早見和真『八月の母』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!
早見和真『八月の母』文庫巻末解説
解説
家族ってなんだろう、母ってなんだろう、と子どもの頃から思い続けてきて、六十を目の前にしてなお、答えが出ない。この場を借りて、いきなり自分の人生を語ってしまうけれど、私の母は私が十二のときに、私を含む三人の子どもを置いて家を出た。下の弟はまだ四歳だった。つまり、私は母に捨てられた子どもだ。父や祖母との関係が悪かったからだろう、商家の暮らしに慣れなかったからだろう、といくつもの「だから母は家を出たのだ」という仮定を思い浮かべてきたものの、やっぱりその答えははっきりとはしない。
その母が八十代半ばを過ぎ、認知症になった。月に一度か、二度、「元気にしているの?」と電話がかかってくる。電話の最後はいつもこうだ。「元気に過ごすのよ。あなたのことをいつも心配しているからね」。「うん、ありがとう」と言葉を返しながら、私の血がいまだ沸騰する。心のどこかでこう思っている。そうやって、そのまま逃げ切るつもりなんだ、と。
いい加減しつこいよ、と言われることはわかっているし、自分でもそう思っている。けれど、母が死んだら、いまだにくすぶるこの思いはどこへ向かうのだろう、と私のなかにある小説家の目がその行方をじっと見つめている。
そんな自分の出自を思い浮かべずにはいられない、そういう読書になった。
軽いものを、明るくて、心があたたかくなるものを。出版不況にあって、そういう作品が強く求められる。ここで不満を述べたいわけではない。どんな物語にも存在する意味があるし、自分自身もそういう作品を書いてきたからだ。とはいえ、自分自身の経験をふりかえってみても、『八月の母』のようなある種の重量を持った作品を小説家が書くとき、執筆中は書き手の胆力のようなものが常に問われるし、傷だらけになる。この物語を書いた
舞台となった愛媛県
しかし、愛媛県伊予市、そのあとに「事件」と加えて検索すれば、この物語のフックとなった、とある事件がすぐに出てくる。市営住宅の一室で一人の十七歳の少女が集団暴行で死亡した出来事。長女や長男、その部屋に出入りしていた少年たちとともに暴行を加えた女は、「ゲーム感覚、おもちゃ感覚だった」と暴行がエスカレートした理由を語っている。『八月の母』は、この事件に端を発してはいるが、早見さん独自の視点で事件を読み解いていったフィクションだ。
そういう小説はこの世に多く存在する。私も描いたことがある。けれど、今も思い続けているのは、実際にあった事件をテーマに小説を書いたとして、書き手はどんなふうに責任を感じたらいいのか、ということだ。そう、どういう思いで、あなたはその作品を書いたのか、あるいは書こうとしていたのか。『八月の母』を読んでいる間、水のなかで息を止めるように苦しかったのは、そういう問いを早見さんが多くの書き手に投げかけているような気がしたからだ。
この物語が生まれるまで、早見さんは愛媛に六年間暮らしていたという。そんな時間軸で、事件に向き合う書き手が何人いるだろうか。そもそものスタート時点からしてほかの書き手とは異なる。この腹の据わり方はいったいどこから来るのか。
「母から連なる物語が、自分という人間を経由し、赤ちゃんを通じて未来へとつながってしまったという実感があった」と、冒頭で、とある人物がこう語る場面があるが、この物語は、
親ガチャと言われるように、人は生まれながらにして自分に配られたカードで勝負していくしかない。けれど、彼女らに配られたカードはあまりにも過酷だ。貧困、性被害、中絶、ネグレクト……思わず目を背けたくなるシーンも多いのに、どうしても本を置くことができない文章の構成や言葉選びの巧みさに目をみはる。
「……少なからず母性みたいなものが事件の根幹なのではないか」という仮説を立て、早見さんは物語を書き進めていったそうだが、この「母性」という言葉を辞書で引くと、「女性が生まれながらに持つ母親としての性質。母親として自分の子どもを守り育てようとする本能的性質」とある。生物学的、社会的、文化的に解釈しても、この言葉をすんなりと飲み込めるように、かみ砕くことは難しい。女性には生まれながらにして母性があるもの、という押しつけが多くの女性を苦しめていることも事実だ。だからこそ、こんな言葉が印象的に響く。
