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レビュー

【解説】数ある都市ホラーの中でも新たな土台をつくる一冊――『骨灰』冲方丁【文庫巻末解説:大森望】

冲方丁『骨灰』(角川文庫)の刊行を記念して、巻末に収録された「解説」を特別公開!



冲方丁『骨灰』文庫巻末解説

解説
おおもり のぞみ(書評家・翻訳家)

 おまえ、このらんまんと咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つたいが埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみならんしてうじが湧き、たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根はどんらんたこのように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根をあつめて、その液体を吸っている。(かじもとろう「桜の樹の下には」)

 地鎮祭、上棟式、おはらい、安全祈願、神棚──二〇二〇年代になっても建築や工事にはさいがつきものだ。いやまあ、そんなことは一切やらなくても家は建つし、実際、個人住宅の新築では、近年、地鎮祭の実施率が五割以下という地域もあるらしい。とはいえ、東京のど真ん中にそそり立つ超高層ビル群を含め、大規模な建設工事に際しては、起工式と一体化した何らかの祭祀が当然のように行われている。建築は科学の領分なのに、超自然的な力の存在を前提とした儀式がセットになっているわけで、考えてみれば不思議な話。悪いことが続くと厄払いにお参りしたり、アイドルグループが新曲ヒット祈願で滝に打たれたりするのがあたりまえだから、二十一世紀の日本人にとっても祭祀は日常の一部ということか。
 これが人柱となるとさすがに神話伝説の領分──と思うところだが、意外とそうでもない。実際、僕が子供の頃には、「昔、あの橋を架けるとき川に人柱をささげた」みたいな話をよく聞かされた。つい最近も、TVバラエティ番組の検証企画で、「(一九五七年に法律で禁止されるまで)大きな建造物を建てる際にはにえが捧げられていた」というウソ映像がスタジオのZ世代タレントたちにごく自然に信じられ、SNSでも「ホントにありそう」みたいな反響が多かった(二〇二三年六月二十一日放送のTBS「水曜日のダウンタン」内「昭和はむちゃくちゃだった系の映像、全部ウソでもZ世代は気付かない説」)。昭和が遠くなったのか人柱がリアルなのかはともかく、そういうことが実際にあってもおかしくないと思う土壌が、現代人の心の奥底にあるのかもしれない。
 ──と、すっかり前置きが長くなったが、本書『骨灰』は、いまの日本人と祭祀との遠くて近い微妙な距離を利用して、比類ない恐怖を生み出すホラー長編。
 著者のうぶかたとうは、早稲田大学在学中の一九九六年にライトノベル系新人賞(第1回スニーカー大賞)を受賞して以来、SF、時代小説、歴史小説、現代ミステリから、漫画原作、アニメの脚本、創作指南書まで、あらゆるジャンルを自在に書き分けてきた作家だが、意外なことに、現代ホラーに挑戦するのは『骨灰』が初めて。
〈小説 野性時代〉に二〇二一年九月号から二二年七月号まで連載されたのち、二〇二二年十二月にKADOKAWAから四六判ハードカバー単行本として刊行。著者ならではの都市ホラーとして話題を集め、第169回直木三十五賞にノミネートされた。惜しくも受賞には至らなかったものの、現代の読者を怪異にひきずりこむ手腕は高く評価されている。直木賞の選評をいくつか抜粋して引用する。

「ことごとくこちらの予想を裏切ってくる第一章の不気味さ、おそろしさにかれた」(かくみつ
「じわりじわりと恐怖を引きたてていく筆力はさすがで、主人公が次第に狂気に染められていく過程も面白い」(はやし
「サラリーマンの主人公が業務で、しぶ駅前の地下深く入ってゆく冒頭のシーンはとてもよい」(きりなつ
「繰りだされる怪異の数々も本当に怖くて、『もうやめてくれ』と内心で叫びながらぐいぐい拝読した」(うらしをん)

