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【阿川佐和子さんあとがき】まだまだ仕事がしたいのに……もう介護!? アラフォー長女の奮闘記!――『ことことこーこ』阿川佐和子著 文庫あとがき 

文庫巻末に収録されている「あとがき」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

ことことこーこ』阿川佐和子著 文庫あとがき

あとがき
阿川佐和子

 二〇一八年の秋にじようしたこの物語が文庫になり、新しい表紙絵とともに読者の皆様のお手元に届く運びとなったことをありがたく思う。そもそもは二〇一六年九月から二〇一八年三月にかけて、各地の地方新聞に載った小説である。私にとって初めての新聞連載であった。
 連載時は、まさに認知症の母の介護のただなかにいた。現在進行形のテーマをそのときの精神状態で小説に仕立て上げるのはいかがなものか。かすかな迷いもあった。しかし、少しずつ記憶の力を失っていく母のそばにいると、その都度のさまざまな発見がある。母の変化に気づくだけでなく、介護をする自分自身の未熟さをとことん思い知らされることもあった。悪いことばかりではない。認知症の母とつき合うにつれ、嘆く気持を通り越し、いったい母の脳の中はどうなっているのかと、面白がる自分がいたことも事実である。
 そういうささやかな発見の数々を題材にして家族の物語を描いてみることはできないだろうか。まつな驚きや気づきの連続ゆえ、のどもと過ぎれば熱さを忘れる。その場その場では大きな騒動に思われても、解決してしまえばそれこそ記憶の彼方かなたに遠のいていく。私が生来そういう性格であったせいもあるが、実際、介護の日々の悩みや労苦や精神的肉体的ダメージは、段階的にどんどん変化していくし、一つの問題にかまけていると、翌日には新たな事件が起こるという繰り返しだった。いちいち回顧している場合ではない。だからこそ、今さっき、ついこのあいだ起きたトラブルや面白いエピソードを、もし許されるのであればフィクションという舞台の上で書き留めておきたいと思ったのである。


ことことこーこ
著者 阿川 佐和子
定価: 836円(本体760円+税)


 この物語に登場する母親のことは、私の母に似ているようであり、違うとも言える。娘のこうは著者にそっくりとあちこちで言われたけれど、私は香子ほど頑張った覚えはない。この小説を連載するにあたり、弟には伝えておいた。
「これはあくまで小説だからね。まったくの作り物だから誤解しないでね」
 よくよく念を押しておいた。「わかってるよ」と弟は笑って承諾してくれたが、もし読者の誤解を招いたら弟に申し訳ないと思い、ここにはっきり言明しておく。両親の介護にあたり、我がきょうだいは驚くほど協力的だった。もちろん、そのときどきの母への対応について意見の違いが生まれることはあったけれど、基本的には「一緒に頑張ろう」という気持にをきたしたことはない。ただ、自分の親が介護を必要とする身になったとき、何を優先し、何を犠牲にし、どこまで頑張ればいいのかの見解は、人それぞれによっておのずと異なってくる。正解はない。そのことを、姉と弟の立場の違いに置き換えて書いてみたかった。
 本小説のモデルとなった母は、去年の春、九十二歳で他界した。最初に父が「母さんはけた」と子供たちに向かって三回繰り返した(これは事実である)のが二〇一一年あたりだったと記憶するので、そこを起点とするならば、母の介護は亡くなるまで九年以上続いたことになる。その間、母は実に明るく素直で可愛らしかった。身内を褒めるのは気が引けるが、最期に息を引き取る直前まで、性格が荒くなったりさいしんが強くなったりすることなく、はいかいの騒動を起こすこともなく、まことに手のかからない認知症の優等生だった。父が先に亡くなった事実がときどきあいまいになったり、つい数分前にいた場所がどこだったかわからなくなったりするのは常のことだったが、そのことで私や家族にとがめられても、「あんたも忘れるくせに」とか「覚えてることだってあるもん!」とか、笑いながら即座に応戦するのが得意だったほどである。
 認知症の気配が見え始めた当初は別にして、母は終始、機嫌が良かった。いったい母はどういう気持で毎日を過ごしているのだろうか。もし本人が、過去の記憶を失っても日々を楽しく面白がって生きているのなら、その一日一日を、つき合う側の私たちも一緒に笑って暮らすことが大事なのではないだろうか。いつの頃からか、私はそう思うようになった。
 文庫化にあたり、本文を読み返して、「そうだった、そんなことがあったっけ」と思い出すことがたくさんあった。香子とは違い、もはや私には介護すべき父も母もいない。あんなに?しかりつけないで、もっと優しくしてやればよかった。仕事にかまけてばかりいないで、そばにいる時間をもっとたくさん作ればよかった。後悔することは山のようにある。しかし、思い返すと母と笑っていた光景ばかりがよみがえる。まるで私が母の母親になったかのような場面もたびたびあったけれど、私の心では、母は最後まで私の母だった。認知症になっても、母は母に違いなかった。
 現在、介護奮闘中の人々や、これから介護を迎えるであろう人たちに、この小説がかすかなあんと笑いをもたらしてくれたなら、著者としてこれほどうれしいことはない。

※記事用に一部変更して掲載しています

作品紹介



ことことこーこ
著者 阿川 佐和子
定価: 836円(本体760円+税)

まだまだ仕事がしたいのに……もう介護!? アラフォー長女の奮闘記!
離婚して老父母の暮らす実家に戻った香子。専業主婦を卒業し、フードコーディネーターとしての新たな人生を歩み出した矢先、母・琴子に認知症の症状が表れはじめる。弟夫婦は頼りにならず、仕事も介護も失敗つづき。琴子の昔の料理ノートにヒントをもらい、ようやく手応えを感じた出張の帰り道、弟から「母さんが見つからない」と連絡があり……。

年とともに変わりゆく親子の関係を、ユーモアと人情たっぷりに描き出す長編小説。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000285/
amazonページはこちら


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