文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『青嵐の坂』葉室麟著 文庫巻末解説
解説
大 矢 博 子
二〇一八年八月、その前年に急逝された
会場の一角には大きなテーブルが
その隣には、同年秋に公開された『散り椿』の映画ポスターのパネルが立てられていた。『散り椿』と『青嵐の坂』──葉室さんの代表作と言っても過言ではない、
その後も、葉室さんの新刊は続々と刊行された。『辛夷の花』(徳間文庫)の巻末解説にも書いたことだが、お別れの会で各社の編集者からその後の葉室作品の刊行予定をたくさん聞き、お別れでも何でもないじゃないか、と場違いにも笑ってしまったものだった。
そのお別れの会からまもなく三年が経つ。〈新作〉こそもう望めないが──それはとても残念なことではあるが、それでもこうして文庫としてまた葉室さんの作品を読者に届けられることは、実に
扇野藩シリーズは前述の『散り椿』に始まり、『さわらびの譜』『はだれ雪』(いずれも角川文庫)と続き、この『青嵐の坂』が四冊目となる。同じ藩が舞台ではあるが、いずれも時代が異なり、登場人物も重なってはいないのでどれから読んでいただいてもかまわない。
本書『青嵐の坂』は、大火と凶作、さらには幕府の賦役のため窮乏に陥った扇野藩で、厳しい藩政改革を断行していた郡代・
弥八郎の嫡男・
それから数年の後、仲家が家督を継ぐため側近の慶之助を連れて扇野藩に戻ってくる。慶之助にはふたつの目的があった。ひとつは父の
藩主と慶之助からは当て馬として利用され、家老たちからは慶之助の対抗馬として担がれる中、孤立無援の主馬は果たして藩札発行をやり遂げられるのか。弥八郎が死の直前に思い浮かべた後継者たる「あの者」とは誰のことなのか。弥八郎が主馬に調べるように言った飢饉の真相とは何か。折り合いの悪かった父を慶之助が理解する日は来るのか。家老たちへの復讐は果たせるのか。主馬に思いを寄せる那美の恋の行方は。藩札発行に絡んで暗躍する商人に主馬はどう対抗するのか。
読みどころは尽きないが、本書で特に注目願いたいのは登場人物の変化である。
誰が──と書いてしまうと興を
矢吹主馬という人物は、これまで多くの時代小説で葉室さんが描いてきた〈清廉な武士〉である。
こうして並べると、あまりに立派でリアリティがないようにも感じる。だが葉室麟の腕は、そんな人物をまるで実際にいるかのように描き出す。なぜそんなことができるのか。
生前、葉室さんは「歴史時代小説のいいところは、モラルが書けることです」と語っている。「現代小説でモラルを書くのは難しいのですが、武士はモラルに縛られているのでテーマが際立ちます」(「野性時代」二〇一七年三月号)。
葉室作品の主人公は、モラルの人なのだ。人間がかくあるべき理想と言い換えてもいい。主馬は言う。「武家は利では動かぬ。義で動くものだ」──現代では失われてしまったこのような愚直な誠実さが、〈武士の本懐〉という形で時代小説の中には生きている。建前を守るという行為が正しいものとして残っている。だから葉室さんは時代小説というジャンルを選んだ。
葉室さんの描く〈理想〉を体現した主人公は、その主人公のいる〈高み〉に読者を引き上げてくれる。ここが本来の場所だぞと、人はここに足場を置かねばならないのだぞと、忘れかけていた理想を思い出させてくれる。だから背筋が伸びるのだ。そして本書の中で変化する人々は読者同様、主馬のいる〈高み〉に引き上げられた人々なのである。
最初から泰然として揺るがぬ主馬が
もうひとつ、本書の読みどころは財政再建・藩政改革が軸になっているということだ。藩は何のためにあるのか。政治は誰のためにあるのか。経済は誰を救うものなのか。
領民の苦しみなど考えもせず現在の地位と利権を守ることばかりに
「政を行うということは、いつでも腹を切る覚悟ができているということだ。そうでなければ何もできぬ」と主馬は言う。時代小説でしか成立しない〈モラル〉がある一方で、時代小説だからこそそこに仮託して書ける〈警鐘〉があるのだ。
主馬は改革に乗り出すことを「嵐の吹き
先に述べたように、人は変われるということがこの物語には描かれている。人が変われるのなら、人が
はからずも扇野藩シリーズの最終巻となってしまった本書だが、ここに託された希望と祈りはすべての葉室作品に通じるものだと私は思う。著者の祈りが込められた多くの作品が、長く、広く読み継がれることを切に願う。
作品紹介
青嵐の坂
著者 葉室 麟
定価: 748円(本体680円+税)
正義とはなにかーー。不屈の武士の生き様を描く、感動の歴史長編
扇野藩は破綻の危機に瀕していた。中老の檜弥八郎が藩政改革に当たるが、改革は失敗。挙げ句、弥八郎は賄賂の疑いで切腹してしまう。残された娘の那美は、偏屈で知られる親戚・矢吹主馬に預けられ……。
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