸福にするための孤軍奮闘を描いている。著者の本格探偵小説に親しんできた読者には、ちょっと勝手がちがった感じだが、結末に至って本書の狙いがわかっていただけるはずである。

作品紹介



迷路の花嫁
著者 横溝 正史
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2021年10月21日

没後40年記念復刊! 横溝正史の傑作長編ミステリ!
かけ出しの小説家松原浩三は、ふとしたことからとてつもない恐ろしい事件に巻き込まれていった。暗い夜の町を散策していた彼は、偶然行き会った若い女の異常な様子に不審を抱き、後を追いかけた。だが、通りがかりの警官と共に、女が消えた路地へ踏み込んだ彼は戦慄した! 軒灯にヤモリが這うクモの巣だらけの無気味な家、そして縁側からまっ赤な猫の足跡が続き、血の海と化した座敷には、無数の切り傷から鮮血をしたたらす全裸の女の死体が……。横溝正史の傑作長編推理小説。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000602/
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