文庫巻末に収録されている「訳者あとがき」を特別公開!
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『新訳 ナルニア国物語2 カスピアン王子』訳者あとがき
本書は『ライオンと魔女と洋服だんす』につづいて書かれた作品であり、原題Prince Caspian: The Return to Narnia(『カスピアン王子──ふたたびナルニアへ』)の副題が示すとおり、ペベンシー家の四人きょうだいが再びナルニアへ戻っていく話だ。
第一巻から一年経って再びナルニアへ戻ると、ナルニアでは一千年以上が経っていたというところから話がはじまる。第一巻と同様に、ナルニアでは長い時間が経過するのに、イギリスへ戻ってみると、はじまったその時点から少しも時間が経過していない。これは、シェイクスピアも演劇的技法として用いているクロノス(物理的な時間)とカイロス(主観的な時間)の差だとも言えるだろう。クロノスは時計が刻む客観的な時間だが、カイロスは意識された時間経過であり、おもしろいこと、わくわくすることを経験していると、あっという間に過ぎてしまう。ナルニアの世界は物理空間ではなく、意識のなかの空間であって、わくわくする空間であるから、時間(カイロス)があっという間に経過するとも考えられる。そこは神話の世界なので時間は経過しているように見えて実は経過していないと言ってもよい。酒の神バッコスも、サンタクロースも、アスランも、みな神話的人物であるので、年をとらないし死なない。キューピッドが羽根の生えたかわいい幼い男の子のイメージであるのが何百年経とうと変わらないのと同じだ。キューピッドはおじいさんにならない。それゆえ、ナルニアの世界で時(クロノス)の経過を語ることに意味はないとさえ言えよう。
さて、本書はさまざまに読み込むことができるが、訳者が重要と思う三点をここに記しておきたい。まず、前半で、カスピアン王子を救いに、ケア・パラベル城から石舞台まで旅をするが、あまりにも地形が変わってしまっているうえに敵の攻撃もあって、アスランの導きがなければ間に合ってたどりつけない。そのときに、ルーシーだけにアスランが見えるという点が重要な第一点だ。
ルーシーには見えているのに、他のきょうだいにはアスランが見えないという状況は、ジョージ・マクドナルド著『新訳 星を知らないアイリーン──おひめさまとゴブリンの物語』(角川つばさ文庫)で、アイリーンには見えているおばあちゃまやおばあちゃまの糸が少年カーディーには見えないのと同じだ。作家G・K・チェスタトンは、この『おひめさまとゴブリンの物語』を「私の全存在を変えた書」だと言ったが、ルイスも同様に大きな影響を受けたのである。
ペベンシー家のきょうだいたちが、見えないものは存在しないと言いつつもルーシーのあとについていって救われたように、カーディーも信じないままアイリーンのあとをついていって救われて「信じなかったこと」を謝罪する。サン=テグジュペリの『星の王子さま』のキツネが「いちばん大切なことは目に見えない」と言うように、真実は心の眼でしか見えない。そのことはシェイクスピアでも語られており、この点は必ずしも信仰と結びつけて考えなくてもよい。物質的な欲望に支配されて目の前にあるものだけを見る生活を送っているかぎり、本当に大切なことが見えなくなるのだ。人生は悲しいかなクロノスに支配されているが、私たちの心はカイロスの世界へ
第二点。本書の後半でアスランはほとんど姿を現さなくなる。その代わり、ピーターがミラーズと一騎打ちをするという中世騎士物語のような展開となる。ここにおいて、のちにシェイクスピア学者およびチョーサー学者として名を成すネヴィル・コグヒル(一八九九~一九八〇)への言及が必要だろう。ルイスは学生時代に英文学のクラスで一緒になったコグヒルについてこう述べている。「クラスで一番頭の回転がはやく学問ができるこの男が、キリスト教徒であり、徹底した超自然主義者であるのを知って衝撃を受けた。……騎士道精神、名誉心、礼節、独立心、気品が漂っていたのである」(C・S・ルイス『喜びのおとずれ』早乙女忠・中村邦生訳、ちくま文庫、二〇〇五、二七九~八〇ページ)。
