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レビュー

閉ざされた雪山、サナトリウムを改装した豪華ホテルを過去の因縁が襲う時。――サラ・ピアース『サナトリウム』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

サラ・ピアース『サナトリウム



サラ・ピアース『サナトリウム』文庫巻末解説

解説
よし じん

 サナトリウムとは、結核患者など長期的な療養を必要とする人のための施設のことだ。
 結核は、太古から存在した感染症だが、とくに十九世紀の英国で大流行し、やがてヨーロッパの先進諸国へと広がっていった。産業革命以降、ますます人口が増えた都市において、空気汚染や劣悪な衛生環境、長時間労働による過労、栄養不足などがその感染拡大をうながしたとされている。当時は有効な治療法もなく、死にいたる病だった。日本でも明治期から一九五〇年代まで死亡率一位の国民病とされるほど結核はまんえんしていた。
 そこで、都会から離れた空気のいい高原や陽当たりのいい海浜などに療養のためのサナトリウムが建てられたのだ。感染症なので患者は隔離される必要もあったのだろう。
 本作『サナトリウム』の舞台となっているのは、スイス有数の山岳リゾートとして知られるヴァレー州の町クラン=モンタナに出来た高級ホテルである。ここはもともと十九世紀後半に建てられたサナトリウムで、ガラスを用いた革新的なデザインをもつ建造物で知られていた。しかし医学の発達でこうした療養所の需要もなくなったことから閉鎖されたのち、リゾートホテルとして再開発され、複合施設をそなえた五つ星ホテル〈ル・ソメ〉として生まれ変わったのである。
 エリン・ワーナーは、長らく疎遠だった弟アイザックから婚約パーティーに招待されたことから、恋人のウィルとともに〈ル・ソメ〉へやってきた。アイザックの婚約者ロールは、このホテルで働いていたのだ。だが、エリンはさまざまな不安を感じていた。半年以上前に母を亡くした悲しみも癒えないばかりか、休職中の警察官である自身のことや幼い頃に起こった悲劇による心の傷など、いくつもの問題を抱えていた。そして翌朝、ロールがこつぜんと姿を消したことを知り、エリンの不安はますますふくらんでいく。
 高級ホテル〈ル・ソメ〉は、もともといわくつきのサナトリウムを改装したもので、建設まえから地元住民による工事反対などのトラブルを抱えていたうえに、主任設計士のしつそう、立ち入り禁止とされる荒れ果てた診察室の存在など、怪しい出来事に事欠かなかった。それゆえか、エリンは建物から不吉な匂いが漂っていることを感じていた。そして、ついに恐ろしい事件が発生、大雪のため外部と遮断されてしまったなか、あまりにも異常な状態の死体が発見された。顔に黒いゴムマスクがつけられ、指が切断されていたのだ。
 かつては、ドイツの文豪トーマス・マンによる『魔の山』をはじめ、日本でもほりたつ『風立ちぬ』、ふくながたけひこ『草の花』など、多くのサナトリウムを舞台にした小説が書かれていたものだ。だが、本作はそうしたサナトリウム文学とは異なり、恐怖に満ちた怪奇ミステリーとでもいうべき小説である。不気味な屋敷や高くそびえる建物を舞台にした恐怖小説といえば、エドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」を筆頭に、古今東西多くの物語が書かれてきた。山の中のホテルであれば、まずスティーヴン・キング『シャイニング』が挙げられるだろう。また、大雪で外部との連絡ができない陸の孤島のなか、警察官が事件を捜査し犯人を探すといえば、古典的な探偵小説によく見られる形式でもある。さらに第二、第三の事件が起こることで、サスペンスが絶えることはない。
 また、エリンの目を通して語られる世界は、もともと不安やトラウマを多く抱えている人物だけあって、疑惑でいっぱいだ。仕事でつまずき、恋人ウィルとの関係もどこか不安定で、あらゆることに自信が持てなくなった女性なのかもしれない。しかもエリンと弟のアイザックは、ずっとぎくしゃくした関係だった。子供時代に起きた末弟サムの事故死、母の病気や葬儀にアイザックが無関心だったことなど、きようだいといえども、ふたりの間には溝が横たわっていた。そこへきて、怪しい事件が連続し、ヒロインは、周囲の誰をも信用できない心理状態に追い込まれてしまう。
 このようにジャンルの定型ともいえる多くの要素をもとに、ヒロインが抱えるあらゆるマイナスが詰めこまれたうえで物語は展開する。そのほか、ヒロインであるエリンとは別に、前半、ホテルで働く女性アデルの視点による物語も挿入されているが、短い章立てが交互につづくので混乱することはないだろう。また、ガラスを用いた革新的なデザインであるサナトリウムの建物、その内装、もしくはプールといった施設などの描写も細やかで、全体に映像表現に似た効果をあげている。視覚的にもイメージしやすく、筋もきわめて分かりやすいのだ。さらに本作はそれだけで終わっていない。謎めいたエピローグが、この怪奇ミステリーを最後まで不気味なものにしている。
 加えてコロナ禍の現代において、黒いゴムマスクや荒廃した結核診察室などの描写は、それだけで不安をかきたてられるものだ。本作が、サンデー・タイムズ紙のベストセラーになったというのは、こうした誰でも読み取れる要素が過剰とも思えるほど作中に積み重なった結果なのかもしれない。
 作者のサラ・ピアースにとって本作がはじめての長編である。ネットにあがったインタビューによると、愛読する作家としてアガサ・クリスティのほか、『半身』、『荊の城』などで知られるサラ・ウォーターズと『探偵ブロディの事件ファイル』、『ライフ・アフター・ライフ』などの邦訳があるケイト・アトキンソンを挙げていた。どちらも実力派の女性サスペンス作家だ。それならば、いずれジャンルの定型の積み重ねにとどまらないミステリーやサスペンスを目指していくだろう。これからどのような作品を世に送り出すのか、ぜひとも注目していきたい。

作品紹介



サナトリウム
著者 サラ・ピアース 訳者 岡本 由香子
定価: 1,342円(本体1,220円+税)
発売日:2021年11月20日

閉ざされた雪山、サナトリウムを改装した豪華ホテルを過去の因縁が襲う時。
アルプスの山岳リゾート、豪華ホテル〈ル・ソメ〉。古いサナトリウムを改装し話題になったが、地元では反対運動も起きていた。弟アイザックの婚約パーティのため、恋人とホテルを訪れたエリン。雪の降りしきるなか、アイザックの婚約者が失踪、ゴムマスクをはめられた死体が発見される。休職中の警官であるエリンは捜査に乗り出すが、彼女の前にサナトリウムの、そして自身の過去が立ち塞がる。スリリングなノンストップミステリ!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322003000243/
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