「……私は、小さい頃から母親が子どもを守るために絶対に必要なものって信じてた。でも、あれってウソだよね。(中略)母性は素晴らしいものであるって信じ込まされていただけなんだ」
自分の経験を振り返ってみても、ただひとつ言えるのは、母性というのは、聖母のようなつんととりすましたものではなく、時に暴走し、親猫が生まれたての子猫をかみ殺すようなそんな暴力性をも内包しているということだ。その生の、母性の危うさを早見さんはなぜ知っているのだろう。
さらに母性が暴走する背後には、狂った男の存在が二重写しになることもあらわにしている。
こんな男さえいなければ、美智子は、エリカは、こんな人生を歩むこともなかっただろうに、と思わせる。早見さんは男性がある瞬間に抱え持ってしまう加害性にかなり自覚的な書き手である(男性すべてが加害性を持っていると言いたいのではない。悲しいことに、母性と同じようにそれは、ある状況下で暴走することがある)。最近では、ぽつぽつと、そういう作品を目にすることもあるが、まだまだ多いとは言えない。男性の書き手に、もっと書いてくれ、とも言わない。けれど、心のどこかでその影の存在を知っておいてほしい、とは思う。
一方で、エリカが団地の一室で作り上げたユートピアには、やはり一人の書き手として、鋭い
ラストシーンをここで明かすことはしないけれど、同じ思いを私も抱いたことがあるから(とはいえ、物語のなかのように母と真正面から対面しないまま時間だけが経ってしまったが)、ふいに涙が浮かんだ。それでよかったんだ、と言ってもらえたような気持ちになった。その決断をして、自分の母への思いが昇華したわけでもない。けれど、私は自分の物語を、自分の子どもに負わせることはしない。それができているのかどうかもわからない。子どもはすでに自分の人生を生きているけれど、母である私の影響をゼロにはできない。それでも。
この物語を書き上げてくださった早見さんには深くお礼をお伝えしたい。自分の奥底に隠しておきたい暗い何かをわかってくれている、という書き手がこの世に一人でもいること。そのことに救われ、気持ちが軽くなる読者は少なくはないと思う。
また、そういう人生を歩んでこなかったとしても、人間の因果、というものの過酷さを深く理解するための一冊になるだろう。この物語を受け取るには、私たちにもそれなりの労力が必要だけれど、こんな物語が、本がなくなってほしくはない。心の底からそう思う。
作品紹介
書 名:八月の母
著 者:早見和真
発売日:2025年06月17日
連綿と続く女たちの「鎖」を描く、著者究極の代表作
『イノセント・デイズ』を今一度書く。そして「超える」がテーマでした。僕自身はその確信を得ています――早見和真
長い間歪み続けた愛や母性の歴史、地層のように積み重なる闇に確かな兆しを探し続けた。神なるものへの幻想と呪縛を解き放つ祈りとその熱に、心が確かに蠢いた。――池松壮亮(俳優)
私も命を繋いでいく役目を担うのだろうか。微かな光と絶望に怯えながら、夢中で読み進めた。どうしようもない日々に、早見さんはいつだって、隣で一緒に座り込んでくれるんだ。――長濱ねる(タレント)
自分の奥底に隠しておきたい暗い何かをわかってくれている、という書き手がこの世に一人でもいること。そのことに救われ、気持ちが軽くなる読者は少なくはない。――窪美澄(小説家)
容赦などまるでない。「母」にこだわる作家が、母という絶対性に対峙した。確かなものなど何ひとつない世の中で、早見和真は正しい光を見つけようとしている。その試みには、当然異様な熱が帯びる。――石井裕也(映画監督)
ラストに現れるヒロインの強い覚悟と意思の力に、私たちは元気づけられる。辛く暗く苦しい話だが、そういう発見があるかぎり、小説はまだまだ捨てたものではない。――北上次郎(書評家)(「カドブン」書評より抜粋)
八月は、血の匂いがする――。愛媛県伊予市に生まれた越智エリカは、この街から出ていきたいと強く願っていた。男は信用できない。友人や教師でさえも、エリカを前に我を失った。スナックを営む母に囚われ、蟻地獄の中でもがくエリカは、予期せず娘を授かるが……。あの夏、あの団地の一室で何が起きたのか。嫉妬と執着、まやかしの「母性」が生み出した忌まわしい事件。その果てに煌めく一筋の光を描いた「母娘」の物語。
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