 主人公のまつながみつひろは、渋谷駅の再開発事業に社運をける大手デベロッパー、シマオカ・グループ本社の財務企画局に勤務する入社十年の中堅社員(三十二歳)。投資家向けの広報を担当するIR部の危機管理チームに所属している。
 二〇一五年六月、光弘が仕事で調査に赴いたのは、渋谷駅東口に建設される四十七階建ての高層ビル、仮称「東棟」の基礎工事現場。この現場に関しては、悪意のあるポストがSNS上で連続していた。いわく、『東棟地下、いるだけで病気になる』『東棟地下、のどが痛い、絶対に有害なものが出てる』『東棟地下、人骨が出た穴なのに誰も言わない』などなど。それらの投稿には、すべて異なる写真が添えられている。画像はほんとうに現場のものなのか。投稿者は何者で、何が目的なのか。
 それを確かめるべく、大雨の朝、無人の東棟地下に潜った光弘は思いがけないものを発見する……。
 現代のリアルな日常と土俗的な怪異を重ね合わせるのはモダンホラーの常道だが、『骨灰』は、その舞台に渋谷を選ぶことで、両者のコントラストをより際立たせている。渋谷駅周辺の再開発といえば、横浜駅と並んで、いつまでも工事が終わらない“日本のサグラダ・ファミリア”として有名だし、複雑怪奇な渋谷駅の構造はしばしばダンジョンにたとえられる。渋谷の中心を流れる渋谷川のあんきよが小説全体のメタファーになり、物語はメガロポリス東京の裏側に流れるものの正体にじょじょに迫ってゆく。ビジネスマン小説としても家庭小説としても徹頭徹尾リアルに描かれるだけに、光弘を襲う恐怖は半端なく生々しい。
 ホラー的なキーワードになるのが、冒頭でも触れた“人柱”。直木賞候補作家インタビューの中で、著者は以下のように語っている。

「人柱というのは、古い慣習のようで、社会の秩序を安価で保つために、個人の犠牲の上に成り立っているという意味で、実は現代人もやっていることは変わらない。いつ、自分がその人柱になるかはわからない、社会の輪からはじかれてしまうかもしれない──そんな社会的な恐怖も盛り込むべきと考えました。
 また、物語の発端にもあるような、SNSで広がる匿名の悪意は、産業の発展に伴う公害の一種と思います。以前は、面白い作品を書き、作家として評価されたい気持ちが大きかったですが、いまは人の糧になるような小説を書きたいという思いが強くなりました。どの作品でも、今の社会で生きる人のエールになるものを書くことが、自分という作家の使命だと思います」(〈オール讀物〉二〇二三年七月号「東京の土の中に潜む禍いの真相」より)

 渋谷の“東棟”に関する資料を調べるうち、光弘はやがて、工事現場の祭祀を担当しているらしいたま工務店にたどりつく。

「東京のど真ん中にたいらのまさかどの首塚が残っていることからも分かるとおり、現代人が見えない何かを恐れていることは間違いない。その背景にあるのは我々が長い歴史の中で形成してきた日本独自の宗教観ですよね。もしそれが現代人の価値観と相容れないものだとしたら映画『ミッドサマー』のような怖さがあるし、といって簡単に切り捨てることもできない。玉井工務店は、そうした不条理を受け入れることを仕事にしている人たちです」(「都会の地下が怖くなる禁忌のモダンホラー『骨灰』冲方丁インタビュー」ダ・ヴィンチ二〇二三年二月号より/取材・文:あさみやうん

 タイトルの「骨灰」は、骨が燃えたあとに残る灰のことだが、作中では東京の土壌の中に蓄積された死者たちのうらみを意味する。

「個が失われた巨大なおんねんみたいなものを表現するうえで、東京の土はふさわしいモチーフでした。実際、これほど人が焼け死んでいる都市は、世界でもロンドンと東京くらいだそうですね。しかも関東ローム層の赤土が、カルシウムを溶かしてしまう。つまり東京の土地は、死体でできているといってもいいんです。そう考えると公園の土を見ていても、ぞっとしてきませんか?」(同・前)

 かつて、梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたが、いまを盛りと咲き誇る東京の超高層ビル街の下にも死体が埋まっている。死体でできた東京の土壌に築かれた『骨灰』は、近代的なビル街の上に、目に見えないもうひとつの東京を二重写しにすることで、数ある都市ホラーの中でも新たな土台をつくる一冊となった。
 思えば、本書で描かれる二〇一五年以降の十年間で渋谷の街もずいぶん変わった。渋谷ストリーム、渋谷スクランブルスクエア、ミヤシタパーク、渋谷サクラステージ、渋谷アクシュ……。たまに渋谷に出かけると、どこを歩いているのかわからなくなることがある。そんなとき『骨灰』を思い出すと、ちょっとだけぞくっとするかもしれない。

作品紹介



書 名:骨灰
著 者:冲方丁
発売日:2025年06月17日

第169回直木賞候補作! 進化し続ける異才が放つ新時代のホラー。
大手デベロッパーのIR部に勤務する松永光弘は、自社の高層ビル建設現場の地下へ調査に向かっていた。目的は、その現場についての『火が出た』『いるだけで病気になる』『人骨が出た』というツイートの真偽を確かめること。異常なまでの乾燥と、嫌な臭気を感じながら調査を進めると、図面に記されていない、巨大な穴のある謎の祭祀場にたどり着く――。地下に眠る怪異が、日常を侵食し始める。恐怖の底に誘う衝撃のホラー巨編!

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322410000628/
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