騎士道精神、名誉心、礼節、独立心、そして気品。これは「ナルニア国物語」を語る際に外せない要素だ。のちにリーピチープにおいて具現化されるように、騎士道精神はルイスの愛してやまないものであった。騎士道とは、キリスト教の価値観と武道とが融合してできあがったものであり、ルネサンス文学やロマン主義文学のなかでもてはやされた。だが、武器を手にする点に矛盾があり、真にキリスト教の教義には
裏切りが起こり、ピーターらに危機が迫るとき、森の木々がアスランの力を得てテルマール人らを襲う。この一種のアニミズム思想も、キリスト教とは
「ナルニア国物語」の魅力は、キリスト教の教義を伝える一方で、キリスト教と相容れぬ世界をも内包する点にあるように思われる。本書においては、酒の神バッコスが登場するが、これは異教の神であり、頭の固いキリスト教徒読者を憤怒させるに足る要因となっている。マイケル・ウォードによれば、『ライオンと魔女と洋服だんす』にサンタクロースが登場した(そのことでトールキンは激怒した)ように、本書においてバッコスが登場するのであり、バッコスは本書のテーマである戦争、火星(戦の神マルス)、そして祝祭(バッコス祭)と関わっている(Michael Ward, The Narnia Code (Tyndale House, 2010))。このある種の奔放さが、作品のファンタジー性を強める一方で、キリスト教世界からの逸脱をも示していると言えるだろう。
最後に第三点として、本作が第一巻ほどの求心性を持たない理由を示しておこう。第一巻には、白の魔女というサタンを象徴する超人間的な悪の存在があり、キリストを象徴するアスランが示す絶対的善がそれと対立するという明確な構造があった。ところが、本書に登場する悪党ミラーズは、『ハムレット』のクローディアス王のように、王を殺害して王位を
ミラーズが倒されても、世界は冬から春に変わったりしない。そもそもミラーズを倒すのはピーターではなく、ミラーズの部下だった連中だ。しかも、続いて展開するのは(少なくとも私見では聖戦とは思えず)醜い戦争である。アスランによって
シェイクスピアの言う「覚悟がすべて」(Readiness is all)である。しかし、そうやって戦争を繰り返してきた愚かな人間の歴史を振り返るにつけ、無意味な流血は避けたいと願わずにいられない。ソペスピアン
これに対してリーピチープが細身の剣をふるって騎士道精神を示す態度は立派だし、魅力的だ。その目的は敵を倒すことではなく、自らの生き方を律する厳しさにあるからだ。礼節と気品、そして男気──それが目的であるなら、腰に剣を帯びることにも意味がある。リーピチープ万歳! ただし、もしリーピチープが結婚したら、奥さんから「馬鹿なことはやめてちょうだい」と?られるのは必定だけれども。
二〇二〇年五月
河合祥一郎
作品紹介
新訳 ナルニア国物語2 カスピアン王子
著者 C・S・ルイス
訳 河合 祥一郎
定価: 704円(本体640円+税)
【全世界1億2千万部!】親子で読みたい、カーネギー賞受賞シリーズ第2弾
装画・挿絵:ソノムラ
夏休みが終わり、ルーシーたち4人兄妹は寄宿学校へ帰るため、駅で列車を待っていた。すると、不思議な力が働いて、あっというまに別世界へ。「ここはナルニア?」でも、何かがちがう。そこは、残忍なミラーズ王によって魔法が失われた、1千年後のナルニアだった。4人は、王の甥カスピアン王子と共に、ナルニアに魔法をよみがえらせようとするが、やがてアスランの存在さえ疑うようになり…。児童文学の金字塔を新訳で!
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